楽天にマー君が帰ってきましたね。震災から10年となる節目の復帰となり、東北にとって希望の一年となりそうです。その田中将大投手のルーキー時代にプロ野球人としての薫陶を授けたのが野村克也氏でした。

そして、今日2月11日はノムさんが亡くなってちょうど1年となる日です。その訃報は地元・京都新聞では一面トップで大きく取りあげられていました。そこでノムさんをあらためて偲ぶべく、京都が生みだしたスーパースター・野村克也氏の知られざる人となりを綴ってみたいと思います。

野村克也85年の生涯

まずはノムさんの生涯をザっと振り返ってみましょう。野村克也氏は1935年(昭和10年)に京都府竹野郡網野町(現・京丹後市)で生を受けました。ちなみに後のライバルとなる長嶋茂雄氏とは同級生です。

野村氏の生まれ故郷である網野町は日本海に面し、夕日が浦など美しい海岸線を有する観光地として、また丹後ちりめんの産地として有名です。父が戦争で亡くなったため母の手ひとつで育てられた野村少年は、府立峰山高校で甲子園を目指したものの夢叶わず。

その夢をプロ野球に託し、南海ホークス(現在のソフトバンク)にテスト生として入団します。その後、努力の甲斐あってレギュラーに定着、南海の4番バッターとしてホームラン王9回、戦後初の三冠王に輝くなど球史に名を残す大打者となりました。

夕日ヶ浦海岸

夕日ヶ浦海岸

そして35歳となった1970年に選手兼任で南海の監督に就任します。野村監督はベンチで采配を振るいながら同時に四番打者として、そして捕手として3足の草鞋を履きこなし、チームを優勝に導くとともにMVPにも選ばれるなど、監督と選手を見事に両立させました。

ところが、1977年にチーム成績が2位にも関わらず、突然監督を解任され選手としても解雇されます。その理由はご存知サッチーこと沙知代夫人とも深く関わるので、後ほどじっくりと。結局、一選手に戻ってロッテ~西武と渡り歩き、1980年に現役を引退。しかし、その報は大選手にふさわしいものとはいえず、長嶋監督の解任、王選手引退の大ニュースの陰に隠れてひっそりとしたものでした。

引退後は解説者として活動、ストライクゾーンを9つに分けた「ノムラスコープ」を駆使し、打者と投手の心理を読んだ解説が評判となります。その名解説っぷりに注目したヤクルトスワローズに請われて1990年に監督就任。万年Bクラスだったヤクルトを常勝チームに変身させ、リーグ優勝4回、日本一3回の実績を残し名将の称号を得ます。

すると、今度はそのころ暗黒の時代真っただ中にいた阪神タイガースの監督に三顧の礼で迎えられました。しかし、タイガースではなかなか実績が残せないまま、志半ばにしてサッチー脱税事件の責任をとり辞任。

その後は楽天イーグルスの監督としてマー君こと田中将大を日本のエースに育てるとともに、チーム史上初のAクラスに導きます。そして2009年に惜しまれながらも退任、最後のユニフォームを脱ぎました。

ノムさんとサッチー

ここまで野球人・野村克也について述べましたが、ここからは人間・野村克也にスポットを当ててみます。ノムさんといえば、その人生に大きな影響を与えたのが沙知代夫人です。実はサッチーと出会ったとき、ノムさんには既に奥さんがいました。つまりフ・リ・ンだったわけで、今どきのご時世なら袋叩きにあうところですが、当時はおおらかな時代だったので不倫くらいでは問題とされませんでした。

ところが、です。

サッチーさんは当時から一歩も二歩も自分が前に出なきゃ気が済まないタイプ、故人なので遠回しにいいましたが、一言でいえば「出しゃばり」なわけです。ウソかマコトか、サッチーは球場内で選手に指導という名の口出しをし、またあるときは球場に電話をかけ「なんであんな選手を使うの!コーチを呼びなさい!」と叫んだとか。これが公私混同として問題視され、前述の南海監督解任につながりました。

このとき、ノムさんは後援会長であった比叡山のさるお寺の高僧に「野球をとるか、女をとるか、はっきりせい!!」と迫られました。するとノムさんは敢然と「女をとります。世の中に職業はたくさんあるけれど沙知代という女性は世界に一人しかいません」と言い切ったのです。これ、けっこうスゴイと思いません?野球一筋に生きてきたノムさんは自らを「野村克也-野球=ゼロ」と語っていました。つまり自分のすべてを投げだしてまでサッチーを選んだわけです。データ重視の知的な野球を展開したクールなイメージからは想像できない熱い血をたぎらせていたのです。そして晴れて2人は結ばれ正式に籍を入れることとなりました。

ところが、前述のとおり阪神監督時代もサッチーの脱税事件が引き金となり、辞任を余儀なくされます。2回もクビの原因を作った女性、しかも今度は執行猶予がついたものの有罪判決を受けています。フツーに考えると離婚ですよね。

でも、ノムさん、じっと彼女の帰りを待つんです。野村克也のTrue Loveがここにありました。しばらくしてほとぼりが冷めたころ、あまり悪びれた風には見えないサッチーと並んで再びメディアに露出します。しかもノムさん、とても嬉しそう。そんな彼ですから、3年前にサッチーに先立たれた際には、監督をクビになった時とは比べものにならないくらい憔悴しきった表情を見せていました。そして今年2月、彼女の後を追うように永遠の眠りにつかれました。


京都人ノムさん

では、ここからはノムさんの京都人度についてみてみましょう。サッチーとの逸話にとどまらず、実は情熱家のノムさん。自身の著書でも「私くらい情に厚い監督はいないと思う」と書き、また弟子である古田敦也氏は「理論派といわれるが実際はとても感情豊かな人」と述べています。

一般的なノムさんのイメージとは、なんだか違いますよね。いつもブツブツブツブツとボヤき、選手や記者にもネチネチと嫌味を言う…多くの人が抱くノムさん像はこっちですよね。つまり、自分の思いはしっかり持っているのに、遠回しな物言いでなかなか本音を明かさない、ってこと。

これって、ぶぶ漬け伝説に象徴される、誤解されやすい京都人の振る舞いそのものではありませんか?そしてネチネチ嫌味を言うその姿は京都弁の意地悪を意味する「イケズ」という言葉がピッタリです。これもノムさん流の照れ隠しだったのでしょう。


また、ノムさんは数々の名言を残しましたが、その代名詞ともなっているのが「月見草」です。当時のパ・リーグは今が信じられないほど超マイナーで、観客数が100人なんてこともザラでした。したがって、その成績だけでいえばミスターを凌駕し、王さんとタメを張るほどなのに、選手・野村克也は地味~な存在でした。

現役時代の彼は自身を称してこう語ります。「長嶋や王は太陽の下で咲くヒマワリ。自分は人の見ていないところでひっそりと咲く月見草。そんな花があってもいいじゃないか」と。このときなぜ月見草という花にたとえたのか。それは少年時代に故郷である網野町の浜辺でよく見かけた花が月見草で、夜にひっそりと咲くその姿が子供心にその胸に焼きついていたのでしょう。自分をたとえる言葉に故郷での思い出を持ちだす、彼の京都への思いがここに見てとれます。


ところで、監督ノムさんの代名詞はデータ重視を意味する「ID野球」とともに「野村再生工場」でした。他チームをお払い箱になった選手、芽が出なかった選手が野村監督の指導のもとで花を咲かせる。かの江本孟紀氏もそのひとりです。

ノムさんに言わせると「本当は大枚はたいて大物を獲りたかったが、球団がカネを出してくれへんのやからしょうがない」という事情による苦肉の策だったそうです。でも、これって「ものを大切にし最後まで使い切る」という京都人の「始末のココロ」の現れではいないでしょうか。少年時代、決して裕福とは言えない家庭で育った野村少年にお母さんが「始末せなアカンえ」と言い聞かせていたのかもしれませんね。

栄光と挫折が織りなした波乱万丈の人生を送ったノムさん。その功績を讃えて出身地の京丹後市名誉市民の称号が贈られています。きっと今ごろは天国でもサッチーの尻に敷かれながら、満更でもない笑みを浮かべているんでしょうね。

今度こそ末永くお幸せに!


(編集部/吉川哲史)

参考文献

私が選んだプロ野球10大名プレー/野村克也
野村克也解体新書/江本孟紀
スポーツ・グラフィックNumber「名将 野村克也が遺したもの」
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この記事を書いたKLKライター

八坂神社中御座 三若神輿会 幹事
吉川 哲史

 
Kyoto Love.Kyotoでの執筆記事数が50を超えるKLKフリーク。日本語検定一級、漢検(日本漢字能力検定)準一級を取得した目的は、難解な都市・京都をわかりやすく伝えるためだとか。

地元広告代理店での勤務経験を活かし、JR東海ツアーの観光ガイドや同志社大学イベント講座、企業向けの広告講座、オンラインイベント「ひみつの京都案内」などのゲスト講師に招かれることも。

得意ジャンルは歴史(特に戦国時代)と西陣エリア。自称・元敏腕宅配ドライバーとして、上京区の大路小路を知り尽くす。夏になると祇園祭に想いを馳せるとともに、祭の深奥さに迷宮をさまようのが恒例。

サンケイデザイン㈱専務取締役

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