地蔵盆を守り通した京都人 ~みたまと語らう京都の8月(4)~【京都人度チェック】

昔から京都人に信仰されたお地蔵さん

お盆が過ぎると、夏もテンポを上げて走り出していきます。暦からいくとお盆も立秋をすぎてとうに秋。目にははっきりとは見えへんのやけど、吹く風に秋を感じる…とどこかの歌にあったような時期を迎えているのです。

そんなお盆過ぎの京都で行われるのが「地蔵盆」。「~盆」とは名前が付いていますがお盆と直接つながったものではなく、そうはいっても関連も無くはないかなというようなあいまいな関係を持っています。ただ言えるのは、これは子どもたちのため、町内のための行事であるということでしょうか。

明治になるまで、地蔵盆は地蔵祭や地蔵会と言われていました。いつから始まったか明確な記録はありませんが、江戸時代初期には行われていたという記録があるそうです。この地蔵祭は一説によると子どもの遊びから始まり習慣化したものやったらしいです。早く亡くなった子供は賽の河原で石積みをすると言われていますが、そこに鬼がそれを壊しに来て子どもを苦しめます。そんな時に子どもを救ってくれるのがお地蔵さん。その信仰の歴史は古く、正倉院にはすでにお地蔵さんについてのお経があったそうです。中世では室町幕府を開いた足利尊氏も信仰が深かったということで、一般の民衆へも信仰が広まっていきました。お地蔵さんには、危機に瀕している人の代わりに矢を受けたり噛まれたり身代わりまでしてくれる話(注1)が多く、子どもだけではなくて地獄や苦しみの世界に堕ちた人々を救う仏さまとしてとても身近な仏様やったことがわかります。

そんなことで始まった地蔵盆、今も京都の町にはお地蔵さんの像が五千(注2)とも一万(注3)とも言われています。平成25年の京都市の調査によると調査数の約8割の町内が今も地蔵盆を行っているという結果が出ているので、市内の以下にたくさんのお地蔵さんが町内の人たちによって大事にされていることがわかります。

京都人度チェック① 地蔵盆を行う日は?

さて、町(ちょう)にとっても地蔵盆と言うのは年間行事のメインイベントなので、準備は年度初めから行われます。まずは今年地蔵盆はいつやるかを決めます。やるかやらへんかは問題ではないのですよ。やるに決まってますし。でもお子さんのやはらへんお町内は悩ましいところですね。ここが近年のまず大きな一つ目の問題ではあります。まぁとにかくやるということにして、日にちなんですがこれは昔は決まってました。まずこれが1つ目の京都人度チェックになりますかね。

では最初の京都人度チェックです。

①地蔵盆を行う日はいつですか?

それぞれの仏さんには縁日(ご縁のある日)というのがあって、地蔵菩薩の場合は24日やそうです。それで前日と含めて23,24日の2日間するというのがもともとの開催日でした。昔は地蔵盆の日に皆お休みしたので仕事とかち合うことがなかったんですが、今のサラリーマンはそういうわけにはいきません。それで24日が来る前のできるだけ近い土日に設定されるようになりました。今年なら21・22日が一番多いのやないでしょうか。この日にち変更は‘90年代以降に目立つようになってきたようです。バブル時代を経て、みんなの意識が何か変わったんでしょうかね。母から聞いたんですが、これ、本来の日より後やったらあかんらしいです。そういうたら法事でも命日より前にやるのが一般的なので、それとおんなじことなのかなと思います。

▲地蔵盆の開催日(四角)とお地蔵さん・大日さんの縁日(丸)

また、みんなが忙しくなって2日間もできひんようになってきたので、1日だけ行うところがかなり多くなってきました。子どもにとってはものすごく残念なところですが、親も忙しい中必死で時間を作ってやっている町内も多いので、やれるだけでもよしとせんとあかんかもしれませんね。それから、京都に住んでる人の子どもが京都から離れている場合、お盆休みしか帰れへんことが多いですから、最近はお盆の間に地蔵盆をする町内も増えてきました。お盆なのか地蔵盆なのかわからんようになってきてますが、帰省する人にとっては便利かもしれません。私の場合はお盆が忙しいので、地蔵盆と一緒やとちょっと困りますね。 また、京都の小学校は最近夏休みが短くなって、今までやってきた日取りやと終わったらすぐに学校が始まって大変なので早める場合も多いそうです。

それから地蔵盆の日にちにはもう一つのパターンがあります。地蔵盆といいながら「大日さん」をお祀りしている町内の場合です。「大日さん」とは「大日如来」さんのことなのですが、正直「大日さん」はどこが「お地蔵さん」と違うかようわかりません。みんな石仏で、お顔がかなり風化してる方もやはったりするものですからねぇ。まぁ違いをあえて言うならば、「お地蔵さん」はみんなでお守りしてるのに対し、「大日さん」は特定の個人が自宅の敷地内でお祀りしていることが多いです。そして「大日さんをお守りしているとその家は繁盛する」と言われ、反対に「おろそかにするとその家は没落する」というスーパーパワーを持った仏さんなのです。なので、この「大日さん」というのは本来の「大日如来」さんとはちょっと違うような気がします。たしかに大日如来さんも強い仏さんですが、特定の家の運に関わってるところなどをみると民間信仰の部類に入ってるように思えます。

ちなみに、大日さんをお祀りする地蔵盆は少し日が違うんですよ。お地蔵さんの縁日は24日でしたが大日如来さんは28日、よってお祀りする日は28日になるまでの一番近い土日のどちらか、というのがここ10年ぐらい前までの決め方となっていました。なので大体お地蔵さんをお祀りする場合の地蔵盆の1週間後になることが多いです。ところが、最近は夏休みが25日ごろ終わってしまうのでそれまでにはやらんとあかんようになり、お地蔵さんをお祀りしている町内と同じ日に行うことが多くなってきているのです。(注4)学校の都合で地蔵盆の意味合いが変えられるのは残念ですが、子どもあっての地蔵盆なのでこれもご時世、仕方のない事なんでしょうね。

京都人度チェック② 地蔵盆ですることは?

さて日が決まったら次は中身をどうするかを決めんとあきません。前準備の話し合いは、うちの町内では7月の初めごろに行います。町会長・副会長・会計の三役が大体のあらましを決めて、総会を開いて町内の人に言うか、回覧を回して了承を得るという段取りになります。

ではこの中身、地蔵盆では実際にどんなことをするのでしょうか?これをチェックにしましょうか。

②地蔵盆で行うことを並べてみてください。

これは地蔵盆をやっているお町内の方には簡単ですね。見たことがある方にもわかるかな?はじめに、当日「以前」にすることをみてみましょう。

まずは子どもがすることです。

1)お化粧

子どもが自分にするのやありません。お地蔵さんにお化粧するんですよ。地蔵盆前になったらお地蔵さんを祠から出して、きれいに洗ったあとに絵具やポスターカラーで色を付けます。子どもらはとっても楽しそう。いや大人でも面白いと思いますよ。石仏さんをお地蔵さんらしくするためにお化粧したという説(注5)もあるそうですが、とにかく色鮮やかに塗りつぶします。場所によっては友禅や染色の職人さんが描かはるところもあります。実際に見たことありますが、本職さんなのでそれはきれいなお顔になるんですよ。

▲お地蔵さんのお化粧

2)行灯描き

これをやったはるお町内も随分減りました。大きい行灯と小さいのもあります。大きい方は私の実家の町内でも作りましたが、長さが3m以上もあったでしょうか、地蔵盆中、道を挟んだ両側の家にロープをくくりつけて道路の上に吊るしました。その行灯に子どもたちがその時代に流行っているものを描いていくのですが、その作業も楽しいし吊るされているのを見るのも嬉しかったですね。そしてさらに楽しいのは終わったあと、みんなで手や足でその行灯を破ること!夢中になって破ってました。子どものストレス解消にもなってたような。小さな行灯はそれぞれのお家の玄関横に飾るもので、すでに私の時代でもかなり少なくなってました。絵を前に描き、横には「子供中」って書くんですよ。「町内の子ども達みんな・一同」って意味ですかね。あ、もちろんどの絵も子どもだけでは収拾がつかんようになるので、大人がちゃんとお手伝いします。

次に大人がすることです。

1)おやつ・福引の景品の予約・買い出し

おやつや福引の景品は、事前に予約注文してギリギリにもらいに行きます。人数を間違えたら大変なので、ここはしっかりするところです。

2)お供えの準備

お供えはお花、ほおずきや押し菓子(砂糖で代用するところも)、夏の野菜(きゅうり・さつまいも・なんばなど)と果物などのお盛物を用意しておきます。ほおずきはお地蔵さんの提灯ということで、ほとんどの町内でお供えされています。お盛物はお盆のときのと似てますね。お地蔵さんへのお供えも大事なので買い忘れのないように気を付けます。

お供え物をお地蔵さんの前へ

うちの町内は、設置する道具を前日のうちに倉庫から出し、当日朝早くお地蔵さんの飾りつけをします。これは町内総出の作業、みんなタオルを首にかけての大仕事です。子どもの遊び場所も必要なので、車の通らないところにテントを張り、地面にすのこを置きその上にビニールカーペットを敷いて場所を確保します。

そこまで済んだらお供えです。写真のように町内によってお供えはいろいろ。色とりどりのおかずが作られ供えられていますが、精進料理が基本なので肉魚はありません。しかし、お酒はある!目の前にビールがドーン!

お盆の時は肉魚はもちろんお酒も一切ダメでしたが、地蔵盆ではここが違うところです。これはあとで行う懇親会のための準備なんですね。なので、なんとなく仏教、なんとなく宴会、という感じ。ここに「地蔵盆で一番大事なのは何か?」が表れています。お地蔵さんの信仰は大事やけど、みんなが仲良く、みんなが地蔵盆を楽しむことことがなにより大切なんです。そしてみんなで「町内安全」を祈るのです。

お供えはものだけでなく金銭もあります。いやむしろそちらがメインですね。お金を包む袋(金封)は人によっていろいろです。赤白の水引がついてたり、中には黄白のもあります。でも私の見る限り無地の袋(お供え袋)が一番多いです。これ、地蔵盆やからというわけやないけど、お盆の上に乗せていくんですよ。このお盆が大事で、あとで役に立つのです。

全ての町内で行っているわけではありませんが、お供えを受け取ると金封だけ預かり、お盆は名前を書いた紙片を付けてお地蔵さんの前に積み上げられている町内もあります。

お供えをこれだけもらいましたよ、というお地蔵さんへの報告なんですね。

昔も今も地蔵盆は子どものパラダイス!

町内の行事は時系列で表にして配られたり、町内の家の外に貼られたりします。

▲上京区内にある町内の地蔵盆予定表

子どもらはランチ会やスイカ割り・ふうせん釣り・金魚すくい・ゲーム・花火と遊び放題です。夕方には今度は大人も入って懇親会、反省会というような名前で宴会が開かれ、バーベキューなどするところも少なくないです。

子どもも大人もおやつと福引は楽しみです。おやつの時間が来ると、数人の子どもたちが鉦を「カンカンカン」と叩きながら町内を回り、それを合図に町内の子どもらがおやつをもらいにお地蔵さんのところへやってきます。鋭い音がするので遠くの方からでも家の中からでも良く聞こえます。この鉦はお寺にもよくあるもので、祇園祭で叩く鉦にも似てますね。以前どこの町内でも行われていたご詠歌でもお鈴(りん)とともにこの鉦が使われていました。

福引はそんなに高価なものが当たらへんとわかってても嬉しいものです。昔は「ふごおろし」と言って、2階から当たった景品を籠に入れてロープで降ろしたりしました。「ふご」とは竹やわらを編んで作った容器のことで、鳥の雛を育てる時に使う藁製の入れ物もそう呼びますね。ふごおろしではもっと大きなかごを使います。昔の京町家の中(ちゅう)二階で景品を「ふご」に入れるのですが、降りてくるまで何が入っているかわからずみんなドキドキしたと母から聞きました。母の世代の子ども時代は80~90年経っているので随分と古い話やし、今はもうないやろと思ってたんですが、上京区にもまだやったはるところがいくつかあると聞いて驚きましたね!写真は西陣の真ん中あたりにあるお町内のふごおろしです。かごを背負ったくまさんが降りてきますね。

また別の町内のふごおろしを見せてもろたんですが、そこは籠を降ろすまでの間ずっと、古い銅鑼(どら)を「ガンガンガンガンガン!」と鳴らし続けやはるのでビックリしましたよ!そののち浄土宗のお寺で同じものを見つけました。やはりお寺さんの行事とどこかでつながっているのでしょうか、行事ひとつにも深いものを感じます。子どもらは大きくなってもこの音を覚えているのでしょうか。今は目の前のおもちゃしか意識してませんけどね。

この日子どもらはいくらおやつを食べてもいくら遊んでも怒られません。子どものためのお祭なので。もう天国です。私もこの日だけはいくら子どもがアホみたいにおやつをほおばっていても叱りません。言いたいときもありますが、大人も大体タガが外れてますので…

民間信仰としての地蔵盆

遊びがいっぱいの地蔵盆ですが、本来のお祭部分もありますよ。お地蔵さんへの読経やお参り、数珠回しなどです。近所のお寺さんにお願いして来ていただき、お経を詠んでもらいます。そこでお焼香をしたり、数珠回しをしたり。子どものころ、数珠回しは楽しかったですねぇ。町内の人が車座に座り(子どもメインですが)、長い長い数珠をみんなで回します。お寺さんが叩かはる鉦に合わせて「な~んま~んだ~ぶつ!」て言うのですが、お地蔵さんやのになんとなく変ですよね。数珠回しは江戸時代、17世紀にはもう始まっていたそうで(注6)百万遍朝まで唱えるというのもあったといいます。浄土宗でやらはる不断念仏っていう修行に似てますね。

お地蔵さんやのに阿弥陀さんのためのお念仏を唱えててもだぁれも「それおかしいやろ!」と言うたりしやへんこのおおらかさ。いろんな宗教の考えが混ざって、町内の人が「これええやんか、これもやろか」と思ったらみんなでやるというのが地蔵盆です。昔も宗派の違いはあったやろうに面白いですね。今はもう少しみんなの考え方が厳しくなってるかもしれないですが、お参りも自由にするということになっているので、嫌な人は無理に参加する必要はありません。地蔵盆は「宗教」の枠には入りきれんもの、「町内の人がそれでええと言えばそのまま続いていく」というゆるやかな民間信仰。そして何より町内のための必須のイベントとなっているのやと思います。

不思議なおさがり

さて夕方になり、そろそろイベントも大方済むと、お地蔵さんのお供えのお下がりをいただくことなります。私の実家の町内ではそれを「お盆返し」と言っていました。そこであのお盆が活躍します。

▲お盆返しの中身

そう、お下がりはお盆に乗せて返されるのです。おさがりが多いところはこの大きさでは無理かもしれませんが、返されるものの量がわかってるのに大きなお盆で持って行くのも恥ずかしい。「たくさんちょうだい!」って言うてるみたいでね。

ところで、この中にある「天道大日如来」とハンコが押されている紙、何かわかりますか?これは「幡(はた)」「人形(ひとがた)」「まんだら」とか呼ばれているもので、災厄除けに1年間玄関に吊るしておくのです。町内にもこれが何なのか知らない人が増えてきてますが、それはちゃんと伝えんとあきませんよね。

うちの実家は西陣の中心から見て南西の方向にありますが、そのあたりだけ5枚色違いの「幡」が配られるのです。そして西陣の北部から北区にかけては赤と黄の2枚の同じ形のもので「まんだら」というのがあります。お寺さんにも同じ幡があったり、六地蔵まいりのときにもらう幡も同じ形をしています。これは京都の中でも非常にローカルな風習なのですが、いまだに謎でいつか調べてみたいですね。


地蔵盆は町内の結束を確かめる大切な機会

そして夜になればお楽しみの懇親会!ふだんは挨拶程度しかしやへん人たちともお話ができる楽しい時間です。お寿司やおつまみ、お素麺もでてきます。みんなでお料理を作ったり、お供えのお酒もここでふるまわれます。ふだんゆっくり話ができひんご近所さんと語らう大切な時間が流れていきます。私も結婚してしばらくはほとんど近所の人と話ができませんでしたが、地蔵盆のときにいろいろと話しかけてもろてそれ以来ご近所付き合いが楽になりました。

町内に住んでる子どもらも、幼稚園以下の子は集団登校もないし顔を合わせることが少なく、ここで初めて会う子たちもいます。もちろんお母さんも初めてやったりすることもあって、この場所はママさん同士話のできる町内の社交場となるのです。年に1回だけの楽しい遊び。子どももお母さんたちもすぐに仲良くなります。そしてその出会いがお互いの助け合いにつながっていくのです。

そしてあっという間に楽しい時間は過ぎていきます。どんな話をしていても最後はいつも「やっぱりこの町内はええなぁ。」という話で終わるのです。子どももみなものすごく楽しみにしているイベントであり、大人も年に一回の町内の結束を確かめる機会となっている地蔵盆。この結束が大事。災害が起こった時もみんなの顔がわかる。消息が分からん人がだれかすぐ判断できる。楽しみながら災害にも備えられるなんて、やはり京都にはなくてはならんものやと確信しています。

地蔵盆が済むと急に夏は色あせていきます。「みたまと語らう8月」もあとわずか。亡くなった人と丁寧に接し、おもてなしをする月。その過程で、生きている人たちとの交流を密にする大事なひと月。京都の人間には、8月の意味合いが、この蒸し暑さとともに心に深く刻まれています。


地蔵盆の危機を乗り越える!

さてこの地蔵盆、実は何度も廃絶の危機を乗り越えてきているのです。一番近く大きかったのは明治維新のとき。明治4年10月、京都府が「地蔵・大日如来を祀ってはいけない。無益にお米やお金を寄付し、人が多数集会して無用に時を費やしてはいけない。石像とお堂を撤去して売れるものは売って小学校にお金を納め、売れないものは小学校に片付けておくこと。」(注7)という意味合いのお達しを出しました。長州出身の槇村正直という当時の副知事が先頭をきり、「古い習慣を根絶しよう!」という強力な意志を持って政治を行っていたようです。いや~しかしこれどう思います?こんなことやっても意味が無い、無駄なのでお地蔵さんを売れ、お堂を壊せと。もちろん地蔵盆は行えません。この時代の方たちはどう思わはったでしょうね。私やったら血の気が引いて怒りで震えるかも。でもお上が言わはることです。民の声など届かん時代、逆らったら捕まえられるでしょう。そこでみなさんどうしやはったか、です。

当時の記録によると、ある町ではお地蔵さんを町内の人が町から買ったことにしてお金を納め、お地蔵さんはその人の家で保管されました。ある町では路地(ろうじ)の奥にひそかに隠し、またある町では近くのお寺に預かってもろたそうです。みなさん壬生寺てご存じですか?新選組で有名なところですが、実はここには「千体仏塔」という大きなお地蔵さんの塔が建っています。ここのお地蔵さんはそのころ預けられたものが多いんですよ!

▲1970年ごろの壬生寺のお地蔵さんと筆者。

今まで手を合わせて来たお地蔵さんを売るなんて、昔の人はきっとできひんかったでしょう。ましてや壊すとかもってのほか、そんな罰当たりなことはできません。隠すことのできひんかったお町内の人たちは、泣く泣くお寺に持って行かはったのです。お寺さんもよくよく事情はご存じですから、快く引き取ってくれやはったに違いありません。引き取られたお地蔵さんの気持ちになると、今でも私はウルウルしてしまうのです。

今は仏塔の場所が少し変わり、平成元年(1988年)に今の形に整備されましたが、昔は写真のようにお地蔵さんで山盛りになっていました。この写真を見ていると、町内の人たちのお地蔵さんへの思いが溢れてきているように思えます。ここのお地蔵さんは今も大活躍で、地蔵盆のときマンションや普段お地蔵さんが置けない町内へレンタル?もとい、お出ましになるそうですよ。

さてこのお達し、実は地蔵盆だけやなかったんです。なんとお盆行事や大文字、六斎念仏まで禁止になりました。京都の夏の行事、今回書かせてもろた「みたまと語らう」行事は全滅です。まるで今みたいやないですか。なんと味気ない、そして悲しい京都の夏…

しかし、明治4年に出されたお達しはようやく12年後に撤回されました。その間、全く行事をやってなかったかというと、それは記録が残ってないのでよくわかりません。そやけど行事を大事にする京都の人たちのことです。きっと地蔵盆でも運よくお地蔵さんを隠せた町内は内緒で路地(ろうじ)の奥深く、あるいは個人のお家の中だけとかで行われてたのとちゃうかなと思います。何百年も続いてきた行事を、そんな簡単にやめてたまるもんですか。きっとうまいことやったはった町内も多かったはず。「そんなとんでもない、お上のご命令は聞いてますえ。」と言うて後ろ向いたら、「まぁ適当に聞いときまひょ。」と舌を出す京都人の処世術で。

明治16年から公に、何事も無かったように地蔵盆が再開されました。「地蔵会」「地蔵祭」から名前だけを変えて。そこから約140年、また受難のときがやってきています。でも大丈夫。きっとまた乗り越えられる。子どもらがいる限り、町内の人たちが結束を願う限り。

▲数珠回し
注:
(1)「矢取地蔵」「歯ノ地蔵尊(歯形地蔵)」「矢田地蔵尊・他多数」
(2)京都府菓子卸売協同組合サイト
(3)毎日新聞京都版「京にお地蔵さん何体?」2015年9月29日(花園大学他調査)
(4)今年(2021年)は28日が土曜日で、2日にわたって行われるところに限っては、2日目の29日が日にちが過ぎてできないところから前週の21・22日になります。1日のみの開催町は28日に行うことになります。
(5)村上紀夫「京都地蔵盆の歴史」p.52(清水邦彦「京都の地蔵盆の歴史的研究」引用)
(6)村上紀夫「京都地蔵盆の歴史」p.97
(7)「京都町触集成」第13巻 一四八六号
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この記事を書いたライター

 
上京の、形になりにくい文化(お祭・京都のおかず・伝統工芸・京ことば)の継承のお手伝いをする「京都上京KOTO-継の会」会長。
「鳴橋庵」店主。
「能舞台フェスタ in 今宮御旅所」実行委員会会長。

組紐とお抹茶体験を鳴橋庵店舗にて行っております。
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|鳴橋庵 店主・京都上京KOTO-継の会 会長|お盆/織田稲荷/京都人度チェック/パン/氏子/十三参り