2020年、新型コロナウィルスの流行により、社会が大きな影響を受けています。
京都の祇園祭も例外ではありません。
さまざまな神事が縮小、中止を余儀なくされています。
しかし、祇園祭が完全に止められたわけでは無いことは、様々なところで説明されており、皆様も一度は目にされているのではないかと思います。
氏子及び山鉾町の皆さんは、現在の制約の中で、可能な限りの神事を模索し、実施されています。
7月1日。祇園祭の始まりである「吉符入り」の日です。
私は、下京区にある大原神社へと寄せさせて頂きました。
ここは、山鉾のひとつ綾傘鉾の会所になっているところです。
町内の皆さんが、八坂神社の神職の方をお迎えし、礼拝を行うのですが、例年と比べて参列者の数を減らすという対応をされていたものの、儀式の流れは例年とほぼ同じでした。むしろ、例年よりもひとつ要素が増えていたほどです。
それは、こちらの榊。
ことしは、山鉾を建てないことになりましたので、これを綾傘鉾の代わりとして祀り、これに礼拝するという形になったのです。
この榊は各山鉾町に配られたとお聞きしました。他の町内でも、同じようにされたことと思います。
榊の奥には、少し隠れて見えにくいですが、「牛頭天王(八坂の主神 素盞嗚尊と同一とされる疫神)」の掛け軸があります。
神事は、大原神社と摂社の稲荷社に対して、それぞれ、修祓(お祓い)、祝詞奏上、献饌、礼拝、玉串奉奠と進められ
最後に牛頭天王の掛け軸と榊に向けて礼拝されました。
「祇園祭は中止になった」という言説がしばしば見られます。
しかし、その表現にはよくよく注意が必要です。
現に、祭りに関わる人達が、できる限りの事をされている。これは「中止」なのでしょうか?
私はむしろ、来年以降にむけて、事態が落ち着き、再び完全な形で祇園祭を催行するための、強い気持ちを感じました。
形は縮小・変更されているかもしれないが、しかし祭りは途切れていないのです。
こうやってできる限りのことを続けることは、神社と氏子、又は人と人の繋がりを確認し、今後につなげる準備ですらあるように思います。
過去を振り返れば、祇園祭が戦争や災害などによって延期及び変更・中止を強いられたのは一度や二度ではありません。
資料を紐解けば、天正10(1582)年、本能寺の変での延期もあり、江戸時代には徳川将軍や幕府要人等の死去に伴う延期も何回かあったようです。
明治時代には、三回、コレラ流行のために催行日が変更になっています。
特に、貴重な文化財や山鉾を損なった天明の大火及び蛤御門の変のときなどは、復興までの道程は果てしなく遠いものに見えたことでしょう。この時は、山鉾に代えて榊や唐櫃を用いての巡行をした山鉾があったようです。
こうして、災害にも関わらず祭りを続けた人があり、それが時には山鉾の復興にまでつながった事例を思えば、今年の形で祭事を維持することは重要であり、先人の振る舞いを踏襲するものと言えます。