年末、最後の月におまじない
12月に入ると一気に冬が世の中を覆っていきます。ドアの外の空気の冷たさにびっくりして「あ~外出るのいやや~!」て思うのもこの季節。近年暖冬になったとは言うても、やっぱり季節は確実に巡ってくるようですね。しかも最近はもう11月からクリスマスモードなので、余計に日が早いこと過ぎ去っていくような気がしますね。でも12月に入り1日、2日、3日と過ぎていくにつれ、私にはクリスマス以外に「あ、そろそろやな」と思うことがあります。それはあるおまじないの時期になったということ。「十二月十二日」のおまじないというのがあるのです。
さてここで京都人度チェックです。
①「十二月十二日のおまじない」とはどんなおまじないでしょうか?またどんな効果がありますか?
まずは答えからいきましょう。これは文字どおり紙に「十二月十二日」と書いてそれを壁に貼り付ける、というおまじないです。効果としては、泥棒が入るのを防いでくれると言われています。
これにはルールがあって、12才の女の子(数え年)が12月12日に「十二月十二日」と書かんとあかんことになっています。「12」尽くしで面白いですね。かく言う私も母に書かされました。小学校5年の冬のある日、おこた(ホームこたつ)でボーっとテレビを見てた私のもとに母が硯と十ほどに切った半紙を持ってきました。母は私の前にこれをポンと置いてこう言いました。
「今日は12月12日やしな、あんたはこれ書かんなんのん。」
「え、なにそれ?そんなんいつ決まったん?私知らんけど。」
「昔々から決まってるのん。はよ墨磨って書きよし。」
「何書くのん?!」
「『十二月十二日』て書き…あ、漢数字やさかいにな!アラビア数字で書いたらあかんえ!あ、縦書きにしよしや!!」
もうこうなったらイヤもへったくれもありません。はよ書け、て言うて母は前に座ってます。しょうことなし(仕方なし)に書きましたけど、最初はなんかの罰ゲームかと思いましたよ。説明してくれたらええのにねぇ。母の中では当たり前の話やったかもしれんけど、私知りませんやんか。
「…はい、書けたよ。これでええのん?」
このころの私は素直でしたね。ちゃんと全部の紙に書きました。そこでやっと母は、これがおまじないやて言うてくれたんです。
「う~ん、ちょっといがんでるけどこれが一番ましかな。これにしよ。」
「え~っ!1枚でええのかいな!」
そうなんです。これは玄関に貼るものなので基本1、2枚でええのです。先に言うてくれたら真剣に書いてすぐやめられたのに。
十二月十二日の意味は?
この「十二月十二日」にはどういった意味があるのでしょうか?それはこの日にあった出来事と関係があります。実はこの日は「石川五右衛門が京都鴨川の三条河原で処刑された日」と言われているのです。泥棒が入って来てこのお札を見たときに、石川五右衛門を思い出し、「あ~俺は石川五右衛門みたいな最期はいややなぁ~」と思って犯行を思いとどまる、という仕掛けなんやそうです。
さてこれを見て、ひょっとしたら他の地方の方も「あれ?うちでもやってる??」と思う方がやはるかもしれません。確かにこれはわりといろんな地域で行われているおまじないなんですね。そしたら「京都のおまじない、って言えへんのとちゃう?」て思われそうですが、五右衛門が処刑されたのが京都であることから、おまじないがここから生まれたと考えるのが自然かなと思ってます。
石川五右衛門は安土桃山時代、豊臣秀吉がいたころの大泥棒で江戸時代の歌舞伎では義賊ともてはやされていました。昭和世代くらいまでは石川五右衛門を知らん人は無かったでしょう。テレビの時代劇でもよう名前が出てましたね。私が「石川五右衛門」と聞くと、NHK大河ドラマの「黄金の日々」に出たはった根津甚八さんを思い出しますねぇ。
この石川五右衛門さん、歌舞伎の中では南禅寺の山門であの名セリフ「絶景かな絶景かな…」を言うことで有名ですが、もうひとつ絶対忘れたらあかんシーンがありました。私ら世代はもう「絶景かな」と「これ」だけはみんな知ってますよね。若い方は知らんやろなぁ。それは「釜茹で」シーン。この方、なんと釜で茹でられて処刑されやはったんですわ。熱かったやろなぁ、とかそんなもんやない。熱い温泉に入ってるのとは話が違います。
で、その処刑の日が12月12日やった、ていうことなんですね。でも一方でこの日が誕生日やったという説もある。実際「言経卿記(ときつねきょうき)」で山科言経というお公家さんが「文禄3年(1594年)8月24日に三条南河原で石川五右衛門が釜茹でにされた」と書いてます。昔のことやしようわからん、というてもその差はちょっと大きいですね。
でも昔の人もおまじない的にはこの12という「数字の重なり」に効き目がありそうやなと思わはったのではないでしょうか。重なりは希少性を生み出します。1年のうち12月は月として12分の1の確率、12日は1カ月のうち30分の1。そして書くのは12才のしかも女の子でないとあかん。ここまででも相当希少ですが、まだここから12月12日生まれでないとダメとか、12時12分に書かんとあかんとか言う人まであります。12月12日生まれの女の子しか書けへんとなると、探し回らんとあきません。そやけどこうすることでどんどんおまじないとしての価値を上げていってるようですね。
そしてさらに「できたらこれが処刑日であってほしい」と思わはった理由も別にありそうなんですよ。次の京都人度チェックで考えてみましょ。
「逆さま」の霊力?!
はい、2つ目の京都人度チェックですよ。
②12月12日のお札は逆さまに貼ることになっていますが、それはなぜでしょうか?
そうなんです。これ、逆さまに貼るんですよ。それがなんでか、ていうのも諸説あるのですが、よう言われる説が2つあります。
1つ目は五右衛門が釜茹でされたときに逆さまにして入れられた、ということ。煮えたぎってるお湯に入れられたらそら熱いですけど、お湯の中に頭から入れられたらすぐに息もできひんようになるし即死です。時間がかかる「茹で」という表現がピッタリときません。話としては面白いですけどね。でもここで12月12日と処刑がつながるので、前の章で書いたようにこの日が処刑日であるほうがおまじないとしては効果がありそうです。
2つ目は泥棒が入ってくるのが屋根からで、下を覗いたときに逆さまに貼ったお札がよく読める、ということ。どちらがホンマか、はたまた別の理由があるのかわかりませんが、2つともなかなかようできた話です。昔の人も想像力やユーモアがあったんやなぁといつも思います。あ、これアニメで作ったら面白い絵ができそうですね。
字が逆さまになっているととっても目立ちます。看板を逆さまにするとハッとして見てしまいますね。泥棒さんにも見つけてもらいやすくするために逆さまにしたのでしょうか。
しかし私は「逆さま」にはもう少し何かあるような気がしてならへんのです。逆さまにすることで、なんらかのパワーを持たせたと考えられへんかなと。そこで「逆さま」のおまじないで、他に何か例がないかとふと思い出したのは「逆さほうき」でした。これ、知ったはりますか?来客を帰らせる力があるというおまじない。長居してちっとも帰らへんお客さんていやはるでしょ。そんな人をなんとかして帰らせたいと思ったら、別の部屋にほうきを逆さまに立てておくといいと言われます。なんでこんなことするのかは全くわからへんのですけどね。
お客さんがちっとも帰らはらへん時、よう母が私にめくばせしたもんでした。「ほうき立ててこい」と…その日も私はおもむろに無表情で立ち上がって隣の部屋に行き、お家(おいえ=室内)用のほうきを逆さに立てました。うちではまだそこにご丁寧に手ぬぐいを掛けたりして。ところが隣の部屋との仕切りはガラス戸やということをすっかり忘れてた!逆さに立てたほうきがお客さんに丸見えやったという大失態をやらかしてしまいました。その結末がどうなったかという記憶は頭がボーッとして思い出せません…
他にも逆さまのおまじないが?!
私に呪いがかかってしまいそうな大失敗でしたが、これは「ほうき」という「物」のお話。文字を逆さまにするおまじないでは他に何か似たようなものがあるでしょうか。調べていくうちに面白い例が2つ見つかりました。
1つ目は「茶」という字を紙に書いてそれを逆さまに貼るとムカデなどの虫を除けられる、というもの。これは国内のお茶の産地のいくつかで今でも行われている習わしやそうです。お茶を嫌いな虫が寄って来やへんという理由からなんやそうですが、残念ながらお茶にはそんな効能はないということでした(注1)。逆さまにするのはお茶の入れ物をひっくり返すことを意味しているところがあるそうです。
2つ目は江戸時代の話になりますが、こんな歌を書いてそれをお風呂やトイレなど水回りや玄関に逆さまに貼ると、これもゴキブリやウジなどの虫よけになるというおまじないです。
「ちはやぶる卯月八日は吉日よ、神下虫(さげむし)を成敗ぞする」
これはお釈迦様の誕生日の4月8日、灌仏会とか花まつりとか言いますが、この日にいただく甘茶で墨を磨りこの歌を書くのやそうです(注2)。江戸時代の絵にもたびたび出てくきますね。
また、三代目歌川豊国の浮世絵「卯の花月」の中にも歌を書き逆さまに貼った紙が描かれています(注3)。これも江戸の町で、4月の風景やそうです。4月というと花まつりの月。前出のと同じおまじないのようですね。これがあちこちに登場するところを見ると、みんなが知っているごく一般的なおまじないやったんでしょう。
そうそう、そういえば1つ目の茶の字もお茶で墨を磨るところがありましたね。なんだか奥のほうでつながっているような気もします。1つ目は物理的にお茶碗をひっくり返すイメージが強そうですが、2つ目は歌なので逆さまにする意味がわかりません。すると逆さまというところになにか力が生まれると考えても良いような気がします。そう思いながら調べを進めていくうちに、ある中国の習わしにたどり着きました。
中国では「福」という字を逆さまに貼り、逆さまの意味である「倒」を同じ音の「到」に替えて「福の到来」と意味づけるのやそうです。なるほど、逆さまの意味がはっきりとわかるおまじないですが、「十二月十二日」・「茶」や虫よけの和歌は、それぞれやって来てもらっては困るものを除ける道具なので意味が通りません。そこでまたあくまで私の考えなんですが「日本の人は中国の風習を知り形だけ真似た」ていうのもあったのやないかと思うのです。「なんか逆さまに貼ったら効き目があるのとちゃうか?」てね。単純ですが、目立つことには間違いがないので簡単にできるおまじない効果として取り入れたのかなと想像しました。
逆さまにしない方法もある?!
ところで、ここでひとつ「すみません」と謝らんとあかんことがありまして、実家の「十二月十二日」、実は逆さまに貼ってません!先ほどの写真は実際とは逆で、実物はそのまま読める向きで貼ってあるのです。
なんでそうなったかというと、それもまた母が言うてたことなんですが、
「うちは泥棒入っても盗るもんないし、まっすぐ貼ったら火事除けになるて言うさかいにこっち向けにしとこ。」
ということでこうなりました。そら私も「ええっ、そんなオプション的なルールあるのかいな?!」て思いましたよ。火事除けにしたい人は「まっすぐ」を選ぶ、みたいな。母が勝手に言うてるのとちゃうか、とかなり疑って何度も念押ししたんですが、母はいたって真面目にそう答えてました。
そんないきさつがあり、このお札を見るたびに思い出してずっと調べたいと思ってたんです。それで今回これを書くにあたりネットで調べてみたら…ありますやんか。
福島県で行われている風習として紹介されているのですが、どうやら12才の子が書く十二月十二日のお札が火伏になるということらしく、母が言っていたことと似ているのです。ただ、その貼り方はそのままやったり逆さまやったりといろいろなので、そのあたり理由を求めるのは難しそうです。そやけどお札の効き目としての「火事除け」、ありましたよ(注4)。お仏壇の母に謝っとこうと思います。
「重なり」と「逆さま」に込めた思い
今は店として使っている実家には、いろんな地方の方が来られます。お帰りになるときにちょうどこのお札が見えるのでご紹介すると「あ、おばあちゃんの家にあった。」「営業先で見たことがある。」などのお返事をいただくことがあります。京都の若い人たちに聞いてみても「家にある。」「親から聞いたことがある。」と聞くことも少なからずあります。今でも京都だけでなく各地でやったはるところがまだまだあるのやなぁと嬉しくなりますね。
昔の人が信じた「重なり」と「逆さま」のパワーは今の人たちには伝わりにくいかもしれません。でも今も残る古いお札には、家族の平和を心から願った思いがこもっています。そやし見つけてもどうか剥がさんと置いといてくださいね。幸せを継ぎ足すために、新しい「十二月十二日」のお札を貼るまでは。
(2)「Web日本語 そのことば、江戸っ子だってね?!」
(3)東京都立図書館サイト・江戸東京デジタルミュージアム「江戸の歳時記・夏(4月―6月)」より
(4)福島県の火伏のおまじない
・「磐城高校 校長便り その151」
・「日刊☆こよみのページ 2020/12/12 号 暦のこぼれ話/コトノハ」
・「十二月十二日の水」と書く地方もある。