⑦ 平野鳥居前町  整備された御土居

⑦ 平野鳥居前町  整備された御土居

「御土居」の構造は、外側に堀を巡らせ、内側には土を盛り上げて土塁を築いた。その断面は基底部が約20m、頂上部が約5m、高さが約5mの台形状であった。土塁の外側に添って堀(堀の一部は、川・池・沼など利用)があり、その幅は10m、深さは最大約5m程度であった。土塁上には土崩れを防ぐために竹を植えた。

「御土居」の内側は洛中、外側は洛外と呼ばれ、要所には出入口として、長坂口・鞍馬口・大原口・粟田口・伏見口・東寺口・丹波口など「京の七口」がつくられた。人や物資の出入りを見張り、外敵の侵入に備えた。

⑧ 北野天満宮境内 紙屋川が堀

⑧ 北野天満宮境内 紙屋川が堀

江戸時代になると、外敵の脅威はなくなり、市街地が洛外に広がるにつれて土塁は次々と取り壊されていった。御土居の遺構は、北西部を中心にわずかに残っている。

昭和5年(1930)、市内に残る「御土居」のうち8箇所が、京都の沿革を知るうえに、また、広く我が国における都市の発達をたどる重要な遺構として「史跡」に指定、昭和40年(1965)にさらに一箇所(北野天満宮境内)が追加され、現在9箇所が指定されている。

⑨ 北野中学校内  御土居の袖

⑨ 北野中学校内  御土居の袖

史跡に指定されていない

大正7年に撮影されたグランドの様子。
まだ若い双樹の後ろに土塁が写って、そのバックに愛宕山が見える。
北野中学校校長室に保存されている。

⑩ 市五郎大明神

⑩ 市五郎大明神

史跡指定地以外ではその後も「御土居」の撤去が進み、1960年代には史跡指定の「御土居」が宅地造成業者によって破壊される事件が何度か起こった。近年、NHK番組の「ブラタモリ」で玄琢下の市内最大の「御土居」が取り上げられた。土塁と堀の残存状況がよく、複雑な地形に対応して築かれた「御土居」の迫力する様子をつぶさに観察することができる。土塁上に登ったタモリさんが京都市内を見下ろし、ビックリしていたのが記憶に新しい。

⑪ 蘆山寺境内

⑪ 蘆山寺境内

府立病院前

昭和41年の現状(筆者撮影)

②近くの御土居 宅地造成中

②近くの御土居 宅地造成中

  
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この記事を書いたKLKライター

自称まちの歴史愛好家
橋本 楯夫

 
昭和19年京都市北区生まれ。
理科の中学校教諭として勤めながら、まちの歴史を研究し続ける。
得意分野は「怖い話」。
全国連合退職校長会近畿地区協議会会長。

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