「郵便番号が分からない!」-京都の「町」の不思議(その2)-

京都の独特の住所の話題、第2回です。
第1回では京都の旧市街地の長〜い住所の理由をご紹介しました。
この京都独特の仕組みは、時には東京を基準とした全国共通のシステムに合わないこともあります。今回はそのためにちょっとした混乱やパニックになったお話をご紹介します。
それは皆さんがいつも何気なく使っている「郵便番号」なのです。

1968年から始まった郵便番号制度、当初は都市圏では周辺部を除いて区単位までの3桁でした。(京都市中京区=〒604)
その後、1998年2月に郵便番号は細分化され、町や大字単位までの7桁に変わります。
(京都市中京区本能寺町=〒604-8243)
この郵便番号7桁化のとき、京都市ではどうなったのか、それが今回のテーマです。

なお今回の内容は先にご紹介した「京都の住所はなぜ長い-京都の「町」の不思議(その1)」からの続きになります。第1回をまだお読みでない方は先にご覧いただくと分かりやすいと思います。

▶︎「京都の住所はなぜ長い?」-京都の「町」の不思議(その1)-

またこの話題を取り上げた資料や文献がほとんどないため、私の独自の考え方で書いている部分が多くなっています。その点はどうかご了承ください。


町名番地なしでも郵便が届いた街、それが京都

もともと京都市の中心部は基本的には碁盤の目の道路、そして狭い道路でもたいていきちんと名前が付けられていました。ですから場所を指し示す時、通りの名前を2つと交差点からの方角を使えばピンポイントで分かるのです。
たとえば「いい喫茶店見つけたで!」「どこどこ?」「高辻通の烏丸を西いったとこ」これで十分に行くことができます。「北側の○軒目」とかいったらもう完璧ですね。

ひと昔前の郵便でも同じで、写真の左の葉書のように2つの通り名と上ル下ルなどを書いておけば中心部では十分に届き、また周辺の新市街地でも真ん中の2つの葉書のように名前のある通りに面していれば十分届いたのです。またたとえ路地の奥にあるお宅でも右の葉書のようなワザを使えば大丈夫でした。
「道路にきちんと名前が付いている」おかげもあって、京都は2本の道路名と交差点からの方角だけで「町名番地がなくても郵便が届く街」だったのです。

ところがこの書き方が郵便番号の7桁化によって通用しなくなります。
郵便番号が「町」ごとに割り振られたからです。
郵便を出すにはまず宛先の町名を確認し、その町名に対応する郵便番号を調べて書く、ですから先ほどの場所も「高辻通烏丸西入ル」だけではだめなのです。
まずこの場所の町名が「下京区骨屋町」であることを調べた上で郵便番号簿を見て、
骨屋町=〒600-8425の郵便番号を書く、この2回の手間がかかってしまうのです。
これが京都人にとって第一の関門、もともと宛名に町名番地を書いていなかったため、通り名から町名番地を調べる手間が余計にかかるのです。

でもこれだけなら「今まで楽をしていたのが普通に戻っただけ」といわれるかもしれません。しかし「郵便番号を調べて書く」という作業の前には、京都の旧市街地ならではの第二の関門が待ち受けていたのです。
前回の記事をお読みになった方は、それが何なのかお気づきではないでしょうか。
そうです。あの「同一区内同一町名」が、郵便番号にとって第二の関門になったのです!


見たとたんに絶句? 京都市の郵便番号簿

ネットが一般化するまでは郵便番号は各戸に配られた「郵便番号簿」をめくって調べていました。ちょっとその様子をのぞいてみましょう。
大阪あたりでの小さな会社の社長さんと社員さんのやり取りだと思ってください。
なおこの後の内容や写真は実感がより分かりやすい2009年度の郵便番号簿を使いました。

「すまんけど、東京の歌舞伎座の郵便番号調べてくれへん?」
「はーい!今ヒマやし、いいですよ!」
「東京都中央区銀座なんやけど」
「(東京って街大きいし、探すの面倒くさそうやな、どれどれ、あっ意外に楽勝やわ)
はい、分かりました。〒104-0061です!」

「すまん、もう一つ、京都市上京区北町って調べてくれるか?」
「はーい!(京都って街ちっちゃいし、北町なんてめちゃシンプルな名前やし、楽勝楽勝。さてさて……ええ〜っ!? なに〜これっ!!)」

「おーいどうした〜? まだ分からへんのか〜?」
「あのうなんか二つあって〜、いっぱい書いてあって〜、さっぱりワケわかりませ〜ん、
ウエノシタ、タツウル…ああ〜っ、えっカミノシモダチウリドオリ、ですか…」
と、こんな感じなのです。見るだけで目がくらくらしますね(笑)

郵便番号簿では町名だけが見出しなので、「同一区内同一町名」の場合、それぞれの町名の後に注釈をつけて通り名の組合せを全部書き出し、漏れなく見つかるようにしたのでしょう。とにかく長くなるのです。

ということで、旧市街地に250町以上もある同一区内同一町名では、通り名も一緒に見なくてはならず、とりわけ京都の通りの位置関係を知らない人にはたいへんな時間とストレスがかかるのです。

この下の写真、下京区から中京区へ替わるページですが、ここでは1ページの半分くらい「同一区内同一町名での通り名の組合せ」が占めています。
これではもう「普通の郵便番号簿」ではないですよね。
まさに「京都の住所の複雑さ、意地悪さ、ここに極まる!」という感じです(笑)

さらに初期の郵便番号簿には「京都市内だけのための特別なページ」がありました。それがこの写真「京都市の同一町域名」と書いた地図で、上京・中京・下京・東山の4区の地図がついていました(写真は中京区の地図)。京都市の同一区内同一町名のためだけに全国版の郵便番号簿に6ページ分の地図を掲載していたのです。
ちなみにこの時期、この地図を合わせると郵便番号簿に占めるページ数は京都府が北海道を上回って全国第1位でした。

ということで、京都市、とりわけ同一区内同一町名での検索の煩雑さから、しばらくの間は郵便番号を記入しない人もかなりいたとのこと、京都市民に浸透するのには時間がかかったのですね。


旧市街地でこそメリットになった7桁郵便番号

さてここまで郵便番号7桁化の大変な面を述べてきました。でも実際は旧市街地でこそ7桁の郵便番号には大きなメリットがあるのです。

たとえば「中京区亀屋町」は別々の場所に5か所もあるので、これだけでは場所が特定できません。しかし「〒604-0811 中京区亀屋町」(=堺町通の亀屋町)「〒604-0941 中京区亀屋町」(=御幸町通の亀屋町)と郵便番号とセットで書けば、場所が特定できるのでちゃんと郵便は届き、一般の書類に記入する住所としても機能すると思います。つまり両方のセットによって「御幸町通押小路下ル」などの通り名を省いても場所が特定でき、郵便は確実に届くのです。これは旧市街地での郵便番号のメリットといえるでしょう。

なお最近のガイドブックや民泊の住所にはこの郵便番号+町名+番地だけで通り名がない表記が目立ちます。しかし第1回で書いたとおり旧市街地の正式な住所には通り名が必要です。また京都市民の多くは町名ではなく通り名での道順に慣れているので、この町名+番地だけで道を尋ねられても困ってしまい、タクシーの運転手さんも困ります。
ガイドブックでも、きちんと通り名まで書いてほしいですね。

京都の旧市街地の町はほとんど両側町で、道路から場所を示すという独自の仕組みを持っていました。そうした中、町名から住所を示す7桁郵便番号システムの受け入れは多くの難しい点があったと思います。しかし戸惑いながらもうまく順応して使いこなしたのは、やはり常に新しいものを積極的に取り込んできた京都の強みが発揮された出来事なのかな、と思っています。

第2回はここまで。次回の「京都の『町』の不思議(第3回)」は、旧市街地の「番地」の不思議についてご紹介したいと思います。

<参考資料>
『平成21年度版 郵便番号簿』(1998年度版,2009年度版)
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この記事を書いたライター

 
京都市中京区生まれ、北区紫野育ち、民間企業に37年間勤務
祇園祭の魅力が忘れられず、定年を機会に埼玉県から帰郷、大学院に入学し民俗学を学ぶ
祇園祭を中心に京都の祭り・民俗行事、平安京の歴史、京都の地理・町の形成などを研究
京都府文化財保護課での祭り行事調査に参画中

現在、佛教大学非常勤講師、京都民俗学会理事、日本民俗学会会員

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