平成から令和に改まったとき、新しい時代がはじまるんだと気持ちも新たにした人も多かったことでしょう。元号が変わることを改元といいますが、なかでももっとも「時代が動いた感」があったのは明治維新のときだと思います。ちょんまげの時代から方向転換し、近代化への第一歩となった瞬間でした。その明治改元の2日前、明治天皇の切なる願いを込めて、とある天皇の御霊が讃岐(香川県)から京都へ遷されました。讃岐の地で祀られていたのは、平安末期の天皇である崇徳天皇。百人一首で有名な「せをはやみ いわにせかるるたきがわの われてもすえに あわんとぞおもう」の句を詠んだ歌人としても有名な天皇です。しかしそれ以上に名を馳せているのが、怨霊として歴史上最大の猛威をふるったとされる数々の伝説です。歌人としての優雅な一面を持つ崇徳天皇がなにゆえ怨霊と化したのか。そして明治天皇の切なる願いとは何だったのでしょうか。
3歳で即位した天皇
崇徳天皇が生まれたのは平安時代終盤の1119年、源氏と平氏が台頭する少し前の時代です。崇徳はなんと満3歳にして天皇に即位します。そこには天皇家の人には言えない「ワケ」がありました。これから崇徳天皇の怨霊伝説とは切っても切れない、ワケアリのお家事情についてお話ししたいと思います。
なお、登場人物の肩書きが「天皇」「上皇」「法皇」とコロコロ変わってややこしいので、話を現代の会社に例えてみることにします。
ここに「平安株式会社」という先祖代々、一族で経営してきた老舗の会社がありました。社長は超やり手&超超ワンマンの白河さん。息子が若くして亡くなったため、孫の鳥羽さんを次期社長にすえ、自らは会長になります。しかし、孫の代になっても白河会長は権力を手放さず、鳥羽社長を操り人形のようにコントロールします。ストレスフルな毎日を送る鳥羽さんですが、絶対的存在のお爺さんにはアタマがあがらず、白河会長の言いなりでした。そんなある日、白河会長は鳥羽社長の長男、つまり白河会長にとっては「ひ孫」である崇徳くんに社長のポストを譲るように命令します。
トンデモ爺さん・白河天皇
ここまでの関係を図にするとこうなります。このあと、どんどんややこしくなるので、いったんアタマの整理をしておいてください。
さて、このとき崇徳くんわずか3歳、幼き社長の誕生です。てゆうか普通あり得ないですよね。でもワンマン会長の命令なので誰も逆らえません。結果、鳥羽さんは会長に、白河さんは相談役となります。しかし、相談役になっても実権は白河さんが握ったままで、3歳の若社長はもちろん鳥羽会長にも何の権限もありませんでした。相変わらず悶々とした日々を過ごす鳥羽会長。でもそれ以上に鳥羽さんにとって、やるせないものがありました。
それは長男・崇徳の本当の父親は白河さんだったということです。つまり、自分の嫁と爺さんの間にできた子というわけです。白河さんがやり手だったのは仕事だけではなかったのです。壮絶なまでに女好きであった白河さんは美人と見るや、あらゆる思考回路を置き去りにし、本能だけが全力疾走してしまうトンデモ爺さんだったのです。したがって孫の嫁であろうが見境いなし。鳥羽さんにしてみれば、自分の嫁を寝取られたうえ、その子を自分の子として認知しなければいけないという、私ならゲー吐いてしまいそうなくらいドロっドロっの家系図が出来あがってしまうのでした。
さて、鳥羽会長にとって崇徳社長は嫁の不倫相手の子どもであり、しかもその不倫相手が自分の爺さん。爺さんの子どもということは叔父さんになるわけですね。なのに戸籍上は自分の息子ということに。崇徳さんをよく思うわけがありません。そうこうするうちに白河相談役が亡くなり、鳥羽会長はようやく実権を手にすることができました。すると、これまでのウップンを晴らすかのように鳥羽会長は逆襲に打ってでます。崇徳社長を解任し鳥羽会長の本当の子どもである後白河さんを社長にすえるのです。気持ちはメチャメチャ理解できますよね。でもこれが後々、平安株式会社にとって大きな不幸を呼びよせることになるのでした。
※このグチャグチャ家系図にどこまで信憑性があるのか、DNA鑑定などない時代のことですから誰にもわかりません。しかし、当時の人々の大半が「そう思っていた」ことは間違いないようです。
見どころ満載の兄弟対決「保元の乱」
話を平安時代にもどします。この後、鳥羽会長、いや鳥羽法皇(嫁を爺さんに寝取られた人)が亡くなると、排除された元天皇である崇徳上皇(嫁と爺さんの子)と後白河天皇(鳥羽法皇の実の子)が争うこととなります。この2人、実際は大叔父と甥の関係ですが、家系図上は兄弟ってことになります。ややこしすぎ!下の図でアタマの体操をしてください。
そこに藤原氏や源氏・平氏をも巻きこんだ戦争が勃発します。これを「保元の乱」といいます。この戦い、教科書にはサラッと書いてあるだけですが、戦の背景となるドロドロの家系図や、その後の怨霊伝説など見どころ満載の出来事です。なのにそんなことには一切触れていません。だから学校の日本史って面白くないんですね。もったいないことです。
さて、戦いは後白河天皇側の勝利となり、敗れた崇徳上皇は四国・讃岐の国に送られます。遠く讃岐の地で第二の人生を送ることになった崇徳上皇の心のよりどころは和歌と仏教でした。冒頭の有名な歌「せをはやみ~」を詠んだのもこの地であったとされています。同時に心を入れかえようと写経にいそしみ、何百巻という写本ができあがりました。その写本を京の寺に納め、世の平安を願ってほしいと朝廷に献上します。ところが後白河天皇はせっかくの写経を突っ返してしまうのです。「自分たちを怨んでいる崇徳のお経には、呪いが込められているにちがいない」と解釈したわけです。ヒドい話です。
せっかくの想いを踏みにじられた崇徳はドス黒い怒りを爆発させます。なんと自分の舌先を噛み切り、したたる血でこう書くのです。「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」と。ようわからんですね。通訳すると「我こそは日本の大魔王となり、天皇をその座から引きずりおろしてやる。そして民衆のなかから新たな王を生みだしてやる」という呪いの言葉に解釈できます。トランプゲーム大富豪でいうところの「革命」ですね。
そして崇徳は爪や髪を伸び放題にし、鬼夜叉のような風貌となりました。生きたまま天狗になったという説もあります。さらに崇徳上皇の崩御後、その棺おけからは、フタを閉めているにも関わらず血があふれ出したそうです。血が「したたる」のではなく「あふれる」ですよ。フタを開けたら“つゆだく”状態の死体なわけです。あー、もー、私こーゆーエグいのダメなんで、もうやめときます。なんにしても、崇徳上皇は死してなおその怨みが晴れなかったということです。
吹き荒れる怨霊タイフーン
現世に怨みつらみを残したまま世を去った崇徳上皇(爺さんと嫁の子)の死後、その呪いが現実のものとなって天皇家と京都に様ざまな不幸が襲いかかります。延暦寺の強訴、安元の大火、鹿ケ谷の陰謀といった動乱が続き、さらに勝者である後白河天皇(鳥羽天皇の実の子)に近しい人々が次々と亡くなります。しかし、それはまだ不幸の前兆に過ぎず、このあと天皇家にとってもっとも不幸なことが起こります。
それが鎌倉幕府の誕生です。幕府創設が何を意味するか。政治の実権が天皇から一般大衆に過ぎない武士に移ったということです。つまり、崇徳の呪いの言葉「皇を取って民とし民を皇となさん」が現実のものとなったわけです。この時代、貴族は武士を野蛮人としてものすごく見下していました。その野蛮人に政権を奪われたのですから、まさしく天と地がひっくり返ったようなものでしょう。朝廷は崇徳の呪いのパワーに恐れおののき、怨霊の鎮魂に努めますが時すでに遅し。以後700年にわたり武士による政権が続くことになります。
さてさて、時は流れ大政奉還の名のもと700年ぶりに政治の実権が天皇の手に戻ろうとするとき、天皇の脳裏をふたたび崇徳の呪いの言葉がよぎります。この呪いを解かねば新しい時代を開くことはできないと考えた明治天皇は崇徳が眠る讃岐に使者を送ります。白峯寺というお寺にある崇徳の墓前にて「ゴメンナサイ。我々が悪うございました。京都にお住まいをご用意しましたので、どうかお戻りください」と謝罪し、御霊を輿に載せて京都にお迎えします。これが明治維新2日前のことでした。
朝廷がずーーーーっと気にしていた崇徳の呪いの問題を、どうしても解決しておきたかったのですね。こうして崇徳の霊を祀るべく京都に建てられたのが白峯神宮です。現在も堀川通今出川を東に入ったところで崇徳天皇はひっそりと眠っておられます。
ここまで、崇徳天皇の悲しき生涯をふりかえってきました。私的に気になるのは崇徳天皇の怨みの源泉はどこにあったのか、ということです。自分と敵対しヒドい仕打ちをした後白河天皇なのか。それとも生まれながらの不幸を背負わせた白河天皇(トンデモ爺さん)だったのか…。ちなみに崇徳天皇は自分の出生の秘密は知らされなかったという説もあります。
さて、拙稿「なぜ京都は魔界都市と呼ばれるのか?一条戻橋編」で、魔界とは人の怨みが生みだすものだと述べました。
権力争いが絶えない京都には敗者の怨みがそこかしこにあり、それが魔界伝説を彩ることになりました。そして崇徳天皇の怨霊伝説からわかることは、怨霊となった人の地位が高いほど、タタリのパワーも大きくなるということです。この国最高の権威である天皇の怨みですから、そのタタリもハンパなく、世の中をひっくり返すほどの力がありました。崇徳天皇こそ日本史上最強最恐の怨霊だといわれるユエンです。
権力あるところに争いあり、争いあるところに怨霊あり。魔界とは、怨霊におびえる権力者の自責の念が創り出した世界。すなわち、人間の心の中にあるもう一つの世界が魔界なのだと思います。
(編集部/吉川哲史)