「六地蔵巡り」を巡ってみた。

夏、8月22日から23日にかけて、京都では「六地蔵巡り」と呼ばれる行事があります。

京都の各地にある六つのお寺をまわり、それぞれお祀りされたお地蔵さんに巡拝。家内安全、無病息災を祈願します。
各寺で授与される六種類の「幡(はた・ばん)」を集めて玄関などに吊るすと、ご利益があるといわれています。

六地蔵めぐりが何時から始まったのか。平安時代に小野篁が創始したとか、西光法師という人が七つの地蔵さんを街道の脇に安置したとか、物語がいくつか伝わっています。
しかし、戦乱があったためか、六地蔵めぐりに関する記録は一旦途絶えます。
次に残る資料は江戸時代初期。
したがって六地蔵めぐりの起源を中世以前に求めるか、近世に求めるかは議論が分かれています。
何にしても、江戸時代には、お地蔵さんの縁日に当たる旧暦の7月24日に六地蔵を巡拝するという風習が定着し広まっていました。
新暦に移行する際、8月24日とならず、8月22日と23日とずれたのが興味深いです。しかも昼だけでなく夜のお参りできるのです。私なりに、前夜のお参りを済ませるのが流行し、むしろ主流になったのかなあ、などと推測してみましたが、推測の域をでません。

六つのお寺は、京都のなかでも、外の区域と繋がる場所、街道沿いにあります。
六つの出入り口を扼することで、これらのお地蔵さまが、悪いものが街に入ってこないように京都を守ってくれているのだと信じられています。

一箇所ずつ、順番に説明します。

 

1.伏見地蔵 大善寺(通称六地蔵) 奈良街道

伏見地蔵 大善寺

地名の「六地蔵」はこのお寺から来ています。詳しくは後述します。また、JRや地下鉄・京阪などの駅があり、とても便利です。


 

2.山科地蔵 徳林庵 東海道

山科地蔵 徳林院

山科の四宮というところにあるお寺です。京阪四ノ宮下車。開放的で、いつもお参りすることが出来ます。

井戸手水(牛馬水飲処)には、○に通印のデザインが残っていて楽しいです。
これは飛脚の印、それも通し飛脚という人たちの刻印だったそうで、運送会社 日通の社章はここから来ているのだとか。


 

3.鞍馬口地蔵 上善寺 鞍馬街道(若狭街道)

鞍馬口地蔵 上善寺

京都市営地下鉄鞍馬口駅から徒歩。
明治時代に六地蔵巡りのひとつに加えられたお寺です。こちらも、後ほど説明します。

 

4.桂地蔵 地蔵寺 丹波・山陰街道

桂地蔵 地蔵寺

阪急桂駅から歩いて行けます。桂離宮も割合近くにあります。
こちらの地蔵さんは別名、姉井菩薩(あねいぼさつ)。伝承によれば、小野篁が一木から六体の地蔵菩薩を彫り出し、こちら桂の地蔵さんがもっとも根本の部分を使ったと言い伝えられており、像高も六像の中でもっとも高く、姉井の名前はここから来ています。
安産祈願のお寺でもあります。お寺の起源については複数の説があり、平安時代に桂大納言と呼ばれた貴族 源経信の別邸跡をお寺に改めたという話や、南北朝時代に虎関師錬が光厳上皇の勅許により建立したなどの話が伝わっています。

5.常磐地蔵 源光寺 周山街道

常磐地蔵 源光寺

右京区常磐にあるお寺。現在は天龍寺派の尼寺。嵐電だとアクセスしやすいです。
こちらの地蔵さんは、一木のもっとも先端から作られたと言われており、大きさも小ぶりで、桂の「姉井」に対して「乙子地蔵」と呼ばれるそうです。乙子とは、末っ子のような意味合いがあります。
また、お寺の東には、常盤御前の墓があります。牛若丸こと源義経ら、三兄弟の母だった女性。子供たちの命を助けるために、敵である平清盛の寵愛を受けたなどの逸話で知られる女性です。

 

6.鳥羽地蔵 浄善寺 西国街道

鳥羽地蔵 浄善寺

市バス「地蔵前」下車。
文覚上人ゆかりの「恋塚」もこのお寺にあります。
北面の武士だった遠藤盛遠は、人妻に恋をしてしまいます。
恋の妨げとなる夫を殺害しようとし、寝所へ忍び込みますが、行き違いから恋したはずの女性その人を殺めてしまいます。
これを期に世を捨て、真言宗の僧、文覚となります。激しい修行に打ち込み、命を失いかけるほどでしたが、やがて高雄の上人と呼ばれるほど高名に。源頼朝と出会い、歴史に名を残していきます。
この浄善寺は文覚となった盛遠が、命を奪った女性を弔うために建立したと伝わります。
「恋塚」の由来です。
(なお、南区下鳥羽に、同じ伝承を持つ「恋塚寺」があります)

六地蔵大善寺の地蔵尊

中でも最初に挙げた伏見地蔵(大善寺:六地蔵)はこの六地蔵めぐりの中心的な存在で、その根拠となるのが、江戸時代前半に書かれたひとつの書物。
寛文五年(1665)の成立と記される『山城州六地蔵菩薩縁起』には、こんな話があるそうです。
『六地蔵めぐりの地蔵菩薩像は,小野篁が満慶上人と共に地獄に赴き、そこで出会った地蔵の姿を写したもの。六体の地蔵は、人々を救おうとして活動していたのですが、篁に向けて、「縁のない人は救えないので、人々にゆかりを作って欲しい」と言いました。そこで、篁はこの世に戻ってから、地蔵の姿を六体の像に写し、人々が拝めるようにしました。
元は大善寺に六体ともあったが、後白河院の時代に、京中六ヶ所の街道の入り口に移され、今に至ります』

つまり、このお話に従うと、この伏見地蔵 大善寺は六地蔵めぐりの発祥地。
地名の六地蔵というのは、この地に六体の地蔵が並んでいた時代に付けられた地名、ということでしょうか。

六地蔵の案内板

なお、六地蔵巡りの場所や名前には変遷があります。室町時代には七箇所、つまり七地蔵だった時期もあり、現在の六ケ所とは所在地も全く違っていました。現在の形に落ち着いたのは、明治時代です。

鞍馬街道を守るお地蔵さんは、むかし、御菩薩池地蔵(みぞろがいけじぞう)と呼ばれていて、現在の京都市北区、深泥池の近くにありました。
明治になって、神仏分離が行われた際に、上賀茂神社の神領内に仏教のお地蔵さんがあることが問題になり、現在の上京区上善寺へ移転します。また、深泥池を、「御菩薩池」と表記したのも有名な地蔵尊が置かれていたことからくるものです。

鞍馬口地蔵 上善寺の地蔵尊

近世の書「日次紀事」には、

今日洛外六地蔵詣、所謂賀茂深泥池 或云御菩薩池、山科、伏見、鳥羽、桂、太秦是也

と書いてあります。
また、故地である深泥池には、後に別の由緒ある地蔵尊が置かれることになるのですが、地元の熱心な方は、深泥池に加えて鞍馬口地蔵にもお参りに行くそうです。

わたしは昼に巡ることが多いのですが、六地蔵めぐりは夜までやっています。
22時頃まで受け付けておられます。
(むかしは、終夜空いていたそうですが、「コロナ禍」を期に縮小されました。時代ですね)
そして、この夜詣りが、なかなかいいのです。

夜の上善寺

提灯などの夜灯りに照らされるお寺は、とても幻想的。
昼と比べればいくらか涼しく過ごせます。

夜の上善寺

また、お寺によっては六地蔵めぐりの夜に「六斎念仏」を上演するところがあります。
六斎念仏は、踊り念仏に起源をもつ民俗芸能の一種で、太鼓や鉦を中心に演奏しながら念仏を唱えたりします。念仏六斎と芸能六斎の二派があります。
六地蔵巡りのためだけに演じられるわけではありませんが、8月22日~23日には特に公演が多いです。

8月22日の夜は鞍馬口地蔵 上善寺で、近くの小山郷六斎。

小山郷六斎念仏の上演光景

8月23日夜は、上鳥羽地蔵 浄善寺で上鳥羽六斎。桂地蔵 地蔵寺で桂六斎。

桂六斎念仏の上演光景

桂六斎はいったん活動が途絶えたものが、地元の有志の人達によって近年再興したものです。

夏の京都をぐるっと一廻りし、夜は民俗芸能の太鼓や鉦、笛の音に聞き入る。
そんな過ごし方も出来る、六地蔵巡りです。

参考図書・文献
京都地蔵盆の歴史 村上紀夫 法蔵館
京都における地蔵菩薩信仰をめぐって 田中悠文
京都の都市民俗と伝承世界──小野篁冥界往来譚を中心に 松山由布子

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この記事を書いたライター

 
写真家。
京都の風景と祭事を中心に、その伝統と文化を捉えるべく撮影している。
やすらい祭の学区に生まれ、葵祭の学区に育つ。
いちど京都を出たことで地元の魅力に目覚め、友人に各地の名所やそれにまつわる歴史、逸話を紹介しているうち、必要にかられて写真の撮影を始める。
SNSなどで公開していた作品が出版社などの目に止まり、書籍や観光誌の写真担当に起用されることになる。
最近は写真撮影に加えて、撮影技法や京都の歴史などに関する講演会やコラム提供も行っている。

主な実績
京都観光Navi(京都市観光協会公式HP) 「京都四大行事」コーナー ほか
しかけにときめく「京都名庭園」(著者 烏賀陽百合 誠文堂新光社)
しかけに感動する「京都名庭園」(同上)
いちどは行ってみたい京都「絶景庭園」(著者 烏賀陽百合 光文社知恵の森文庫)
阪急電鉄 車内紙「TOKK」2018年11月15日号 表紙 他
京都の中のドイツ 青地伯水編 春風社
ほか、雑誌、書籍、ホームページへの写真提供多数。

|写真家|祇園祭/桜/能/光秀/信長/歴史