京都の上賀茂神社(正式名称 賀茂別雷神社)は「二葉葵」がご神紋です。葵祭でも行列の人々の衣冠や牛車を飾っていますよね。そして「葵使(あおいつかい)」として、大河ドラマで注目されている徳川家康に葵や進物を献上していたという話もあるんです。宮司の田中安比呂様にくわしくお聞きしました。

上賀茂神社

上賀茂神社

天下人と上賀茂神社

上賀茂神社 宮司 田中安比呂様

上賀茂神社 宮司 田中安比呂様

KLK 1610年(慶長15年)から幕末までの間、駿府城の徳川家康へ上賀茂神社の二葉葵を献上していた「葵使」という使節があったと聞いたことがあるのですが、どのようなものであったか詳しく教えていただけませんでしょうか。

田中宮司「徳川家は三河の出身で、愛知県豊橋市にも賀茂神社があるんですよ。そこは賀茂社だから、当然二葉葵が御神紋の訳です。徳川家は賀茂社に対する思いがすごく強かったといわれています。

上賀茂神社のご神紋 二葉葵(八咫烏のお腹に描かれたマーク)

上賀茂神社のご神紋 二葉葵(八咫烏のお腹に描かれたマーク)

徳川家 葵紋

徳川家 葵紋

賀茂神社の神紋が二葉葵。二葉葵は神様の紋です。だから今でいうデザイナー的な人が、二葉葵をモチーフにして葉っぱを3つくっつけて丸の中に入れたのでしょうね。この葵の印というのはすごい力を持ったわけです。それで賀茂社の二葉葵と同じ、三葉の葵を持っている徳川が天下を取ったから、当神社から葵をお届けしたわけです。
たとえば織田信長が天下を取って国をまとめ、日本一になった。信長は比叡山を焼き討ちするような人間なので、嫌われたら大変なわけです。賀茂社なんていらないって言われたら、翌日には燃やされてしまう。だから当然、ごますりに行くわけです。織田信長が『俺の馬が一番速い。』と言って20頭ここに持ってきて、競馬(くらべうま)をしたこともあります。当時の馬っていうのは、もう今で言うと戦車みたいなもので、その信長がここで走らせているわけですよ。その時には大変なご馳走をしているといった様子が当神社の古文書に残っています。」

KLK 上賀茂神社で自分のための競馬をできるなんて、さすが信長ですね!

田中宮司「もちろん信長だけじゃなくて、天下を取った人に対してはものすごい気を遣いました。信長が明智光秀に撃たれるとすぐに光秀にお祝いを持っていったという文書が残っています。あの信長を討った5日のうちに明智光秀から朱印状をいただいて、『この神社を守る』ということが書いてあります。もうそれは必死だったのでしょう。ちょっと言いにくいですけど、そういった文書からたくさん読み取ることができます。」

KLK 上賀茂神社さんだけでなく、きっとどこの社寺も生き残りに必死だったんでしょうね・・・

田中宮司「葵使は幕末まで毎年200年以上続きました。もちろん葵だけじゃなくて西陣織とかいろんなものを持っていきます。10日もかけてあちこち泊まりながらなので、ものすごい費用をかけていくわけです。そうすると、当時の将軍は大金持だから京都からよく持ってきたなと言ってお供えをくれますので、十分持っていっただけの価値もあるのです。だから、帰りは鎌倉見物したそうです(笑)いくらかかったっていう決算書も残っていますよ。」

KLK 記録って本当に全て書いてあるんですね。わずか20年ほどの間にころころと変わった政権との当時の駆け引きが生々しく感じられます!

東福門院とのご縁

田中宮司「3代将軍の徳川家光の妹は東福門院といい、後水尾天皇に嫁ぎました。当時の上賀茂神社の宮司が新年の挨拶に京都御所に行ったら、京都所司代という今でいう京都府知事みたいな方が「上賀茂神社は荒れていてしばらく遷宮をしてないんじゃないか。」と東福門院が心配していると言うんです。だから遷宮をしなさいと言われたもので、宮司は帰ってきて大喜びしました。それで実現するように大祓詞という長い祝詞を一晩中寝ずに千度あげ、ぜひ実現してくれるようにと神様に祈りました。

そして境内の図面を東福門院のところへ持って行ったら、東福門院がそれを中和文院(1代前の天皇の皇后)と一緒に見て、いいでしょうと。たくさんある建物全部作りなおしなさいと言ってくれたのです。それが1626年の1月で、翌年の12月に全部作り直しました。丸2年ですね。」

KLK上賀茂神社を全部って、いくらくらいかかるんですか!?

田中宮司「もう400年前のことですが、今で言うと300億から400億円かかるのではないでしょうか。伊勢神宮が500億円ですしね。それだけ費用を出せたのはどういうことかと言うと、将軍はお金持ちですが、全国に大名がいます。大名はお金持っていると俺が天下取ってやろうって野心が起こりますから。将軍はお金を出させるわけです。それで一番いい理由が、京都の神社を作り直すからお金を出せと言うことでした。だから、家光の時に京都の神社仏閣の大きなところはほとんど作りなおしてもらっていると思います。」

KLK この時代に大名たちが京都の寺社を修繕したという話は、確かによく聞きますね。
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