▶︎プロの配達員が語る京都の宅配事情 part3
上ル下ルに振りまわされて…
前回に引きつづき「上ル下ル」の住所表記が、配達の現場にもたらす影響とは?をご紹介いたします。まずは私のアタマの中に「?」がてんこ盛りになったケースから。京都市上京区に「桐木町」という町名があります。ザックリいうと千本通今出川の北東、正確にいうと千本五辻の交差点を東に入って1本目の通りを北に行けば桐木町です。この桐木町を舞台に不思議ワールドを経験しました。この地はふつう「千本通五辻東入上ル桐木町」と表記されます。でも、ある時こんな住所の荷物がありました。「千本通五辻東入上ル西入下ル」と書かれていたのです。なんだか、ひと昔前の宝探しの地図にある暗号のようですね。ちなみに町名は省略されていました。表記通り素直にたどっていくと、あらフシギ、一周まわって元の千本五辻に戻ってしまうのです。
よく考えれば、「東入上ル」と「西入下ル」で、それぞれを打ち消していますよね。「1+1-1-1=0」みたいなもんです。私もアタマがこんがらがりました。もう一度よ~く考えて地図とニラメッコしているうちに正解が見えてきました。目指すお宅はやっぱり桐木町でした。実はこの桐木町には路地がたくさんあって、まるで1つの町内を形成するかのように路地があちこちに伸びているのです。
この細~い路地まで上ル下ルにカウントしていることに気づかなかったのが失敗でした。ある意味、親切といえば親切な表記なのですが、それならひとこと「桐木町」と書いてくれれば、私も「地図内遭難」をせずにすんだのですが…。
♪迷子の迷子の配達員、目指すおうちはどこですか?
今度は逆にこの暗号のような住所に助けられた例をお目にかけましょう。「上京区北町」という町名があります。小林氏の記事で述べられていました、郵便番号簿のほぼ一列分を占拠する、トンデモ町です。ザックリいうと北野天満宮を5~600mほど南に行ったあたりにあります。
この北町は初心者時代の私には、非常に難易度の高い町内でした。何しろ通り名のない道が交差する十字路がいたるところにあるのです。ゆえに目印となるものが少なく同じような景色が続くため、「自分が今、どこにいるのかわからない状態」という、ドツボに陥ってしまうのです。上ル下ルを繰り返しているうちに、まち元の場所に戻っていた…なんてことも。これは絶望的です。何しろ地図を見たって現在地がわからないのだから、どうしようもありません。童謡「犬のおまわりさん」に出てくる迷子の仔ネコ状態です。しかたなく当てずっぽうで車を進めて、大通りが見えるところまで戻ってやり直しです。ビギナーはここで10~20分を費やしてしまいます。なにより精神的にくたびれてしまうことの方がツラかったですね。
さて、この北町はなぜか番地が大ざっぱで、570番と574番と580番の3つの番地でほぼ9割を占めています。つまり、同じ番地の家がめちゃめちゃ多いわけです。たとえば574番地だけで約100軒あります。ここからお目当ての家を探すと、地図を追っかけている目が「イーーーー!」となってしまいます。でもここで「天神道妙心寺道上ル 二筋目東入上ル」と書いてくれれば、その指示通りに目を進めていくことで、お届け先を発見できるんです。
このような「同じ番地に100軒の家」エリアが、北町には3つもあるのですから、難易度「高」区域であることがお分かりいただけるかと思います。
ここまで見てきましたように、まるでアミダくじを思わせる「上ル下ル東入西入」の住所表記に振り回されることもあれば、助けられることもある。京都の住所とは、まことに摩訶不思議なものでございます。
上ル下ル必ずしも宛先を示さず
前稿で「寺町通今出川上ル1,000m」のエピソードを述べましたが、さすがにあれはレアケースといえます。それとは別に「おいおい、それはないやろ!」となった事例をご紹介します。「上ル下ル」の表記には、いろいろな法則があります。たとえば「○○通上ル」といえば、その次の通りまでの間を指します。「堀川三条下ル」であれば「♪姉三六角蛸錦」にならい堀川六角までの間を示すわけです。そして、もう1つ「上ル下ルは、家の場所ではなく町名を基準に示される」というものもあります。よーわからん?。説明がヘタなものですみません、一例をお目にかけた方が早いですね。
KBS京都、皆さんご存知の京都唯一の地上波テレビ&ラジオ局です。このKBS京都は別名「蛤御門劇場」とも呼ばれています。理由は御所の蛤御門のほぼ向かいにあるからです。その蛤御門はどこにあるか。烏丸通下長者町上ルです。なのにKBS京都の正式住所は「上京区烏丸通一条下ル竜前町」となっています。下長者町通と一条通は400mも離れています。どういうことでしょうか。改めて地図を見てわかりました。竜前町は、と~っても長細い形をしていたのです。北は一条から南は下長者町の手前までを覆っています。他の町名をみてみると、100~150mの長さがほとんどです。ここで先ほどの原則「上ル下ルの基準は町名」を思い出してください。竜前町は確かに一条通を起点に下ル範囲をカバーしていますが、その間にある中立売通、上長者町通、と2本の通りをまたいで、これら全てが「一条下ル」でいっしょくたにされているわけです。
このとき住所「竜前町」と町名まで書いてあればまだよいのですが、町名を省いた上ル下ル表記だけになると「ないぞ、ないぞ、ないぞ~」となるわけです。まあ、KBS京都くらいメジャーであれば、住所がなんだろうと迷うことはないのですが、これが一般家庭だと地図内迷子をさまようハメになります。ちなみに、KBSさんも心得たもので、名刺の住所には「烏丸上長者町」と書かれていました。
地獄の家探し。
このように広い町名は、何かとナンギするものなんですが、では上京区内で最大の広さを誇る住所はどこでしょうか?おそらく「相国寺門前町」だと思います。門前町とは、室町時代に参拝者の多いお寺の周囲で発展した町のことです。相国寺といえば京都五山第二位の大きな寺ですから、門前町も広いんです。北は上御霊神社の手前から、南は同志社大学の敷地内まで、南北に約700m、東西は600mもあります。あまりにも広いため、「相国寺“南”門前町」というように、門前町の前に「東西南北」つける通称があるほどです。宅地は推定約800軒。
問題はこのだだっ広い町内で、東西南北のエリア表記も、番地も書かれていない場合です。これは配達員にとっての地獄絵図となります。「配達の仕事はダンドリが8割」が持論の私ですが、それでもお中元お歳暮の繁忙期ともなれば、積んだり降ろしたりで1~2トンの荷物を手に駆けめぐるわけですから、肉体労働であることに変わりはありません。ちょっと想像してみてください。そんな重労働が約1ヶ月もの間、休みなしで続き心身ともに疲弊した状態で、細っか~い住宅地図を相手に、800軒もの家の中から、たった一軒を探しだす…。これはもはや拷問です。私はこのゴーモンに耐えきれず、何度かゲー吐きそうになりました。またある時は、とうとう発作を起こしてしまい、「テメー、ナメんな、コノヤロー!!」という意味不明の奇声とともに、伝票をビリっビリの八つ裂きの刑に処したこともあります。
でも、こういう苦労があるから、一度行った家は絶対にアタマの中にインプットしようと必死になれます。おかげで半年も配れば、番地に頼らなくとも名前を見ただけで9割がた、場所がわかるようになりました。「若いうちの苦労は勝手でもしろ」という格言を身をもって学ぶ日々でした。とはいえ、やはり番地は書いてあった方がありがたいものです。みなさまのご理解とご協力を何とぞよろしくお願い申し上げます。
究極のステータス。御所の中に住宅?
先ほど上京区内最大の町名を相国寺門前町と申しましたが、2位の誤りです。失礼しました。では1位はどこか?京都御所。いわずと知れた、天皇陛下が明治維新までお住まいになった地です。一般に御所といわれていますが、正しくは京都御苑という名の国民公園の中に旧皇居である御所があります。この京都御苑にも住所があったのです。「京都市上京区京都御苑」です。そのまんまですね。そして、この京都御苑の中にも住宅があるってご存知でした?私の知るかぎり、7~10番、15番、438番と最低3つのエリアがあります。京都では「御所南」や「御所西」といった「御所○」エリアに住むことが1つのステータスになっていますが、それよりもスゴい「御所中」にお住いの方々がいらっしゃるわけです。でも、この究極の物件は、不動産屋さんに行っても取り次いでくれません。この地は御所にお勤めの方用の官舎となっているからです。私も配達でお伺いするまで知りませんでしたが、御所の中にあるお宅に配達するって、なんだか不思議な感覚でした。
ところで、この8番15番438番の3カ所はけっこう離れていて、いちいち御苑の外に出て、烏丸通や今出川通を迂回すると時間がかかるんです。御所の一般公開がされる時期は混みますしね。で、昔はツワモノがいたそうで、御苑の中の砂利道、それもかなり大粒の砂利道を4駆のトラックで縦断したとか、しないとかの伝説が語り継がれていました。御所内にもパトカーが巡回していますが、見つかったらやはり違反切符を切られるのでしょうか?
元・宅配ドライバーとして…
京都独特の住所と戦う宅配ドライバー奮闘記はいかがでしたか?碁盤の目の町を駆けまわる配達員の日常をご紹介したのには訳があります。コロナ禍によりネットで買い物をする方がますます増えています。宅配便は生活の一部として浸透し、物流・配送業界は大変な人手不足の模様です。したがって、指定時間に遅れるなど配送業者への不満やストレスも多々あるかとは思いますが、彼らの苦労を知っていただければ、そのイライラも少しは和らぐのではないかと思う次第です。いっぽうで配達員の皆さんは、今や社会インフラともなった宅配ネットワークを支える担い手として、誇りをもって荷物を届けていただきたいと思います。
さて、本稿は前編後編の2回で終了するつもりでしたが、書いていくうちに「あんなことも、こんなこともあったな…」と記憶がよみがえってまいりました。なのでもうしばらく、この連載を続けたいと思います。ではまた近々お会いしましょう。
(編集部/吉川哲史)