わたしは京都が好きで、京都メディアで働いている38歳です。ちなみにこの媒体「Kyoto Love. Kyoto」の編集部です!「京都好き」と話すと、移住してきたと思われることも多いですが、実は京都生まれ京都育ちなんです。京都人は京都を愛して、自分の核にしていますが「京都が好き」とはあまり表明しないものです。

わたしは京都の中でも「西京極」出身。京都府だし、京都市内だし、平安京の中だし、まぎれもない京都人なのですが、それでも自己紹介のときには「いえ、京都といっても、西京極ですので・・・」という心情になり、これをはじめに付けないと話せません。これって、何故なのでしょう。また笑い話やインターネットで語られる「京都カースト」って現実ではどのような形で存在しているんでしょうか?自分の体験からという狭い知見になりますが、お話いたします。

「京都」との出会い

私にとって、京都の最古の記憶は、年賀状を書いている小学生の自分です。当時はLINEはもちろんスマホすら存在しないので、毎年ペンを持って大量の住所を書いていました。西京極に住んでいたので、住所が「京都市 右京区 西京極 ○○町○番地」でした。住所を書きながら「”京”という文字が3つも入っているから、わたしの住所は偉いんだ」と感じ、嬉しくてにやにやしていました。物心が芽生えた瞬間だったかもしれません。この時の記憶はなんだか忘れられず今に至っています。

ただ、悲しい記憶もあります。博物館や教科書の資料集などで見られる「平安京ジオラマ」の西京極の部分がいつも湿地を示す緑色なんです。どうやら右京は平安京の歴史の中でも早々に衰退したそうです。「こんなんやったら牛車とおれへんやん」と小さいわたしはしょんぼりしたのでした。

平安京イメージ(左下が西京極)

平安京イメージ(左下が西京極)

また、小学校の校歌の3番には「平安京の 西の果てなる わが学び舎に 学ぶは楽し」という歌詞がありました。(※記憶によるものです。間違っていたらごめんなさい)
「平安京」という雅さと「西の果て」という辺境を意味する言葉に複雑な心持ちになりました。きっとわたしは「平安京」という美しいロマンの中に、自分が関わっていること、一方でその端っこに自分が居住していることに嬉しさと残念さをもっていたのでしょう。

中学校の校歌でも「青雲溌剌(せいうんはつらつ)湧きおこる 都の西の学園に」(※記憶によるものです)というふうに場所が強調されていました。ちなみに当時、中学校は荒れ果てていて、「極中(ごくちゅう)」と称されていました。このあたりから自分の中で「西京極」というイメージが不穏になっていきます。

府立高校で「京都教育」をうける

高校は「京都府立 嵯峨野高校 こすもす科」に進学しました。校歌が「明けゆけば 近き山脈(やまなみ) 紫にあやにかゞよひ 山峡(やまかひ)に 雲湧き起こる」から始まりますので、京都の中でも山にほど近い郊外だということが分かります。体育の時間に広沢池がコースになるようなのどかな立地です。ちなみに作詞は広辞苑の著者として有名な「新村出」で作曲は「團伊玖磨」!これは自慢です。わたしはここで京都愛を教育されたといっても過言ではありません。今ではもう色々変わったと思いますが、とても好きな学校でした。

当時の”こすもす科”は3つの系統に分かれていて、わたしは「人文芸術系統」でした。国語が得意な人向けのコースで、いま振り返ると、完全に京都ガチ勢を育てるコースでしたが、残念ながら今は無くなってしまったと聞いています。

そこでは京都三大祭(葵祭・祇園祭・時代祭)のフィールドワークが必修で、祇園祭ではチームに分かれて鉾町の方からお話を伺いました。「京都文化論」という授業では、京都について理解を深め、簡単な卒論みたいなものも書きました。京都の南部か北部へ行くフィールドワークもあり、わたしのときは南山城村で「茶歌舞伎」を経験しました。いわゆる利き茶ですね。大河ドラマで京ことば指導をされている先生の講演があったり、俳句の先生の指導で俳句を作ってみる特別授業もありました。選択で、染色の授業を選ぶこともできます。わたしは多感な時期に、京都の文化(というか日本文化)が素晴らしいことを叩きこまれました。必然的にクラスにも個性的な人が多く、古語まじりで話したりしていてかなり楽しかったです。

多様な「京都」を知る

当時、京都市内の公立高校はバス停方式(※家から最寄りのバス停でどの高校に進学できるかが決まる)が主流だったのですが、こすもす科は「京都府全域」が入学対象で様々な地域から通学している人がいました。私立の学校だと普通なのかもしれませんが、当時はびっくりしたものです。ここで、わたしは「京都府」を知ったのです。

高校1年生なんて、ちょっと前まで中学生です。わたしは商業施設である「京都ファミリー」のある葛野(かどの)大路四条から葛野大路八条くらいまでしか1人で行動したことがなかったので、
「園部」「亀岡」「城陽」「宇治」「京北」など未知の地名に驚きました。席の前後が園部の女の子で、園部トークがよく交わされていたのですが、全くピンときません。でも、「園部ってどこ?瑠璃渓(るりけい)?行ったことないwww」みたいなことを言ったら失礼に当たるだろうということを直感し、神妙にしていました。若かったわたしも、それぞれの地元は侵しがたい聖域であることを体感したのです。私にとって仲の良い友達が増えるということは、それぞれのエリアに親しみを持つということでした。どのへんにあるのかはよく分かっていませんでしたが、JRが遅れると「綴喜郡」から通っていた王子様(クラスで一番かっこいい女の子)が遅れてくるので、「もしかしてかなり遠いのかな??」などと想像していました。さまざまな地域から、長い時間をかけて通学している人が大半で、京都府北部出身で下宿して通っている人もいました。

もちろん京都市の中心部に住んでいる生徒もいます。高校生になってからの年賀状シーズンには「上ル」「下ル」「入ル」が出てくるようになり、「西京極では、これには勝てないんだ・・・」と感じました。これも人から言われたわけでなく、直感だったように思います。

可愛くて頭がよくて運動部関係という、クラスでも素敵な女の子のグループがあったのですが、その中の1人がグループ内で「美山(みやま)」というあだ名で呼ばれていました。わたしはオタクなグループにいたのであまり話したことがなく見ているだけだったのですが、なぜ彼女は出身地で呼ばれているのだろうとふんわり気になっていました。
「おい、美山~♪」「も~!ちょっとっ!!」
などと言い交わしていて、楽しそうなのですが、なんとなく胸がそわそわしました。

大人になって「京都」から出る

悲しいことに学力が足りず、京都の大学に通うことはできなかったため他府県に通学することになりました。後年、京都市内で大学生活を過ごすことがいかに文化的か、という楽しい体験談を多くの人から聞いて絶望することになります。市内の大学に通えた方々のことが今でも羨ましすぎます。わたしは都落ちしつつ、病院とワイン畑しかない大学に通いました。(ただ、意地で京都市内でバイトはしていました)

社会人になって城陽市に通勤することになりました。このときに「京都に遊びに行く」という言い回しを実感として体得しました。これは京都市街地に行くときに、郊外住まいの方々がよく使う言葉です。ここで自分の京都感が広がりました。ただ、京都中心部から離れたことにより寂しさを感じるようになって、のちのち京都市東山区や上京区や北区など好きな場所で暮らすようにもなりました。京都との色んな距離感を結んだことで、どんどん京都がかけがえのないものと思うようになっていきます。

大人になると、完全に「京都」とは京都市内の中心部という一部を指すことば(狭義)なので、扱い方に気を付けないといけない、と肝に銘じるようになります。そしてその選ばれた場所に対して憧れや敬意を感じることが増えました。

わたしが転職してたどりついたKyoto Love. Kyotoの編集部(サンケイデザイン株式会社)は北大路堀川にあります。「やっと京都市内に戻ってきた!」という想いと「”北大路”ということは今度は北の端だよな・・・?」という気持ちと「いやいや、御土居の中だからOK!」という気持ちが混ざり合いましたが、今はとても気に入っています。ちなみに会社と同じ町内に「紫式部の墓」もあり、大徳寺もすぐそばにある由緒正しいエリアです。

「京都カースト」を感じるとき

それでは、京都での生活のどういうときに「京都カースト」を感じるのかに触れたいと思います。「京都カースト」の話題は「いけず」というキーワードと関連が深いですよね。Kyoto Love. Kyoto編集部でお手伝いしたイベントの1つで「いけず座談会」というものがありますのでぜひご参照ください。いけずを発する人の内心に触れることができます。滋賀県との関係性も少し出てきてますね。

実際のところ、住むエリアで「いけず」(意地悪)をされることなどはありません!!
・・・いや、本当にないのですが、その、言葉の端々に感じるものはあるといいますか、お互い気を遣いあっているというのが現状だと思います。

出身が鉾町(祇園祭の鉾が建つ町内)の方と、弊社社長(三若神輿会をやっているのでルーツが三条商店街)が話していた時にそれぞれの出身の話になったことがありました。わたしは存在感を消すことを選び、ひたすら黙って頷いていました。西京極出身では太刀打ちできない高い京都レベルの会話だったからです。

鉾町出身のお姉さまが「あなたは京都のどちら出身なんですか?」と優しく聞いてくださったので、とうとう来てしまったかと観念しつつ、

「京都といっても・・・西京極なんです」と丁重にお答えしました。

上品なお姉さまは「西京極ですか!いいですね・・・・駅がありますもんね?」
と優しくお答えになられました。

《駅なんてどこにでもあるやん!!!?》とは思いましたが、これは「いけず」ではなく、思いやりです。どこを誉めようかな・・・と悩んでまで、わたしの出身地を尊重してくださったんです。
ちなみにこのやり取りはよく発生するのですが「西京極ですか!いいですね・・・公園がありますもんね?」という返しをもらうことも多くあります。西京極総合運動公園(陸上競技場)がございますので・・・有難うございます・・・みんな優しいですね。

おわりに

「西京極」出身ということがもたらす、間違いなく京都出身なのだが、そこを「京都」と言ってはいけないかもしれない。そんな感覚がわたしにはあります。だから、京都外から見て京都が好き、のような気持ちも含まれた「京都好き」なんです。「地元好き!!」という、純然たる地元愛からの京都好きとは異なります。

「京都」が示すエリアは、洛中洛外とか、御土居とか、平安京とか、田の字地区とか、御所のそばとか、鉾町とか色々いいますが、現実には規定するのは困難。それは頭の中にあっても触れることができない、哲学でいうイデア(※)みたいなものかもしれません。京都への憧れや敬意が強まるほど、京都はどこでもない場所になっていくんです。京都市上京区に住んでいる友人は「うちはほぼ北区だから全然・・・」みたいなことを言うのですが、じゃあ本当の京都はどこやねんという感じです。きっと、「うちこそが京都のど真ん中です」と言う人はいないのではないでしょうか。それが京都に住む人の嗜みなんです。

京都は心の大事な部分に存在し、「真」「善」「美」のような高い概念にあるのでしょう。それでも時たまに、どうしても京都に触れたくなるから、ついつい「京都カースト」という戯れに興じてみたくなるのかもしれません。

※「イデア」直接には知覚できない、抽象化された純粋な理念であり、対象の本質のこと。

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山田 めいね

Kyoto Love. Kyoto編集部スタッフ。京都が好きで入社し、Kyoto Love. Kyotoの編集や記事制作を行っています。

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