平安時代から日本人はサクラの花を愛して、サクラは花の代表となって生活の中に溶け込み、多くの歌にも詠われてきました。日本人は古くからサクラの花を改良しようとして、多くの品種が育成されてきて、現在では600種以上の品種が確認されています。特に江戸末期にできたソメイヨシノ(染井吉野)は、明治末期には接ぎ木されて全国に広がっています。今年は桜の開花も早く、コロナ感染防止の三密を避けながら、何とか桜を見ては息抜きをしています。サクラの中では私は赤味の濃い八重桜が好きですが、緑色の桜も大好きな花です。そのような緑色の桜の品種として、‘御衣黄桜’と‘鬱金’(うこん)があり、京都では平野神社と千本釈迦堂が有名です。その他、雨宝院と六孫王神社、それに原木のある仁和寺でも目にすることができます。
【関連記事】西陣に咲くキミドリ色の桜?サクラはバラ科スモモ属の落葉性広葉樹です。花が葉の出るより先に出てくることから、「花葉見ず、葉花見ず」と言われています。私たちはなにも違和感なく、春にサクラの花を愛でています。しかし、高校時代の友人がドイツからのお客さんの接待で東京から上洛して、サクラを見せたそうです。その反応は意外なもので、葉がなくて花だけが咲いているのは何かグロテスクだという奇妙な反応でした。ドイツにもサクランボがありサクラと同じように花が咲いているはずですが、気候条件が日本とドイツではかなり異なります。日本では冬の寒さで休眠が破れ、それからゆっくり暖かくなって春に花芽が発育し、花が咲きます。更に温度が高くなってきてから、葉が芽吹いてきます。しかしドイツでは他のヨーロッパの国々と同様に、冬から春になってもまだ温度は低く、夏近くなってやっと花と葉が揃って生長をしてきます。そのためドイツでは花を葉と一緒に見ているため、日本の桜に違和感を感じたのだろうと思います。
京都の桜は疎水や高野川との取り合わせも中々落ち着きますが、やはりサクラと言えば平野神社の桜を落とすわけにはいきません。平野神社は奈良の平城京の宮中に祭られており、御所や都の災いを鎮めるお守りをしていました。794年に桓武天皇の平安遷都に伴いこの地に鎮座してきた神社ですが、神社ごと京都に移ってきたのは、数ある神社の中でもここ平野神社だけです。
平野神社には原木の桜など貴重な品種や珍種も多く、その種類は約50種あります。円山公園の枝垂桜の祖の桜も含め、境内には約400本の桜があり、春の夜桜は特に有名です。10月頃から十月桜が咲き続け、冬に訪れたときには寒桜が咲いていました。4月中旬には、‘御衣黄桜’と‘鬱金’(ウコン)が見られます。普段の拝観は無料で、いつ訪れても落ち着くところです。
また千本釈迦堂は千本通りにあり、素敵なサクラとツバキが植わっています。千本通りは平安時代には朱雀大路であって、北は船岡山に繋がり、南には城南宮に通じるかっての大通りでした。千本釈迦堂は今から約800年前、鎌倉初期安貞元年(1227)義空上人によって開創された寺です。境内には‘御衣黄桜’と‘普賢象桜’に加え、巨大な枝垂れ桜の‘阿亀桜’(おかめさくら)があります。
平野神社の‘御衣黄桜’と‘鬱金’(ウコン)
’御衣黄桜‘は江戸時代に京都の仁和寺で栽培されたものが初めとされており、名前の由来は平安貴族の衣服の萌黄色に近いため、’御衣黄桜‘と呼ばれています。‘御衣黄桜’は、江戸時代に長崎に来たシーボルトの持ち帰った標本が、現存するといいます。京都では平野神社と共に、千本釈迦堂の‘御衣黄桜’が有名です。緑色の花は八重桜の濃赤色と共に私の好きな色ですが、鴨川の堤や哲学の道横にもあり、今では‘御衣黄桜’も全国に広がり、各地で見られます。
’御衣黄桜’は八重桜の1品種で、花弁数は10~15枚くらいあり、花の直径は2~2.5cm。花弁は肉厚で反り返り、色は白から淡緑色。中心部に紅色の条線があり、4月中下旬ころの開花時には目立たないが、次第に中心部から赤みが増してきます。以前見たものに比べ、今年は赤みがほとんどまだ出ていないようです。新しく出かけた葉よりも花弁は綺麗な緑色をしています。花弁数も多い八重で、咲き進むと花弁も開いてきます。葉の横側にたくさんの蕾がついていました。ガク片も花弁も同じ鮮やかな緑色で、雄しべも花弁と同じ緑色のようです。
’御衣黄桜‘は、黄色・緑色の花を咲かせるサクラとしてウコン(’鬱金‘)とともに古くから知られていました。咲いてもあまり目立たないので、桜を愛でる人も桜の木とは気が付かないまま通り過ぎるようです。
千本釈迦堂の’御衣黄桜’
薄紅色に咲き乱れるサクラの美しさは言うまでもありません。
しかし、御衣黄桜のように、そこはかとなく放たれる桜色もまた、私たちの心を和ませてくれます。
名残り桜の舞いは、これから佳境を迎えます。