私にとって福知山城の思い出は「行軍」である。
あまり知られていないかもしれないが福知山には陸上自衛隊の駐屯地がある。
もう10年以上前だが、私はここに志願して「体験入隊」をさせていただいたことがある。
中年男が突如として愛国心に目覚めたのか、それとも何かの懲罰として志願させられたのかこの際は伏せておきたい。
それはともかく入隊してまず初日に教えられたのは集団規律と靴磨き、そして行進の訓練であった。
行進は整列、気を付け、休めから始まる。
小学校の運動会の練習でやったアレをもう一度基礎から学んだ。
行進はニュースで見るよその国の軍隊のように、とはいかないが集団で綺麗に揃えての足捌きは思いのほか難しい。
加えて歩きながら直角に進行方向を変えるにはかなりの熟練が必要だ。
朝は6時のラッパの音で起床する。
それまでは目が覚めていても体を起こしてはならない。
ラッパの5分後に制服に着替えて、脛まで紐のあるトレッキングブーツに履き替えて集合。
1人でも遅れると連帯責任として全員に腕立て伏せが課される。
そんな体験入隊の最終日は駐屯地からほどよい距離にある福知山城への行軍であった。
背嚢に20㎏の装備品を背負っての行軍はちょっとしたサバイバル気分だ。
肩紐が体に食い込み重みで態勢が後ろかがみになる。
一歩を踏み出すのに相当な負荷がかかる中でのイチニ、イチニ。
陸上自衛官はさらに重い装備を背負って一日に40km歩くのだと言われた。
駐屯地の裏口は野道につながっている。
田んぼでも畑でもない荒れ地の畦道をひたすら歩く。
時折目に入る路傍の花に少しだけ心が和む。
駐屯地を出てどのくらいの時間が経ったろうか、我々はへとへとになりながら福知山城の麓に辿り着いた。
最後の坂が厳しかったが、花見の頃を過ぎた新緑の桜の緑が眩しく輝いて迎えてくれていた。
日本の自衛隊は軍隊ではないが、行軍訓練で国花である桜の樹を見れば、やはり愛国心のようなものが掻き立てられる。
桜としてもっとも美しい季節を外れていても、私も含めて日本人にとって桜はやはり特別なものなのであろう。
先日KBS京都ラジオでベテランアナウンサーさんが桜についてこんなことを話されていた。
つぼみを膨らます桜のけなげさ、五分咲きの美しさ、満開の美しさ、散り初めの感動、葉桜の感動。そして季節外れであるはずの夏や秋の桜に感動するようになったと。
八十歳を超えてなお矍鑠(かくしゃく)とされている方だけに、説得力のある言であった。
私もあの麓から見た福知山の桜が原風景になったのか、いつからか桜は見上げるものだと思うようになった。
気高く、凛として咲く桜を見上げることは、観月に等しく多くの日本人の美意識と倫理観に適うものに違いない。
桜をはじめ花で明るくなった山を喩えた「山笑う」というそれ自体が擬人化された春の季語がある。
山でさえ笑うのであるから、人が笑わない理由はない。
道ばたで、公園で、川原で、桜を見上げる顔は其れ彼みなほころんでいる。
すべからく笑顔であり、怒っている人や悲しい顔をしている人は皆無である。
それぞれに抱える悩みはあったとしても、今一瞬心を和ませ前向きにさせてくれる力が桜にはある。
「今年も春が来たな。」
生命の息吹や儚さを感じ、また一年が巡って桜を観ることができたことへの感謝。
そんなことを思ってみな桜を観ているのであろうと、おせっかいなことを思いながら私は桜を見ている。
桜を見に行く楽しみ、私にとっておそらく半分は、桜を愛でる人々の笑顔が占めているようにさえ思う。
日本に生まれたことを幸せと思う人がどのくらいいるのかわからないが、昨今のような国際情勢を見ると平和であることのありがたさは誰もが感じるところではないだろうか。
今年も咲いてくれた桜を愛でる人々の笑顔を見ながら、私は日本人としての連帯感のようなものを感じて安心しているのかもしれない。
フロイトが「人は夢で繋がっている、同じ画を見ている」というようなことを言っていたと思うが、社員旅行がなくなり、紅白歌合戦の視聴率が下がり、祝日に国旗を掲げなくなった日本においても桜がもつ記号性は万世不易のようだ。
さて小野小町が詠んだ、良寛が詠んだ、俵万智も詠んだ日本の桜。
戦争が生んだ悲劇を本居宣長は桜に詠んだ。
入試合否の比喩としての桜もあれば、森山直太朗が熱唱した桜もある。
十年前に見上げるべきと思った桜を今年はひとつ見下ろしてこようと思う。
光秀が築いた福知山城は天守がある北近畿唯一の城という。
本能寺の変があった天正十年の春、光秀はこの天守から最後の桜をどんな思いで見下ろしたのであろうか。
海の京都の桜は京都市内よりほんの少し遅れる。
かつての行軍よろしく今年はぜひ徒歩で向かってみたいと思う。
天守から望む零れ桜を何に喩えてみようか、考える時間をも楽しみたい。