秋には各地でお祭りが行われますが、京都でも季節ごとの多くの祭りがあります。それに先立ち5月には葵祭があり上賀茂神社で葵祭の社頭の儀を拝見したこと、7月の祇園祭には宵山に行き幾つかの鉾と山を拝見 したことを先に紹介しました。更に10月には時代祭の巡行があります。北野天満宮の祭礼である北野祭は、8月7日の御手洗祭に始まり、9月4日の例祭(大祭)・北野御霊祭に続き、10月1日~5日に渡る瑞饋(ずいき)祭を迎えます。
この瑞饋祭では古くから西之京の地で行われていた氏子の祭に、明治時代になって神幸祭(神様が氏子地域を巡行する氏神祭)が取り入れられ、現在の形が整いました。カメラを持った人々がもっとも待ち構えるのは上七軒で、芸者さんや舞妓さんなどが行列をお茶屋で出迎えています。
5日間の祭礼のうち、1日の「神幸祭」では天神様を本社より西ノ京の御旅所にお遷しし、2・3日は御旅所で献茶祭などを斎行し、4日の「還幸祭」で本社に戻られます。特に10月4日の還幸祭は「おいでまつり」とも呼ばれ、単に天神様が御旅所から本社へお帰りになる、というだけでなく、「大宰府でお隠れになった菅原道真公の御霊が神様として北野の地においでになる」という御鎮座の由来を回顧し再現する意味を持つ重要なお祭です。三基の御鳳輦を中心に神牛の引く御羽車や松鉾、梅鉾など、絢爛たる行列が氏子地域を巡行します。瑞饋御輿は10月1日から3日まで御旅所に奉安され、10月4日に巡行します。ここには2017年の4日に行われた、御旅所で見た還幸祭と瑞饋神輿の行列を紹介します。巡行路は先の記事(瑞饋神輿-前編・後編)をご覧下さい。
氏子祭の瑞饋神輿
瑞饋御輿(ずいきみこし)は、さといもの葉柄(ズイキ、芋茎)で屋根を葺き、その他の柱や瓔珞(ようらく)などの各部分を野菜や殼物、乾物等で飾り付けたお神輿で、京都市の無形民俗文化財に登録されています。使用する野菜の栽培から飾り付け、またその技術の継承など「西之京瑞饋神輿保存会」により伝統が受け継がれています。
子供瑞饋神輿は瑞饋神輿と構造は同じで、子供用に作られた神輿です。屋根はサトイモの茎のズイキで葺いています。瑞饋神輿と同様に側面の上側には欄間と下側には桂馬があり、これらは毎年担当者が代わって各自がその年の話題から絵柄を選んで作成しますが、模様にはパンダを描くなど子供らしさが工夫されています。巡行路も少し短くなっています。
氏神祭の神幸列
行列を先導する導山(みちびきやま)は、道案内の神さんとされる猿田彦大神(サルタヒコノオオカミ)が乗っています。左上にその顔を示しています。猿田彦大神は、日本神話に登場する国津神で、天孫降臨の道案内をしたということから、道の神、道案内神、旅人の神、交通安全の神とされる道祖神とも同一視されています。
京の祭りには欠かせない剣鉾と花笠
瑞饋祭の行列の多くは氏子の講と学区によって守られてきており、剣鉾として梅鉾と松鉾が続きます。剣鉾は本来は祭礼の神輿渡御の先導を務め、悪霊を鎮める祭具です。しかし今回の写真では、飾りの先端にあるべき鉾先(剣先)がはっきりしませんでした。
梅鉾は二十四日講、松鉾は神若会・松栄講・衣笠学区・大将軍学区によって、大切に守り保ってこられています。梅鉾・松鉾は、北野天満宮本殿前の左近の梅・右近の松にちなむもので、2基の「荷鉾(にないぼこ)」で曳かれて巡行します。梅鉾では、枝についた梅模様の花の金色の飾りが見えます。飾り中央の額には、北野天満宮という文字が見え、周りを松の意匠に囲まれています。松鉾では老松が五階重ねられ、松笠も付いた立体的な意匠になっています。飾りの中央の額には「北野天満天神」の神号が見えます。
京の祭には鉾と同様に、花笠も欠かせません。花傘は鮮やかな生花を頂点に頂いています。花を少し大きくして左上に示しています。大きさも頂点の花までになると、高さ4メートルにもなり、まさに日本一の花傘です。花傘はずいき祭の神幸祭行列と還幸祭行列と共に供奉し、祭礼期間中は御旅所で花傘の展覧も行っています。
神霊を覆う錦蓋(きんがい)と菅蓋(かんがい)
次に、神輿の前方を進む錦蓋と菅蓋が来ます。蓋は神霊、貴人や導師・仏像などの頭上にさしかける笠や覆いです。ずいき祭りでは道真公、中将殿(嫡男)、吉祥女(奥方)の3柱の神様が3基の御鳳輦にて渡御されますが、鳳輦にもしもの事があった場合にはこの錦蓋、菅蓋にて渡御されます。種類として晴天用の錦蓋、雨儀用の菅蓋とがあります。錦蓋は黒漆塗りの冂(ケイ)字型枠から下げる垂下式蓋で、両脇を真っ直ぐに立てた棹で両手で差し上げて支えます。
錦蓋は直径約1.2mあり、その傘裂は白色絹布で、傘周囲に二重の帽額(幕)を下げます。上部外側の短い帽額は朱地に金の十六弁菊家紋と銀の小菊紋を散らしたもので、内側に吊るす丈の長い帽額は菱型に組んだ松葉の間に梅花と松枝を散らした金襴でできています。菅蓋は菅傘部が直径約1.2m、それに朱漆塗りの冂字型枠で吊り下げます。傘周囲から錦蓋と同様の帽額を二重に下げています。
主祭神が乗られる第一鳳輦(ほうれん)、葱華輦(そうかれん)と第三鳳輦
錦蓋、菅蓋に続いて鳳凰が来ました。輦は神事などで行幸される神霊や天皇の乗り物のことで、これらの輦は普段は、御旅所に保管されています。
第一鳳輦には主祭神・菅原道真が乗られ、鳳輦の屋形の上に鳳凰が乗っています。道真公は右大臣になられましたが讒言され太宰府に流罪となり、2年後の2月23日に、享年59歳で薨去されました。
第二鳳輦の葱華輦には道真の嫡男が乗られています。長男の高視は土佐に左遷されましたが、5年後に許され帰京して大学頭に復しましたが、以後は振るわず38歳で病死しました。この輦の上には鳳凰でなく葱(ネギ)の花の飾りがあります。医療の進んでいなかった当時としてはネギ類のニンニク、ネギなどは薬用的にも重要であったと思われ、それらの種子をつけたネギ坊主は、橋の欄干や御神輿の先端などに擬宝珠(ぎぼし)として今に残っています。
第三鳳輦には奥方が乗られています。輦の上に第一鳳輦と同じように鳳凰が乗っています。奥方の島田宣来子(しまだのぶきこ)は公の流罪後京に留まったとされますが、没年は不詳です。岩手県一関市には娘たちと共に落ち延びたという伝承と墓が残されています。
主祭神に従う神職と宮廷馬車
宮廷馬車・宮司神職の前後を守りながら、先駆神職が騎馬で供奉します。
続いて、宮廷馬車・宮司神職の直前で先導する神職が、神職先導として騎馬で供奉します。次に、神職が黒塗りの立派な馬車で行列します。場所の横には梅紋が入っています。
最後尾に来るのは、宮廷馬車に供奉する騎馬の神職です。騎馬などの後には馬の糞を回収する係の人もついていてなかなか大変です。乗る人も馬に慣れていないと制御が難しく、どの馬にも前にベテランの馬の飼い主など二人が付き手綱を支えています。
京の祭りの殆どは地元の氏子他の多くの人によって支えられて、祭具が保存され、手入れされて組み立てられて、お祭りが挙行されています。一昨年、昨年とコロナの蔓延で、神輿巡行などの祭礼が行われないで、神職のみによる神事が行われてきました。祭礼が中止になると、祭礼実施のノウハウの維持も困難になり、伝承が途絶えてしまう危険性があります。今年は瑞饋祭りも挙行されるようで一安心ですが、自分の周りにある地域の祭礼の実態とその歴史にも、関心を持って欲しいものです。
段上達雄. 2013.きぬがさ3—復活する祭礼の蓋—. (5)北野天満宮のずいき祭. pp.9-11. 別府大学大学院紀要 1-19.
藤目幸擴. 怨霊から御霊神となった菅原道真公を1100年有余お祀りしてきた瑞喜神輿.前編・後編.Kyoto Love.Kyoto
京都市文化財保護課.京都 剣鉾のまつり調査報告書.2.民族調査返.第6章
3秋.秋の剣鉾のまつり.北野天満宮 瑞饋祭.pp.178-185.