琵琶湖疏水と『びわ湖疏水船』:文化都市施設

琵琶湖疏水が2020(令和2)年4月に竣工130周年を迎え、6月には日本遺産に認定されました。
そして、この疏水を進む『びわ湖疏水船』の秋の運航が10月1日から11月末まで行われました。
琵琶湖疏水は1890(明治23)年に完成し、大津から蹴上を経て伏見まで物資運搬の通船が行われ、旅客遊覧船も就航して花見の時期には大いに賑わったといいます。
2013(平成25)年の京都、大津両市長による試乗会を契機に復活し、2018(同30)年から本格運航となりました。
上り4便、下り5便が蹴上―大津間7.8キロをゆったりと運行します。
旅客定員12名と小型ですが、琵琶湖疏水を独り占めしたような気分になれますので、その様子をご案内します。


 

ご案内

午前9時。『下り1便』が大津閘門(こうもん)を出発した。蹴上(旧御所水道ポンプ室前)まで55分の琵琶湖疏水の船旅である。

琵琶湖疏水ルート
※Google Earthを加工

しばらく進むと、第一トンネル東口洞門に入る。洞門の扁額(へんがく)には、伊藤博文が揮毫した「気象萬千(きしょうばんせん)」が記され、「様々に変化する風光はすばらしい」と謳っている。
この辺りは三井寺とともに桜の名所でもあり、シーズンには夜店も出て大勢の人々が押し寄せる。

第一トンネル東口洞門

第一トンネル出口の西口洞門には、山形有朋が「廓其有容(かくとしてそれいるることあり)」(意味:疏水をたたえる大地は、奥深くひろびろとしている)と揮毫した扁額が掲げられている。
北側には京都市の小金塚団地があるが、この扁額の地はまだ大津市である。
しばらく行って藤尾橋を過ぎた辺りで京都市に入り、さらに進むと四ノ宮舟溜に着く。
山科の乗下船場である。

四ノ宮舟溜

京阪電車で浜大津から京都に向かうと、四宮駅の手前から急に諸羽山が迫ってくる。
山側を並走するJR湖西線は諸羽山を切り込むように走っている。
かつてこの路線のすぐ上に、琵琶湖疏水が流れていた。
しかし、湖西線建設のため諸羽山に東西方向のトンネルが新設され、疏水の流路が変更された。
大阪万博が開催された1970(昭和45)年のことである。
確かに1953(昭和28)年の地図には、諸羽山の南側をくるりと回る疏水が描かれている。
これと現在の地図を比べると、四ノ宮舟溜を利用してトンネル工事を行った様子がうかがえる。
このため、このトンネル(520m)の名は、疏水第二トンネルではなく諸羽トンネルであり、疏水跡は散策路となっている。
そして、散策路沿いの公園はかつての舟溜であったことも分かる。
この公園の西側には、人康親王山荘跡(さねやすしんのうさんそうあと)の石標と、その山荘跡が境内だといわれる諸羽神社がある。

諸羽山の地図
上:現在、下:1953(昭和28)年

トンネルを抜けると、春には桜とともに菜の花が迎えてくれる安朱地区に出る。
北には、703年に出雲路(京都御所の北方)で創建され、1665年に山科の地で再興された天台宗の門跡寺院・毘沙門堂が鎮座する。
心字の裏文字をかたどった回遊式庭園「晩翠園」を有し、春は枝振りが見事な枝垂れ桜が、秋には勅使門に続く紅葉のトンネルが人気だ。

安朱地区
毘沙門堂

船は御陵をぐるりと回りながら進み、東山を抜ける第二・第三トンネルへ、ゆらゆらと入っていく。
蹴上乗下船場の手前の第三トンネル出口では、三条実美が「美哉山河(うるわしきかなさんが)」と揮毫した扁額が、船旅の無事を告げる。

蹴上乗下船場

この船は、午前10時55分から『上り1便』として蹴上を出発し、11時30分には大津に到着する。
所要時間35分と、川上に向かうが下りより20分早く着く。
1日2往復半、5便の仕事である。

琵琶湖疏水は、当初、田畑の灌漑や水車を動力にした産業育成を主目的としたが、完成直前に水力発電に切り替えられ、生み出された電気は日本初の電気鉄道を走らせるなど、近代京都の発展の推進力となった。
疏水の流れは、米や木材、海産物などを運搬し、遊覧船が観光客を乗せて運んだ。
大正時代の通船では、最盛期に1日当たり150隻以上の舟が行き来していたという。
さらに京都御所や東本願寺の防火用水にも利用され、寺社・邸宅などの日本庭園に引水して美しい庭園が作られた。

このように琵琶湖疏水は、京都の近代産業を育成し、潤いのある古都を育み、かけがえのない命の水を今も京都に運んでいる。

参考文献
びわ湖疏水船 乗船公式ガイドブック、平成30年3月28日発行
びわ湖疏水船【公式】HP

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・琵琶湖疏水も高度経済成長期にルートを変えているんだネ
・疏水の桜や紅葉を見上げる景色もいいネ
・1日5便しかないのは残念だよね
・疏水の水力発電は完成直前に切り替わったのね。よかったんじゃない

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この記事を書いたライター

公益財団法人 京都市文化観光資源保護財団 アドバイザー 
京都大学工学部建築学科卒、同大学院修了
一級建築士

1957年生まれ
1982年4月から京都市勤務
2018年3月に京都市都市計画局建築技術・景観担当局長で退職
2018年4月から2023年3月まで京都市文化財保存活用・施設整備アドバイザー
2023年7月から現職

著書:「花街から史跡まで 散歩でハマる! 大人の京都探訪」(リーフ・パブリケーション)
   「いろいろ巡ろ! 京都の文化都市施設」(KLK新書)
共著:「京都から考える都市文化政策とまちづくり」(ミネルヴァ書房)
   「『京都の文化的景観』調査報告書」(京都市)

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