徳川家康と二条城/【中編】大坂の陣への導火線「二条城の会見」に投稿された画像

秀吉亡きあとの実権をめぐって争った関ヶ原の合戦で覇権を握った家康は、社長代理として豊臣カンパニーの人事権を手中にする。石田三成ら反徳川派は解雇、または大幅降格の断を下される。これらの争いを淀の方をはじめとする豊臣方は「あくまでも豊臣カンパニー内の派閥抗争」と認識していた。

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