「ラピスラズリ」という名前のバンドのライヴに、ちょくちょく出かけた。
もう30年以上前の話だ。アマチュアバンドばかりが出演する野外ロックフェス。「ラピスラズリ」のメンバーは全員が会社勤めなど正業をもち、余暇をバンド活動に充てて、辛うじて続けているという感じだった。好きだから続くんだな。そう思いながら見ていた。
音楽ジャンルはへヴィメタル。メンバーは女性ばかりの、当時はそんなふうに呼ばなかったが、ガールズバンドってやつだ。学生時代からの仲間らしい。ちなみに、わたしはへヴィメタルというジャンルの音楽を「ラピスラズリ」以前に聴いたことがなかったし、今も聴かない。彼女たちの鳴らす音がへヴィメタルと呼ぶにふさわしいものだったかどうかのジャッジはできない。派手でお洒落な衣装をまとい、重低音を響かせる彼女たちはとてもカッコよかった。ギターをかき鳴らしながら、スタンドマイクを振り回しながら、とても気持ちよさそうだった。
メンバーのひとりと、友達だった。ライヴやるから来て、と初めてチラシを渡されたとき「ラピスラズリ」の文字を見て、ラピスラズリってどういう意味なん? と訊いた。
「瑠璃色」。彼女の答えかたは意外にそっけなかった。

「瑠璃」という言葉に惹かれて意味や来歴を調べたのはその時が最初だったと思う。著名人の筆名や芸名などに使われていたのを見た憶えがあるくらいで、なじみのない言葉だった。だが少し調べてすぐに気に入った。生来紫紺や群青、藍といった青い色が好きだったので、瑠璃色(ラピスラズリ)という名前は紺碧の地中海を思わせ、異国嗜好をくすぐった。
その頃から20年ほど経ったのち、わたしはライター稼業に明け暮れ、硬軟長短さまざまな文章を書いていたが、我ながら気に入っていた仕事のひとつに、色の名前についての連載コラムがあった。もちろん、「瑠璃」も採りあげた。ただし字数の関係でガールズバンドには言及しなかったが。

「瑠璃」は仏教における七宝のひとつで青金石とも記される。宝物、宝石なのである。また、「玻璃(はり)」と並んで現代でいう「ガラス」の古称でもある。三味線の弾き語りや人形芝居を「浄瑠璃」と呼ぶが、「清浄な」あるいは「浄土の」瑠璃であるから、それはそれは清く美しく神聖であることを表すのである。まさに光り輝いているのである。お薬の仏さま薬師如来のフルネームは薬師瑠璃光如来という。病気を治してくださる仏さまである。仏になれとは言わずに病い、患いから救ってくださるのである。こんなありがたい仏さまがほかにおられようか。差す後光はきっと瑠璃色である。

そう思って見渡すと、なるほど、「瑠璃」を名に戴く寺院はわりとよくある。「瑠璃」を名乗るんだから当然ご本尊は薬師瑠璃光如来なのだろうと思いたいが、必ずしもそうではないところが、なかなか単純ではないのだ。お寺さん業界あるいは仏教界にも事情があるのだ。
そんななか、舞鶴市吉田地区にある金剛山瑠璃寺(るりじ)は薬師瑠璃光如来をご本尊として祀る古刹である。なんでも、この瑠璃寺のある地域一帯には広く薬師信仰が根づいているという。吉田地区の北の青井地区にはかつて「湯やくし」と書かれた祠があり、その場所は昔、温泉地であったと伝わる。現在はもう温泉は湧いていないそうだが、体のあちこちの悪いところに沁みわたる、薬師さまのご利益にたっぷり与れる湯治場だったに違いない。
ところで、この舞鶴の瑠璃寺を有名にしているのは、じつは薬師さまではない。境内に根を下ろしその堂々たる体躯から垂らす枝ぶりも見事な「吉田のしだれ桜」である。
吉田のしだれ桜は一本桜ではない。新旧二つの樹が競うように枝を垂らして重なり合い、まさに織りなすようにして花を咲かせるのだ。新旧二つ、といっても「旧」のほうは樹齢300年をゆうに超え、「新」のほうだって100年を数えるという。二つの樹は、長い長いあいだ互いを見守りながら、ともに励まし合って、幾つもの四季を生きてきたのだ。

わが家には、「Les deux arbres」(=「二つの樹」)というタイトルの絵本がある。フランスで買ってきた幼児向けの小さな本。1997年のサンテグジュペリ賞(すぐれた児童書に贈られる)を受賞している。
「二つの樹は友達でした。大きい樹と、小さい樹。小さい樹は、早く大きくなりたくて、うずうずしていました」
という書き出しで始まる。並んで立つ二つの樹は、春はともに花を咲かせ、冬はともに雪に震え、新緑の季節には葉の数を競い、枝にとまる小鳥の数を競った。喧嘩もするけれど仲良しの、二つの樹。
「吉田のしだれ桜」の来歴を知るにつけ、わが家の古い絵本の物語と重なった。絵本の二つの樹は、紆余曲折を経てともに大樹となり、土地のシンボルツリーとなって人びとに愛されるのである。
若い樹をずっと見守ってきたに違いない古いしだれ桜と、じゅうぶんな貫禄をつけて古木を支える今が盛りのしだれ桜。慎ましい瑠璃寺の境内でこの春も、二つの樹からほとばしる滝のような枝垂れが桜錦となって人びとの目を潤すのだろう。その時、背景の空は瑠璃色に光り輝き、二つの枝垂れ桜の長寿を祝福するのだ。

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出版社エディション・エフ 代表
岡本 千津

エディション・エフという出版社をひとりで運営しています。
中京生まれ中京育ち中京在住。

日々のおかずのことを「おばんざい」なんて呼んだことないし、お客さんに「ぶぶづけどうどす」なんて言うたことありません。
応仁の乱のことを「先の戦争」やなんて言わへんし、皇室メンバーが京都へ来たのを「帰ってきゃはった」とか言うわけないやないですか。
でも京都出張を予告しながら何も言ってこない東京の取引先には「ご上洛のお話、どないですのん?」とメールしたりします。

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