なんで伏見区に住んでいるのか

私は京都市北区の紫竹学区に生まれ育ち、東京の葛飾や西京区の大枝を経て、現在は伏見区の桃山に住んでいます。実家も自分が経営する会社も北区なのにどうして伏見を選んだのでしょうか。

子ども時代の夏休みに、伏見・深草にある母方の実家によく長期滞在をしていたので、伏見にシンパシーがあったのだと思います。伏見大手筋商店街や伏見桃山城キャッスルランドはさながらホームグランドといったところでした。妻の実家が東山区の京阪沿線であったことも大きいかもしれません。

子どもの頃の京阪特急には「テレビカー」が走っていました。普通や急行は今のようなスタイリッシュな車両ではなく、バッタのような電車が懐かしいです。もちろん三条止まりで、京阪の出町柳駅はまだありませんでした。

これまでわりと街中から離れた周辺部に住んできましたので、イソップ童話で町ネズミに憧れながらも、やはり郊外に心ゆるぶ田舎ネズミの気持ちがよくわかります。伏見に暮らして30年。子どもの頃のノスタルジーに加えて、現役の伏見区民としてのプライドで京都カースト論争に斬り込みたいと思います。

京都カーストが語られる時に「地価が高い」「治安がよい」「昔から京都だった」という観点から中心部優位のランキングになることが多いかと思います。しかし、本当にこの三つが基準で良いのでしょうか。
 

伏見区の地価は確かに安いが

まず1番目の「地価が高い」について。伏見区を含む周辺区はたしかに中心区より相対的に地価が安いです。しかしそもそも地価が高いところに住んでいる=お金持ち=偉いという図式になるなら、東京都23区民 >>> 京都市民ということになり、京都内でのカーストどころではなくなります。なので「地価が高い」は基準から除外しませんか?

京都駅や四条烏丸駅から徒歩5分圏内の立地は交通至便で地価が高いです。しかし、本当に暮らしやすいのでしょうか。もちろん便利な面もあります。しかし、生活コストが高く暮らすには不便な面もあるから、夜間人口が少ないのではないでしょうか。

私のご近所にはたまたま上場企業の経営者の方や、茶道のお家元の直弟子さんのお家があります。うちはマンションですし、高級住宅街でもないですし、もちろんこの方々と話したこともないですが、きっとこの方々は好んで伏見に住んでおられるのだと思います。
 

伏見区は鉄道網が発達している

伏見区の鉄道網マップ

伏見区の鉄道網マップ

さて京都駅と四条・烏丸駅という京都における2大ターミナルを擁する下京区。JRは東海道新幹線、東海道本線、奈良線、嵯峨野線、と4線が走っていますが、新幹線は長距離移動を目的とした高速鉄道なので除外します。


また奈良線も下京区にあるのは嵯峨野線と東海道本線との共用の京都駅だけですので除外すると実質のJRは2線です。そこに近鉄京都線と阪急京都線と京福本線の私鉄3線と地下鉄烏丸線の1線で、2線+3線+1線で合計6線です。

対する伏見区も地下鉄烏丸線、地下鉄東西線、JR奈良線、近鉄京都線、京阪本線、京阪宇治線と6線が走っていますから、伏見区は他の行政区よりかなり鉄道網が発達していると言えそうです。「そりゃ伏見区は広いから……」と言われそうですが、面積でいえば11行政区ある京都市全域のうち伏見区が占めるのはその7.3%に過ぎません。
ただ伏見区を走る鉄道は京阪宇治線を除いてほぼ南北を走る鉄道ですので、伏見区内の東西の距離を移動する路線が貧弱であることは間違いありません。
 

伏見区の治安は悪いのか

次に2番目の「治安の良し悪し」について。治安を図るのかそのモノサシですが、ここはわかりやすく犯罪発生件数にしてみましょう。
令和5年の人口当たりの犯罪発生率は0.57%です(伏見区内の犯罪発生件数1,583件÷同年の伏見区人口277,858人)。つまり単純計算で区民200人に1人近くが何らかの犯罪に関わっていることになってしまいます。

この確率が高いと感じるか低いと感じるかは人それぞれですが、京都市の全11行政区の中では5番目の中位です。昼間人口で測るか夜間人口で測るか、凶悪犯罪なのか軽犯罪なのかなどを考えると複雑になりますが、少なくとも伏見区の治安が悪いとは言えなさそうです。ご自分の住んでる区が何番目か気になる方はこの2つの資料から計算してみてください。犯罪統計で行政区を計るのはあまり趣味の良いたとえではないですが座興としてお許しください。

伏見は京都と対等

最後に「昔から京都(の中心)だったかどうか」。ご存知の方も多いかと思いますが、明治の初めまでは京都には上京と下京しかありませんでした。上京区と下京区ができてから京都市ができたというおかしな歴史があります。そしてそれぞれから分かれて中京区が出来て、東山区が出来て、市域が拡がって今の京都市があります。


しかしそれより遥か昔から、京には右京も左京も存在し、伏見も山科も日本の歴史舞台に登場しているのです。何百年も昔の話をもちだしてどちらが古いのかと競うのが京都人は好きですが、古くから京都の中心であったことを良しとするならば伏見は遅れをとりません。

豊臣秀吉や黎明期の徳川幕府は伏見城を中心に日の本のまつりごとを司りました。京都の中心というより日本の中心であった伏見は、平安京に匹敵する政治都市だったのです。このことは昭和初期に伏見が独立した市だったことに如実に表れています。


だから伏見の人は昭和6年(1931年)に京都市に編入されて「あげたんだ」という変なプライドを今も持っています。昔の伏見区民が市内中心部に行くことを「京都に行く」と堂々と言っていたのは卑下していたのではなく、むしろ「京都とは対等の街だ」という矜持だったとも考えられるでしょう。

この構図は大阪都構想で大阪市への併合を嫌った堺市に、ちょっと似ているかもしれません。ま、伏見は京都市に早々に併合されてしまいましたが。この伏見区民のプライドは今も東京奠都を認めず、「帝はちょっとお江戸に行幸あそばされているだけ(もう5代にならはるけども……)」「東京は東の京都ですから」と言い張る京都人のプライドと重なってちょっと愛らしいのではないでしょうか。

 

京都市伏見区基礎データ

伏見区の面積は約61.62㎢で、お隣の京都府宇治市や大阪府枚方市と同じくらいの面積です。東京都特別区では大田区や世田谷区と同じくらいの面積になります。人口は約27万2千人で京都市の行政区では一番人口が多い行政区となっています。この人口は大阪府茨木市や八尾市、東京都では府中市や調布市、特別区では目黒区あたりと同じくらいになります。

京都市伏見区エリアマップ

最後に広い伏見区を大きく10の広域エリア+7つの小域エリアに分けた地図を作ってみました。
地理的に、歴史的に、日常生活圏的なエリア分けに、それぞれのエリアの拠り所になっているものを加味しました。さらに伏見区民である筆者目線でのランドマーク的なスポットも足してみました。

ちょっと捻って書いているところもありますので、伏見区民の方や伏見をよく通る方が「あー、コレ、あそこのことな!」と思っていただければ嬉しいです。次回後編は私の住まう桃山学区に焦点を当てて京都カーストを論じますのでご期待ください。

※KLKの京都カーストシリーズは地元愛に根差した自虐とプライドをコンセプトにしています。そこに登場する行政区や特定エリア間で本気で優劣を競うものではございません。

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この記事を書いたKLKライター

三若神輿会幹事長
吉川 忠男

 
三若神輿会幹事長として、八坂神社中御座の神輿の指揮を執る。
神様も、観る人も、担ぐ人も楽しめる神輿を理想とする。
知られざる京都を広く発信すべく「伝えたい京都、知りたい京都 kyotolove.kyoto」を主宰。編集長。
サンケイデザイン代表取締役。

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|三若神輿会幹事長|祇園祭/神輿/八坂神社/裏側/深い話

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