祇園祭はコロナに負けたか?

最近は多くの人から「今年は祇園祭も中止なんですね」と訊ねられる。私は必ず「とんでもありません。祇園祭はちゃんと行ないますよ」と答えることにしている。今年の祇園祭が中止だと認識している人たちは、山鉾巡行だけが祇園祭だと思っているのだ。確かに今年は、山鉾を建てることもなく、当然宵山もなし。さらに前祭、後祭とも山鉾巡行は中止と決まった。さらに神輿渡御も、神幸祭・還幸祭ともに行われない。そのことを知っている人たちは、当然のように「今年の祇園祭は中止」だと思い込むのも無理はないだろう。しかし、祇園祭の真髄は、疫病の原因と考えられた悪霊たちを御旅所に集め、神の霊力でその威力を削ぎ、都の外へ送り出すことにあるのである。

祇園祭の基層ともいえる御霊信仰は、平安時代にインドから伝わった牛頭天王信仰と習合して定着した。牛頭天王はインドでは祇園精舎の守護神だったが、日本では疫神の代表格であるとされ、瞬く間にすべてのものを滅ぼすことができる恐ろしい神であると考えられるようになった。都人はその強大な力に頼って、疫病の原因とされる諸々の悪霊たちを鎮めようとしたのである。祇園社すなわち今日の八坂神社から出される3基の神輿には、牛頭天王の家族が乗り、都の中心に作設けられた御旅所へ渡御するという形式が平安時代後期には整えられたと考えられている。このことは、平安京の人々は祇園社の祭神である牛頭天王という恐ろしい神を、毎年わざわざ自分たちの生活領域の近くに招いて祀っていたことになる。それはおそらく、牛頭天王のパワーに頼って、都に疫病を撒き散らす種々の悪霊たちを撃退しようとしたのではないかと思われる。これは換言すれば、牛頭天王という強大な力を有する神を用心棒として雇い、諸々の悪霊たちに対抗しようとしたといえるだろう。すなわち祇園祭のもっとも中心となる神事は、御旅所へ祇園社の神がやってきて、悪霊たちの怒りを鎮めて都外へ送り出すことなのである。後になって登場してくる山鉾は、町中を彷徨う悪霊たちを集めて回ることを目的として創造された出し物であり、だからこそ、氏子圏を巡行する必要があったのである。

今年は、八坂神社では神輿に替わって3基の「神籬」すなわち神の依代を準備し、そこへ神を乗り移らせて、7月17日の神幸祭には本社から四条寺町の御旅所へ渡し、また24日の還幸祭には御旅所から本社へ戻すという。つまり、神輿の渡御と山鉾巡行自体は中止になったが、八坂神社の神は例年通り御旅所へやってきて、各山鉾町から集められた悪霊たちを鎮圧するための神事がきちんと行われるのである。私が「今年も祇園祭はちゃんと行われます」と主張する根拠が、これでお分かりいただけただろう。

ところで6月14日(日)には、祇園祭発祥の地ともされる神泉苑で盛大な御霊会、つまり祇園祭のルーツたる厳かな儀礼が行われた。神泉苑は平安時代から存在する京の都最大の貯水池であり、太古から涸れることのない地下水が滾々と湧出る泉である。現在の神泉苑は東寺真言宗の寺院となっている。そこへ八坂神社の神職たちが来て、まさに神仏習合の形で、新型コロナウイルス退散を祈願するための御霊会が営まれたのである。考えてみれば、明治以前はすべてが神仏習合の状態だったので、神職と僧侶が協同で儀礼をおこなうことは決して珍しいことではなかったが、今日的には異例の出来事だといえるだろう。そこには、祇園祭に携わる人たちの、歴史的にも稀有な感染症の蔓延を一日も早く鎮圧せんとする、執念ともいえる志が見え隠れしているのである。

祇園祭は決してコロナに負けてはいない。それどころか、例年以上に祇園の神々は総力を結集してコロナと戦っているのである。今年こそ、すべての人々が祇園祭の真の意味を再認識するとともに、祇園の神々の計り知れない霊力を信じて、人類に襲いかかる目に見えない強敵に対抗してゆかねばならないのである。

▶︎祇園祭は疫病に負けたのか 第3回 三宅 徹

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この記事を書いたライター

1955年(昭和30)年 祇園祭鉾町の家系に生まれる。
京都生まれの京都育ち 生粋の京都人
同志社大学文学部卒業 佛教大学大学院博士後期課程修了 文学博士
専門は民俗学

世界鬼学会会長、日本民俗学会監事、京都民俗学会会長代行・京都府および京都市文化財保護審議委員 ほか 多数歴任

毎年、祇園祭山鉾巡行および五山送り火には実況解説役としてテレビ出演している。

『婚姻と家族の民俗的構造』(吉川弘文館)、『男と女の民俗誌』(吉川弘文館)、『京のまつりと祈り-みやこの四季をめぐる民俗』(昭和堂)、『日本の民俗信仰を知るための30章』(淡交社)など、著書多数

|佛教大学歴史学部教授・公益財団法人綾傘鉾保存会理事|祇園祭/五山送り火/火祭/御火焚/大根焚