お茶と茶花

重い腰を上げやっと自分の意志で茶道教室の扉を開けた。番茶も出花の頃であった。
新入生は4~5人いた様な記憶がある。
皆が緊張した面持ちで先生の一挙一同を不動のまま見入っていた。
間もなくお弟子さん2人をお連れになるようになった。
若くてスラリとした美しい女性と、勿論生徒も若々しい女性達であるがまだまだ原石の状態であって、そのお弟子さんすら遠い存在におもえていた。
そしてもうひと方、齢のころ50代だろうか、物腰穏やかで思慮深く見え優しいお人柄であった。
お召の和服も紺系の落ち着いたお色目が多く、ましてや、その色目がその方の品位すら高めており好感が持てた。
勿論、御指導賜る先生は恰幅よく着こなされたお着物は堂に入り茶道のことは全て承知なされている風な近寄り難い先生であった。
本来、きらいでなかった茶道の世界。夢と希望は持っていた。
そして若く美しいお弟子さんの美しいお点前に、右も左もわからぬ新参者の私共は、まことに魅了されていたのだが、その傍らで先生はその中年のお弟子さんと何時も難しい話をなさり新参者の私にはその事態がよくわからないままでいた。その内、一念ありてその茶道教室を止めてしまった。後悔も何も無かった。

「道」は人なりであるから尊敬できる人物に人生の指導を仰ぎたい。お点前ができるだけの茶道は私には無意味であった。先生の人となりが学べる道を歩みたかった。

そして気づくと50歳を超えていた。
「人間50年、天下のうちをくらぶれば夢幻のごとくなり・・・・」
過ぎればあっと言う間の時間であった。
子育ても終わり人間50年の時が終わった。
人生の折り返しに1人立たされた思いがした。そんな時ふと茶道が甦った。
そして自分が日本人であるとゆう事も気づきなおしていた。昭和の経済成長とともに心は洋式化され、大好きだった抹茶の一椀すら忘れていた。
そして結論に至り、茶道を学びなおすと決心をした。自分の求める道がどこに有るのか様々な本で各流派の特徴を歴史と共に調べた。
そしてやっと行きついた。速水流であった。ここに自分の求める教えが有ると確信した。
ある市販の茶道本の中に書かれた「速水流」の紹介文に心の迷いや不安が晴れた。わたしにとってこれこそ学ぶべきもの。この教えを学びたいとただ一人で速水の門を敲いた。その原文は次のように記されていた。

2017.11.9 滌源居、口切茶事にて

流祖 速水宗達は裏千家八世一燈宗室に入門し茶道の奥義をきわめたが、これまでの禅の精神を背景とした茶道に飽き足らず日本民族古来伝統の精神と礼式を平安期までさかのぼって探求。これらを取り入れた茶道を創設した。公家風で温厚、優雅、清浄である。と。
ただし製本発行は平成11年4月20日とあり発行元は主婦の友社である。

気付けばそれから18年が経っていた。私は茶歴から言えばまだまだ子供である。私を可愛がって下さった速水流の先達の先生方は70年も80年も茶道の道を歩んでいらっしゃる。
その先生方に時折ご指導を賜った事は私の糧にもなっているし流派を超えて導いて下さる先生も有り茶道を通した人とのつながりの有難さに、今さらながら茶道によって会得した人生の幸せを感じずにはいられない。勿論、右も左も分からなかった茶道の世界を一歩一歩導いて下さっている先代家元夫人には、ひたすら感謝をするのみである。
速水流は、現在八代宗燕宗匠が家元として家督なされており、関東から北陸、中国地方関西に至り、お弟子さんのご指導に当たられている。

2016.10.2 平野神社、紫式部祭にて当時の七代家元の宗楽宗匠と宗広若宗匠

私は本来ワイルドローズやオールドローズ、山野草、花木を愛してきた。育ててはからし枯らしては育て、ウンチクザン先生(夫)に「この庭には宝が埋まっている。」とよく笑われたものである。
しかし30年前の鉢植えのバラはまだ元気に育っているし花木達も元気に育っている。
山野草も珍しかったり難しいものが好きで結局この分野を特に枯らしたのである。昔はデパートの屋上の植物コーナーでよく時を過ごして楽しんでいた。そのころイギリス流のフラワーアレンジの教室にも通うようになった。大変素晴らしい人格と技術とを持たれた素敵な雰囲気の先生であった。実はその先生が現在は私の茶道のお弟子さんになられているのである。幸せな関係で有るがその先生のお働きで京都新聞に一年間月一回で洋花と茶花の対比の関係記事を連載をさせて頂いた。
毎回テーマとする一花を決め、その花で洋花のアレンジと茶花とに生けるのである。
そして洋花を茶花に生けられないか一年間私の挑戦が始まった。
茶花には400年の歴史があり足元にも及ばぬ先達たちが群雄割拠し私の出る幕ではなかったが清水の舞台から飛び降りてしまった。
そしてこの一年間、茶花を通し挑戦し学べたものが見えてきた。
利休居士の「花は野にあるように。」と茶道を知らぬ者でさえ一度は見聞の機会がおありであろう。
その心を生けたくて野を想い、山を想い、庭を想い。手を動かすが風情がなかなか生まれない。生きている花には心が有り、意思がある。私くしごときがどうする事も出来なかった。
花材と器との関係は特に重要であった。
器に救われる事も有ったが花の持つ生命力が充実していると、その花一花だけでも十分な存在感を放って、私を圧倒した。
茶花を通したこの一年間、これまでに身長は5cmちぢんだが、心は広く深く成長したように思う。
そして、茶花を通して様々な人との関係性も見えてきた。実は人も植物も同じ生き物。成長するもの。枯れるもの。何が違うのか。生きようとする個の意志と、それを助ける水や光が大切で廻りの環境が成長に影響を及ぼすので有る。
そんな影響ある方々に出会えた一年であった。茶道を通して御縁を頂いた方々に深く感謝致したい。そして来世でも、またお会いしたいものである。合掌

2019.3.17に若宗匠が8代家元宗燕宗匠として、代変わりなされました。
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この記事を書いたライター

 
福岡県生まれ。
茶道速水流教授。
京都市右京区の大覚寺近くに構える茶室などで多種類の茶花を育てている。
公家手前とされる速水流の普及と若い人に受入れられる茶花の提案を図る。

「速水流」
〇家元  速水宗楽(7代)
〇連絡先 京都市北区平野鳥居前町79
     TEL 075-462-0295

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