タモリさんもびっくりした「御土居」
あのタモさんも番組で驚いた、京都を囲む総延長22.5㎞の盛り土の「壁」。
いったい何のために誰が作ったのか。
江戸時代になると、外敵の脅威はなくなり、市街地が洛外に広がるにつれて土塁は次々と取り壊されていった。御土居の遺構は、北西部を中心にわずかに残っている。
昭和5年(1930)、市内に残る「御土居」のうち8箇所が、京都の沿革を知るうえに、また、広く我が国における都市の発達をたどる重要な遺構として「史跡」に指定、昭和40年(1965)にさらに一箇所(北野天満宮境内)が追加され、現在9箇所が指定されている。
史跡指定地以外ではその後も「御土居」の撤去が進み、1960年代には史跡指定の「御土居」が宅地造成業者によって破壊される事件が何度か起こった。近年、NHK番組の「ブラタモリ」で玄琢下の市内最大の「御土居」が取り上げられた。土塁と堀の残存状況がよく、複雑な地形に対応して築かれた「御土居」の迫力する様子をつぶさに観察することができる。土塁上に登ったタモリさんが京都市内を見下ろし、ビックリしていたのが記憶に新しい。
昭和41年の現状(筆者撮影)
【歴史愛好家シリーズ】この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます
▶︎[明智光秀と周山城]▶︎[都に輝く黄金の幻の城・聚楽第]絢爛豪華な秀吉の邸宅兼政庁
▶︎[豊臣秀次と瑞泉寺]処刑場は、今やカップルの憩いの場
関連する記事
橋本 楯夫
昭和19年京都市北区生まれ。
理科の中学校教諭として勤めながら、まちの歴史を研究し続ける。
得意分野は「怖い話」。
全国連合退職校長会近畿地区協議会会長。
|自称まちの歴史愛好家|北野天満宮/今宮神社/千本通/明智光秀/怖い話
アクセスランキング
人気のある記事ランキング
史跡に指定されていない