京都人にとっての“この前の戦争”とは、太平洋戦争ではなく応仁の乱。京都あるあるのひとつです。京都が焼け野原になるなど、この戦いは京都そして日本の歴史に大きな影響を与えました。でも、応仁の乱って小学校の教科書にも載っているくらい有名なわりに、「じゃあ、誰と誰が戦って、どっちが勝ったの?」という基本的な質問に答えられる人は案外、いやかなり少ないと思われます。知名度と中身の理解度にこれほどギャップのある歴史用語も珍しいでしょう。2022年は応仁の乱が勃発してから555年。この節目の年にあらためて「応仁の乱とは何だったのか?京都にどんなインパクトを与えたのか?」について見直してみたいと思います。

応仁の乱 勃発の地として知られる上御霊神社

応仁の乱 勃発の地として知られる上御霊神社

とにかくややこしい応仁の乱

応仁の乱がわかりにくいのは、戦いの構図が複雑&曖昧だったことにあります。構図とは「誰と誰が、何のために戦ったのか?」ということです。たとえば、関ヶ原の戦いならば、「徳川家康の東軍と石田三成の西軍が、豊臣秀吉亡き後の政権をめぐって戦い、東軍が勝って江戸幕府を開いた」と説明できます。これが応仁の乱になると、そう簡単にいきません。関ヶ原と同じく東西に分かれたのは同じで、それぞれの総大将もいました。でも、総大将の2人が亡くなった後も戦いは続きます。それどころかこの両者の子孫が和解しても乱は終わりません。さらにタチの悪いことに、どちらが勝ったかも微妙なままフェードアウトのごとく終戦を迎えた…。これが応仁の乱です。もしかすると、当時の京都市民ですら「えっ、応仁の乱って終わったん?」「てゆうか、まだやってたん?」という反応だったのかもしれません。煮え切らないことこの上ないですね。だから知名度だけ先行して中身を知る人が少ないわけです。

くり返しますが、応仁の乱はとてもややこしい戦いなので、いろいろな先生方がいろいろな説を唱えています。だから余計にややこしくなるんですよね。そこで、私はある一人の京都人に焦点をあてて紐解いてみることにしました。その京都人とは室町幕府の第8代将軍 足利義政です。銀閣寺を建てた人といえばピンとくる方も多いでしょう。この人をひと言でいえば「政治家としては超ヘタレ、でも文化人としては超一流」という評価になると思います。良くも悪くも、彼が後世に残した影響は絶大です。

この足利義政を主語に、応仁の乱に至った経緯を説明すると次のようになります。
①あちこちの有力大名の相続問題に中途半端にちょっかいを出し、大名家の内紛を頻発させた。
②よその家を揉めさせるだけでは飽き足らず、自分の家にも泥沼の相続問題をつくった。
③ ①と②が絡みついてニッチもサッチも状態となり、東軍と西軍に分かれた戦いに発展。

それぞれを詳しく見ていきましょう。なお、あらかじめお断りしておきますと、歴史の先生がこれを読んだら激怒するのは間違いないです。でも、ひとつの見方としてはアリだと思っています。

 

①有力大名の相続問題にちょっかいを出し内紛を頻発させる。

当時の守護大名は相続に際し、幕府の承認が必要でした。そこで義政は、幕府の権威をとりもどすべく畠山氏、斯波氏といった有力大名家の相続問題に積極的に介入します。そこまではいいのですが、義政はと~っても優柔不断で周りの意見に流されるがまま、相続人を二転三転させてしまうのです。当然、新旧の相続者が対立することになります。

その典型が畠山家の内紛です。畠山氏は幕府の要職である管領を務める名家でしたが、義政の時代は従兄弟の関係にある畠山弥三郎・政長兄弟と畠山義就が対立していました。あるとき、義政は弥三郎から畠山家の家督を奪い、敵対する義就に相続するように命じます。しかし、弥三郎が亡くなると今度は政長に家督を譲るように命じます。畠山家の家督は敵対する両者の間を行ったり来たりで、こじれにこじれます。富樫氏や小笠原氏など他の大名家にも似たようなことをして、こじらせまくったのが将軍義政なのでした。

畠山家の家督は弥三郎→義就→政長と転々とし、いとこ同士が対立。

畠山家の家督は弥三郎→義就→政長と転々とし、いとこ同士が対立。

②自分の家=将軍家の相続問題を起こす

「総理大臣なんてかったりーな。とっとと辞めちゃって、ゴルフやグルメ三昧の毎日を送った方がよくなくね?」こんなことを考える総理大臣がいたら、国会で袋だたきにあいますよね。これを本当にやっちゃったのが足利義政なんです。トンデモ将軍といえますが、そこには「ワガママな側近たちが好き勝手にモノを言うのでやってられない」という同情の余地もありました。でも、将軍を辞めるためには跡継ぎを決めなければなりません。ところが、義政には後継者となる息子がいません。そこで、すでに出家していた弟の足利義視(この時の名前は義尋)に、俗世間に戻って将軍になってくれと頼みます。

しかし、義視は「兄さんも義姉さんもまだまだ若い。これから跡継ぎが生まれたらどうするの?」という、超ごもっともな意見とともに断ります。このとき義政はまだ20代、奥さんの日野富子も20代前半と若いので、この先に男の子が生まれる可能性は十分にありました。でも何としても将軍を降りたい義政は「そのときは息子を出家させるかなんかするから大丈夫!ノープロブレムよ」と言いくるめようとします。「アカンアカン、そんな簡単に考えたら。パターン的にこの後、男の子が産まれてドロドロになるで」これ、私がその場にいたら言ってたであろうアドバイスです。しかし、私の助言もむなしく(?)義視は「うん、わかった」と言ってしまいます。こうして足利義視は有力大名の細川勝元(細川護熙 元首相のご先祖さま)を後見人として還俗し武士となります。ところが、やっぱりというか、間の悪いことにというか、そのわずか1年後に富子は男の子(後の義尚)を出産します。義視が危惧していたことが現実となったわけです。

このあまりにタイムリーな出産、私なら「富子の子ども(義尚)の父は本当に義政なのか?」という疑念を抱きます。似たようなケースとして「豊臣秀吉の息子・秀頼の父は誰なのか?」があります。こちらは間男の候補者がワンサカいます。が、日野富子は貞淑な女性だったのでしょう。そのような風聞はありませんでした。とはいえ、義政もこの状況で奥さんと子づくりをしたらアカンでしょう。あるいは私の妄想で恐縮ですが、富子はその気のない義政を無理やりその気にさせたのかもしれません。言ってみれば「逆夜這い」ってとこですね。下世話な話で失礼しました。

足利家の会話を盗み聞きしてみた

話を戻します。とにかく将軍家に待望の男の子が産まれました。となると富子が黙っているわけがありません。彼女は「日本三大悪女」の一人に挙げられるほどの猛女です(ちなみに後のお二方は、淀の方と北条政子でした)。「アンタ、自分の子どもがかわいくないのんか?次期将軍は将軍の子どもが受け継ぐ。当たり前のことやんか!」と富子は強烈な圧をかけます。対して「そんなことゆうたかて、もう義視と約束してしもたがな…」とおよび腰の義政。「義視はんにはあきらめてもらいなはれ!」と詰めよる富子。関西弁で話したかどうかは知りませんが、当たらずといえども遠からずの会話があったことは想像に難くありません。つけ加えると「ゆうてもなあ…息子の義尚を将軍にするには10年以上かかる。俺は今すぐにでも将軍を降りたいねん」これが義政のホンネだったのではないかと。よっぽど将軍職がイヤだったんでしょうね。

さて、ところ変わって、今度は兄弟の会話です。
兄「まいったな~、富子ってなんであんな怖いんだろ。お前も嫁さん選びは慎重にしろよ」
弟「で、どうすんだよ?」
兄「え?」
弟「え?じゃねーよ。どーすんだよ?約束通り俺を将軍にするんだろうな!」
兄「あ、その話ね。そんなこと言ったこともあったような、なかったような…」
弟「おい、こっちは住職として安パイの人生を捨ててまで、武士になったんだぞ。俺の立場はどうなる?」
兄「あ、いやいやダイジョーブだって。たぶん…」
弟「たぶん、てテキトーなこと言ってんじゃねーよ」
兄「武士に二言はないよ。たぶん…」
弟「その“たぶん”っての、やめろよ!」
みたいな感じで、のらりくらりとかわしズルズルと先送りにします。某国の政治を見てもわかるように、問題を先送りにしても何の解決にもならないのは明らかなんですけどね。

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この記事を書いたKLKライター

八坂神社中御座 三若神輿会 幹事
吉川 哲史

「西陣がわかれば日本がわかる」という大胆な著書を上梓した京都と西陣をこよなく愛する生粋の京都人。
 
日本語検定一級、漢検(日本漢字能力検定)準一級を取得した目的は、難解な都市・京都をわかりやすく伝えるためだとか。

地元広告代理店での勤務経験を活かし、JR東海ツアーの観光ガイドや同志社大学イベント講座、企業向けの広告講座、オンラインイベント「ひみつの京都案内」などのゲスト講師に招かれることも。

得意ジャンルは歴史(特に戦国時代)と西陣エリア。自称・元敏腕宅配ドライバーとして、上京区の大路小路を知り尽くす。夏になると祇園祭に想いを馳せるとともに、祭の深奥さに迷宮をさまようのが恒例。

サンケイデザイン㈱専務取締役

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