長らくご無沙汰したあとの、久々の投稿となってしまった。ちょっと「へたばっ」ていたというのが正直なところである。夏山に行ったあと膝を痛め、秋になりお腹が痛くなり入院し、3か月ほどうだうだしていた。すると冬になり、本格的に膝が痛み出し、水が溜まり出して、歩くのもままならなくなり、新年度を迎えることとなった。ちょっと環境も変わって今に至ったという具合である。


 

「へたる」と「へたばる」の違いとは?

この「へたばっ(へたばる)」ということば, 「へたる」ということばとともに見てみるとよくわかる。共通するのは、疲れる、元気がなくなるという意味合いであるが、「へたる」は、その度合いが弱いとか少ないとかであるのに対して、「へたばる」は、その度合いが強いとか多いとかで、深刻な状態である。ところで、「へたる」の第一義には、「尻をつけてべったり座る」がある。腰をおろして座れば、疲れも回復し、動き出せるが、へたばるでは、その疲れがへとへとになったり、気力がなくなるといった意味になる。その状況の意味として、「へこたりこむ」ということばも使う。マラソンなどで、「ちょっとへたったな」といえば、なんてことはない、ちょっと休めばまた走り出せるが、「ちょっとへたばったな」といえば、なかなか次の開始が難しいようで、棄権を伴うようなことばとなる。

ところで、「へたる」「へたばる」の「へた」は、水際とか端・辺の意味で、行き止まりとなり、そこで立ち止まざるを得ない場所を示すことばである。茄子や柿などの蔕も、端という意味である。また、「平らなさま」という意味もある。「へたばる」の「ばる」は「張る」で、「広がりのびる」の意味である。
大原では、「座る」ということを「へたかる」とも言い、「そこらへんで座って休もうか」を、「そこらへんでへたかっていっぷくしようか」などと言う。

 

「尻」にまつわる言葉

さて、この尻をつけてべったり座るというところの「尻」に着目してみると、京ことばでは、「おいど」ということばが浮かんでくる。「おいど」は、漢字表記で「御居処」と表す。「居る」は、古語で「座る」という意味がある。その座る中心はお尻であるので、「おいど」となった。御所ことばに見られ、主に女性が使うことばである。
男性なら、「走りはいつもけつばかりで」という言い方で、最後を意味する「けつ」を使うが、女性は、「走りはいつもおいどばかりで」と言う。なにかおっとりした響きを感じる。最後を意味することばには、「べべ」もよく使われる。「走りはいつもべべやった」というふうに言っていた。「べべた」「べった」「べべたこ」「べべちゃ」など、これに並ぶことばもいくつかある。この「最後」という意味を「おいど」を使って、「おいどが切られる」などとも使われる。お尻が切られるのではなく、最後が切られるということで、「期限が切られる」という意味になる。

もう少し「おいど」を使ってみると、「この子、おいどが重たいわ」といえば、なかなか動こうとしない様子や動きが機敏でなく、鈍い様子が見て取れるだろう。また、「もう尻に火がつくで」「もうけつに火がつくで」といえば、慌ただしさや緊迫感が感じられるが、「もうおいどに火がつくで」といわれても、なかなかピンとこない。なにか「そうどすか」というような返事がなされるように思えるのだが……。さすが室町時代から使われている御所ことばの優雅さを感じてしまう。ところで、この「しり」を「べった」の意から、大原では、一番末っ子を「しりご」と言ったりもする。
また、着物の裾を帯に引っ掛けて、いわゆる尻絡げのかっこを示すことばを「おいどかけ」と言った。「おいどかけして、雑巾掛けしたはる」などと言った。「おいど」ということば、今ではあまり聞かれなくなった京ことばであるが、何かほのぼのとした感じを抱かせることばであるのに対して、尻やけつでははっきりしすぎて、ちょっと使いづらいときでも、「おいど」なら、その場の雰囲気も和みそうに思える。

 

京町家と尻にまつわる言葉

このおいどに「あてる(敷く)」ものは「おざぶ(座布団)」である。私の家も「うなぎの寝床」のような家であった。このような家は、通り庭が裏まで続き、途中で「走り(流し)」があったり、三宝さんが祀られたりであったが、その玄関からすぐの表の間のことを「店の間」といい、次の間を「台所の間」と言った。その境は「のうれん(暖簾)」で分けられている。「店の間」と「台所の間」とに、「はしぢか」ということばが使われる。店の間には「おざぶ」が4、5枚重ねってあって、来客に出すのである。その時、「はしぢかどすけど、ま、おざぶでもあてとくりゃす」などと言いながら「おざぶ」を出した。この「はしぢか」を漢字で表すと、「端近」と書く。家の中で上り口や縁側など外に近いところで、上がり端である。近所の親しい人には、台所の間の端にかけてもらうのである。履物も脱がずに、そして、お茶も出せ、いわゆる応接空間となるのである。京町家ゆえに生まれたことばが「はしぢか」である。家の構造一つで、この心のこもったことばも消えてゆくように思う。

いよいよ最後に相応しいことばとして、「しりからしりから」ということばで締めくくろう。この意味合いは、ある行為が終われば、また次の行為が続いていく様を表しているのである。「次から次へ」、「後から後から」という意味である。おいど、尻、けつといったことばから、「しりからしりから」話は湧いてくるが、ここらで筆を置くこととする。

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京ことば研究家
西村 弘滋

 
京ことば研究家
京都市教育委員会 総合教育センター 総括首席指導主事

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