※本記事は2018年に取材したものです。
100人の社長には100の物語があります。
その物語は必ずしもサクセスストーリーばかりではありません。
むしろ失敗や挫折によって磨かれたと言われる方が数多くいらっしゃいます。
そこから得た教訓が自らの信念となり、やがて経営「理」念に。

社長が社長である前に人として何を大切にしているのか、それをどう経営に活かしているのか。
それを言葉として紡ぐことで社内外への発信はもちろん、ご本人もあらためて自分を見つめ直す。
「社長の理」の視点はそこにあります。

また、京都には学生や観光客など人々を惹きよせる有形無形の引力があり、企業もまたその摂理に従うかのように東京や海外から京都への進出を窺っています。
それは、京都の企業にとってチャンスでもあり、アゲンストにもなり得ます。
そんな「難儀な街」京都の経営者物語をご紹介します。


住まう人の心に触れた4年間

京都産業大学を卒業して入社したのはミサワホーム近畿株式会社。
将来父の仕事を継ぐつもりは95%なかったという。主に住宅営業が仕事だが、建て替えの相談から土地探し、図面引きまでなんでも1人でやらなければならなかった。住宅展示場に来てくださったお客様名簿をもとに軒並み訪問をした。電話でアポイントが取れるのが10軒に1軒、新人には厳しかったものの、先輩社員の訓導から今日の自分を鍛えてもらった。ミサワホーム時代を追想しながら、大いに感謝しているという。
大学時代は体育会サッカー部で夢中だった創一氏。朝から1時間走りこんで、昼からまた走って、夕方は筋トレ、そんな練習の日々だった。「あの時も『辞めたい』と何度も思ったな」ミサワホームで働いている時に懐かしく大学時代を思い出した。あの時辞めなかったのはサッカーが好きだったからだ。今はどうなんだろう?自分に問いかけてみた。

後列左から2番目が吉田創一社長

後列左から2番目が吉田創一社長

初めてご注文をいただいた日のこと、そのお客様のことは今も鮮明に覚えている。
宇治市の方で年賀状のやりとりが続いている。最近娘さんが結婚を期に、またミサワホームで「家を建てて欲しい」との相談を持ち掛けられ、とても嬉しくなった。
失敗談もある。測量を失敗してしまい間口を9900mmのところを9090mmで図面を上げてしまった。マイナス810mm、家が建たない!地鎮祭の段になって気づいて青ざめた。上司からは厳しく叱られたし、お客様には口をきいてもらえなかった。その後はいろんな部署の人にサポートしてもらってなんとか無事に家が建った。「家」という大きな商いをさせていただくことの厳しさを胸に刻んだ出来事であった。
一時はご迷惑をおかけしたそのお客様とは今もお付き合いをいただいていることも、大きな心の支えとなっている。
入社して2、3年たって営業成績が伸び悩んだ頃、会社を辞めることを考えた。何かを察したのか父から「最近どうだ?」と何気なく聞かれた。
4年目にもう一度がんばって成果をだせたら辞めようと、この時に初めてフラットエージェンシーに入社することを意識した。

宅建の試験に合格するまで

ミサワホーム近畿での覚悟の4年目に目標通りの成績を残し円満退社。こうして平成17年、27歳で株式会社フラットエージェンシーに入社することとなった。営業職として下鴨店に配属されたが、ハウスメーカーの営業と不動産管理の仕事は近いようでもやはり別物であった。頭の上で飛び交う専門用語の数々。AD(業務委託料)などという基本用語ですらわからなかった。自分では意識しなくとも周りの社員からは「社長の息子さんが入社してきた…」と見られた。
下鴨店には忘れられない人、女性の鬼軍曹がいた。親の世代より年上で迫力があって正直なところ怖かった。でもまわりの社員が社長の息子だからと気を遣って教えてくれなかったことを丁寧に厳しく教えてくれた。まわりが言えなかったこともズバズバと言われた。
この人がいてくれたから今の自分があると言える。
またこの世界で生きていくのに専門用語の習得以上に高い壁があった。宅地建物取引士の免許をとらないと仕事にならないのである。毎朝5時に起き勉強して、仕事が終わって10時からまた勉強した。社長の息子さんの「お手並み拝見」のような周りの目も意識したしプレッシャーであった。不退転の覚悟で臨んだ試験であったが、なんと試験の前日がお店の「オーナー様感謝祭」となり夜遅くまでの現場仕事であった。
本音を言えばイベントに参加するより最後まで勉強をしたかったが、もちろんそんなことはできない。同じ試験を受ける社員が受かって自分が落ちたら…どうしよう。そんな心の小さな心配事が偽らざる本音であった。
しかし結果は合格。「勉強する時間が取れなかったのに、よく受かったね」と当時の上司から言われた。とてもありがたい、最大級の誉め言葉であったと思っている。


 

初めてリーダーになって悩んだこと

平成18年7月、京都産業大学前店の5代目店長に着任することとなる。初めて組織の長となり、基幹店であり、愛する母校の担当でもある。それだけに気合が入ったし、力みもあったかもしれない。
当時は提唱されたばかりのクールビズを取り入れ、机の配置、学生が入りやすい店づくりなど、自分の想いを全面にだした。オーナー様との接し方は前の職場で鍛えられた上司から教わっていた。お客様の本音を聞き取る力。自分が店長になってはじめて前の上司が言っていたことが体に沁みてわかった気がした。

当時の京都産業大学前店

当時の京都産業大学前店

部下2人の接し方にも悩んだ。前職では自らの向上を目指し、深夜の11時でも12時でも頑張ったけれど、それを課すわけにはいかない。1人で自分がやった方が早いし確実だけど、それでは部下のやりがいは作れないし育ちもしない。
かといって部下が自主的に自分の仕事の領域を広げてくれるのを待つわけにもいかない。
「どうしたら効率的な仕事ができるのか」と思いながらジレンマや葛藤に苛まれた日々でもあった。「どうしたら営業数字が上がるのか、結果が伴うのか」ばかりを考えていたから、今思えば自分の心にも余裕がなかったのだろう。
社員とコミュニケーションを図りながら結果を出すことの難しさ大切さ。そしてそのプロセスにおいて人は育つということを身をもって経験し勉強することができた期間でもあった。
店長として悩んだ時には答えは見つからなかったが、社長となった今は全社員の「意識」や「働き方」の改革をテーマにして、より高い次元で挑み続けている。

 

京都の町家は古家ではない 子や孫への伝承

フラットエージェンシーが近年取り組んできた、さまざまな取り組みや事業についても触れたい。今ではその文化的な価値が認識され、保全や再生が叫ばれる京町家も、ほんの10数年前は「古家」と呼ばれ文化的にも資産的にも価値のないものとみなされていた。
ある時リノベーションされた京町家を見て、体に電気が走るような感覚を覚えた。現代建築とは違う意味の住まいやすさや空間を確かに感じることができた。お客様に教わった伝統家屋の美学と、そこに暮らす人々の息吹きを末永く伝える社会的責任を感じたからである。
これを機に、京町家の保全再生には今までの(当社の)ノウハウを活かし、より積極的に取り組むこととなった。
昨年はこの町家再生など、まちづくりに対する取り組みを各界から評価していただき、公益財団法人京都高度技術研究所から「これからの1000年を紡ぐ企業」認定をいただいた。

これからの1000年を紡ぐ企業認定式で門川市長と

これからの1000年を紡ぐ企業認定式で門川市長と

これからの1000年を紡ぐ企業認定でのプレゼンテーション

これからの1000年を紡ぐ企業認定でのプレゼンテーション

また京都商工会議所からは「知恵ビジネスプランコンテスト」認定もいただいた。他にも、経済産業省からは「地域未来牽引企業」の認定、公益財団法人日本デザイン振興会からは「西賀茂のいえグッドデザイン賞」の受賞、そして京都府からは「多年に亘る留学生支援」の感謝状をいただいた。

知恵ビジネスプランコンテスト受賞式で立石会頭と

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グッドデザイン賞受賞式

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