祇園祭と市電

京都の夏といえば中心部で繰り広げられる祇園祭ですが、かつて市電が走っていた頃には山鉾巡行に支障を来さないように市電を運行させる様々な工夫がありました。

市電開業時のお話

祇園祭は室町期にそのルーツがあるといわれ今年で1150年というポスターも見たことがあります。一方、明治28(1895)年に我が国初めての路面電車が京都で走った話は有名ですが、これは京都電気鉄道(京電)という民間企業によるものでした。京都駅から伏見油掛、同じく京都駅から木屋町通を北上して蹴上や出町、堀川通を北上した電車と堀川下立売で合流し、北野に向かう路線がありましたが、これらの路線はまだ山鉾巡行のエリアとは直接重なりませんでした。

そんな中、京都再生を願う「明治の三大事業」、すなわち「第二疏水の建設」「上水道の敷設」「道路の拡張と市電の開業」の3つが展開されました。その「道路の拡張と市電の開業」はまず烏丸通や四条通で着手されました。それまでの道幅は街中といっても3~4間程度だったのを道路の左右の民地を買い上げ、左右に歩道が付いた幅12間(約22m)の道路に整備し、その真ん中に電車を走らせるという近代都市の街路づくりのビッグプロジェクトが展開されたのです。

その市電の最初の路線は京都駅前~烏丸丸太町~千本丸太町~壬生車庫と四条烏丸で分岐して四条通の四条小橋(木屋町)~西洞院間であり、明治45(1911)年6月に開業しました。ところがこの年の7月の祇園祭の山鉾巡行に際して市電の架線(約5m)が鉾(約30m)に当たることが明確になると、監督官庁である府知事は交通優先ということで山鉾巡行の中止命令を出したのです。もちろん巡行を仕切っていた地元は猛反発。結局、一部の架線を切断して鉾を通すことで巡行が許可されたのです。

鉾を通すために烏丸通の架線を取り外す

当時の「先祭」の巡行コースは四条烏丸→四条寺町→寺町松原→烏丸松原でした。烏丸以西に位置する鉾が烏丸通を横断する時に、また四条寺町で東行右折するときに市電の架線が鉾の動きを遮ってしまいます。そこで架線を切断して巡行させたのです。「祇園さんには逆らえない行政」の一例です。

四条烏丸界隈のお話

先祭の巡行のコースが昭和31年からは四条寺町を東行左折し寺町通を北上、同36年からは四条河原町を左折し河原町通を北上することになりました。いずれにしろ四条烏丸が出発点であることには変わりなく、長刀鉾以外の鉾は烏丸通より西から出発するため、烏丸通を横断しなければなりません。そこで四条烏丸では鉾を通すために市電烏丸線の架線の一部を切断(正確には特殊な金具で接続してある架線を取り外した)したのです。

しかしその間、烏丸線の電車を運休するわけにはいかないので、巡行の切れ目を見計らって架線のない部分を惰性で運転するという「離れ業」を昭和49年の烏丸線廃止の前年までやっていたのです。具体的には走ってきた電車が架線のない区間に入る直前に、車掌がビューゲル(屋根の上の集電装置)のひもを引っ張って下ろし、一時的に電車の惰力で四条通を横断させていたのです。

ところが、例えば歩行者が急に飛び出してきたりしてあわててブレーキをかけて止まったところが架線のない場所だったら電車は起動できません。そこで交通局の職員や警備の警官が乗客が乗ったままの電車を押して無電区間から電車を「脱出」させたことがありました。その様子を知人が写真に残してくれていました。ちょっと滑稽ですが、当事者は一生懸命だったことでしょう。

みんなで「エンヤラヤー」
(直山明徳氏撮影)

なお、鶏鉾や月鉾は四条通の南側に位置しているので、四条通の北側の車道に出なければなりません。ということはやはり四条通の架線に当たるので四条室町や四条新町でも架線を取り外したようです。また、全ての鉾が烏丸通を東に越えると架線を修復し、今度は烏丸御池の架線を外さなければ鉾が新町御池まで帰って来れません。交通局の作業員さんは特殊な高所作業車とともに大忙しだったことでしょう。

四条通・河原町通の工夫と辻回し

今、7月17日の山鉾巡行は四条通も河原町通も道路の真ん中をかっこよく巡行していますが市電が走っていた頃は写真のように四条通では南側から、河原町通では東側から架線を吊り下げるように工夫されていました。つまり四条通では北側の車道を、河原町通では西側の車道を巡行し、四条河原町の「辻回し」(鉾の方向転換)は交差点の北西角で行われていたのです。道路は中央部から歩道側に傾斜があるので、ただ引いているだけでは鉾はしだいに歩道側に寄って行くので、鉾を引くのは今よりはるかに難しかったことでしょう。

河原町通では架線を東側から吊り下げていた

また四条河原町の北行きの電停(安全地帯:今から思えば幅数10cmしかないプラットホームが安全だったとは)は四条河原町交差点のすぐ北側にありました。その安全地帯と歩道の間を鉾が通り抜けたというのは信じられなかったのですが、実は毎年巡行の度にその安全地帯を撤去していたそうです。こんなところにも「祇園さんのスゴサ」を感じます。

当の電車は、四条通では西洞院と四条河原町の東側に折返しができるポイントがあって宵山や巡行中はそこで折り返し運転をしていました。河原町通も同様に二条と四条河原町の南側のポイントを使って折り返していました。ちなみにこの四条河原町の南側の折り返し用の臨時停留所の安全地帯は、北詰とは逆に宵山・巡行の期間のみ設置する据え置き型の仮設タイプだったようです。

1000年以上の歴史がある「山鉾」に対し、新参者の「市電」は様々な工夫を重ねて運転されていたのです。


(2019.7)
※2019年夏の記事です。

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この記事を書いたライター

 
昭和30年京都市生まれ
京都市総合教育センター研究課参与
鉄道友の会京都支部副支部長・事務局長

子どもの頃から鉄道が大好き。
もともと中学校社会科教員ということもあり鉄道を切り口にした地域史や鉄道文化を広めたいと思い、市民向けの講演などにも取り組んでいる。
 
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