600年近くある鷹山の歴史
鷹山は、応仁の乱以前から後祭の山鉾巡行に参加していた記録が残っており、600年近くの歴史があります。大火などの災害に見舞われるたびに復興し、江戸後期には屋根があり、囃子方が搭乗する大型の曳山となっていました。しかし、再び災害に遭い休み山となっていたところ、幕末の蛤御門の変に伴う元治の大火が発生しました。大火の迫る中、御神体の御頭など数点だけは運び出されましたが、他は全て焼失してしまいました。
以来190年以上、町内にて居祭を継続しておりました。その間、何度か復興に向けた動きがあったようですが、実現には至りませんでした。当時は、人材も資金も町内が自前で用立てないといけないということが大きなハードルであったと思われます。
知ることから始まった復興活動
今回の復興へ向けての最初の一歩は、2012年から開始した「鷹山の歴史と未来を語る会」でした。自分たちで鷹山についての勉強会をまず始めたのです。
次の一歩は、2014年から囃子方を結成したことでした。江戸後期の鷹山には囃子方が乗っていましたので、復興に向けては囃子方が必要でした。この時の初期メンバーが、現在囃子方の代表の西村健吾さんと副代表の小町崇幸さんです。西村さんは34年間、小町さんは17年間、北観音山の囃子方をしていました。経験者の二人を中心に、囃子方はとても精力的に活動して参りました。
私には、鷹山の御神体が、この二人に囃子の修業をさせて、復興のために呼び戻したのではないかとさえ思えます。鷹山の囃子は北観音山をベースにはしていますが、オリジナリティを出すために、毎年アレンジを加えています。一般の方にはあまり大きな違いは感じられないかもしれませんが、アレンジを加えて変化を続けていることが特徴ともいえます。
多くのご寄付やご縁で、さらに進む復興への取り組み
その次の一歩は、2015年に一般財団法人を設立したことでした。他の保存会はほとんど法人化されていますので、鷹山も組織などを整えて法人化しました。翌2016年には公益財団法人となることができたのですが、法人化には囃子方副代表で弁護士の小町さんと囃子方で公認会計士の岩﨑良亮さんの活躍が大きかったです。公益財団法人となったことで、社会的な認知度や評価が高まり、より多くの方のご協力やご支援を得ることができるようになりました。
公益財団法人となってからは、復興に向けてのいろいろな取り組みが同時並行で進むようになりました。
曳山の本体については、櫓部分は菊水鉾から、石持は放下鉾から、車輪は船鉾から、退役部材を譲り受けることができました。修繕は必要ですが、本体の再建が大きく前進しました。ちなみに、江戸時代の文献によると、船鉾と鷹山とで車輪を共有していた時代もあったようです。歴史的な深いつながりを感じざるを得ません。
本体の屋根や柱などは、町内からも広く一般の方からも多くのご寄付をいただくことで再建できました。また、実際の作業は安井杢工務店に発注いたしました。これもまた巡り合いというべきですが、囃子方の池田有爾さんが安井杢工務店に勤めていることからご縁ができました。作業にあたってはかなり融通していただいていますので、このご縁があったからこそ復興できるのだと思います。
いずれの面においても、復興に必要な人材が次々と集まってくれたのですが、約200年の眠りを経て復興するために、御神体が自ら集められたのだろうと思えてなりません。
「おかえりなさい」193年の眠りから覚めた鷹山
2016年からの2年間、専門家による調査が行われました。膨大な文献や絵画資料をもとに、調査報告書が作成されました。2018年、これらを「放鷹(ほうよう)」として刊行いたしました。そして、巡行への本格復帰の時期を2022年と定めて公表しました。巡行前の3年間は唐櫃巡行として参加することになりました。
2019年7月24日の朝、巡行出発地点に唐櫃を携えて向かったのですが、各山鉾町の皆様から「おかえりなさい」と声をかけていただき、感激いたしました。くじ改めの場所で私は「193年の眠りから覚めて、鷹が空に飛び立つ思いでございます」と口上を述べました。
2020年と2021年、山鉾巡行については中止となりましたので、鷹山は唐櫃巡行をすることができませんでした。これ自体はとても悲しいことであり、色々な経験を積む機会がなくなり、大変苦慮しているところです。しかしながら、一歩立ち止まることで、新たに見えてきたことがあります。と申しますのも、これまで私たちは「巡行に参加する」ということを目的に活動してきました。しかし、祇園祭の本義とは、いうまでもなく疫病退散です。巡行はあくまでもその手段に過ぎません。手段を目的と捉えていたことになり、これは間違っていたのだと思います。コロナ禍で一歩立ち止まることで、祇園祭の本義を再確認し、真の目的を明確に意識することができたと思っております。
さて、本体の再建は順調に進んでおります。木部は、いただいた部材を修繕し、屋根などの部材は新調しました。天水引は、八坂神社の御神紋を刺繍にさせていただきました。一番水引は麒麟が躍動する図柄となっております。二番三番水引は、鳥や花の図柄で、伝統的な手織の製法で製作いたしました。前後の胴懸は、トルコ製のアンティークを購入しました。左右の胴懸は、ペルシャにて、伝統的な素材と製法で製作いたしました。この他にも、角房飾りを新調し、曳き綱を寄贈いただくなど、本格復帰できる状態に近づいております。
来年2022年の本格復帰までの1年間は、おそらくあっという間に過ぎてしまうと思います。今すでに、次から次へと課題が見つかって、それに対応することで精一杯の状態です。来年こそは、以前と同じように祇園祭を盛大に行うことができることでしょう。鷹山としては、疫病を退散できたことへの感謝を込めて、胸を張って巡行したいと思います。