3月末から4月初め、加茂街道(南は葵橋西詰から北は高橋西詰に至る賀茂川西堤の道。全長約 6.4km 『続 京都の大路小路』小学館より)を車で走るとなるとちょっとした覚悟が必要です。特に葵橋から北山橋の間はノロノロ運転の車が数珠つながり。市外ナンバーだけでなく京都ナンバーもたくさんあります。もちろん、本サイトをご覧いただいている皆さんなら、この原因はおわかりのことと思います。そうです。それは、賀茂川堤防沿いの桜並木です。
若女将おすすめ「桜街道」スポットを読む長年にわたる風雪やひっきりなしに往来する車の排気ガスに耐えながらも、春の一時期、懸命に花を咲かせ道行く人々の目を楽しませ心を和ませてくれている賀茂川沿いの桜たち。
京の桜名所の一つといってもよい賀茂川沿いの桜並木ですが、残念なことに昨年(2018年)の9月4日、京都市を直撃した台風21号によって倒れたり枝が折れたりしてしまったものもあるようです。
さて、これらの桜並木ですが、明治の終わりに植樹されたという碑文が残されています。
今も、すべてではないものの当時植樹された樹木が残っています。そのときに一緒に植えられた楓はもっとたくさん残っていることでしょう。
実は、表題にある「志波む桜」と記された石碑が出雲路橋(賀茂川の北大路橋と葵橋の間の橋)西詰にあるのですが、この「志波む」というのが大きなヒントになるのです。とはいえ、「『志波む桜』って、いったいどう読むの?読み方もわからない!」というのがおおかたでしょう。『師範桜』と書けば読み方はおわかりになるでしょう。「しはむ」を万葉仮名で書き表して「志波む」としたという話を聞いたこともあります。つまり、「師範桜」とは、「教える人」や「手本になる人」、「教師」にかかわりのある「桜」ということになりますね。身を明かすことになってしまう「師範桜」という名称にせず「志波む桜」としたのは、当時かかわった方々の奥ゆかしさではなかったでしょうか。
それでは、「志波む桜(師範桜)」の概要に迫ってみましょう。
現在の京都教育大学の前身である京都府師範学校の教職員と生徒、さらには、その附属小学校児童による植樹が始まりなのだそうです。
ちょっと誇らしい気持ちになります。
それというのも、私、京都教育大学を卒業し京都市立小学校教員として 40年近く勤務してまいりました。定年退職してからも京都市総合教育センター内のカリキュラム開発支援センターに勤務しています。その傍ら、理事の一員として出身校である京都教育大学の同窓会に関わらせてもいただいています。明治の先輩のみなさんが植樹された事業が京都の桜名所の始まりだということを知れば、後輩の誰もが誇らしい気持ちになりますよね。
『京都教育大学教育学部附属京都小学校百周年記念誌』(百周年記念誌編纂委員会編 昭和56年11月22日発行)には、総計5000本を超える桜及び楓の植樹事業を半年で成し遂げたこと、さらにこの後も捕植が続き大正3年までの間に、桜1573本、楓900本、合計2473本を補植したということが記されています。しかも全経費を職員、生徒、児童が醵出し、植付けも自分達の手で行ったとのことです。
また、昭和40年、京都学芸大学紫郊体育会は、再び桜を稙えることを計画し桜の第一人者たる嵯峨の佐野藤右衛門氏のところの桜苗木15本を、出雲路橋から出町柳の間に植樹したということも記されています。