「今年は晴れるかなぁ。」
小さい頃、七夕の笹を家の前に飾りながらいつもそう思ったもんでした。笹にいろんな飾りを付けたり、家族でおそうめんを食べたり、そんなことだけで楽しかった、子ども時代の七夕の懐かしい思い出です。

▲photo by dause

▲photo by dause

七夕は、もともと中国の乞巧奠(きっこうてん)というお祭が日本に入ってきて行われるようになった行事です(注1)。糸や針のお供え物をして裁縫の上達を願った行事ですが、日本ではまず宮廷の行事として始まり、江戸時代には五節句の1つにもなりました。

日本人やったら、「年に一回、7月7日の夜だけ織姫と彦星が逢う」という伝説はまずご存じですね。そしてさらに「2人が鵲(かささぎ)の羽を並べた橋を渡って会いに行く」というところまで知ったはる方はなかなかなものです。これは、紀元前2世紀にはすでに中国の書物「淮南子」にあって、つまり2000年以上の長きにわたり伝わる歴史あるお話なんですよ。

さて、この七夕の日は雨やったら川があふれて2人は会えへんのでしたね。そやけど夜に天気で、お星さまが見えるとかそんなにないのと違いますか。罰とはいうても年に1回くらい会わせてあげたいです。

なんで七夕はこんな時期にあるのでしょう?まぁこれはおわかりの方も多いかと思いますが、もともとは七夕が今の8月ごろにあったものが、新暦の7月7日に移動したからです。旧暦の7月7日は今の8月のどこかにあるので、本来はよう晴れてる日のはずなんです。現在、地域によっては今も8月に行うこともありますが、さて京都ではどうなんでしょうか?

 

京都人度チェック① 七夕の時期

チェックとしてはこのようにお尋ねしましょう。

①京都の七夕は7月8月のどちらで行いますか?

この答えはまず、新暦と旧暦、2種類の七夕ができた明治時代のお話を先にしてからご説明したほうがよさそうです。

それまでの月の運行をもとにした太陰暦(旧暦)から太陽暦(新暦)になったのは、明治6年12月3日でした。今でも改元の時は年号の数え方とともにいろいろと変えることが多くて大変ですが、新暦になった時はもっと大変やった。12月3日が、次の年の1月1日になったんです。まぁこれは改元の時もわりとあることですね。しかし、そこから今までの間隔で月が替わっていくのではありません。つまり、毎月改元してるようなもんやったのです。これはつらい!いやぁ、明治の人はほんま苦労しやはったと思います。

新暦になったら、日にちが変わって季節もずれる。そのころは今よりもっと年中行事の重みが大きかったやろし、「今までの行事はいつすることにしたらええのか」と途方に暮れやはったはず。ようよう考えた結果、明治の人はそれぞれの行事を大体この3つに分けて決めることにしました(注2)。では、これを七夕にあてはめて考えてみましょか。

1つ目は、新暦の7月に引き継ぐ方法。
旧暦7月を新暦7月に移すということです。ということは、大体それまでやってた時期の1カ月ほど前になります。これが今の都市部で行われている新しい七夕。保育園・幼稚園や小学校では必ず「七夕は7月7日」と習うので、日付はなかなか変えづらいです。よって、この方法が1番合理的でわかりやすいですね。

2つ目は 日は7日のまま、旧暦7月をひと月遅れの新暦8月にする方法。
毎年8月7日で、時期的には本来行っていた日に近いものとなります。これが「月遅れの七夕」「旧暦の七夕」と言われているものです。月は遅れるけど日は変わらへんので覚えやすいですね。これは都市部より地方に多いと思われます。

3つ目は、7月7日が新暦のいつになるかを調べて、その日にする方法。
この方法は、間違いなく旧暦の時と同じ日に行うことができますが、毎年行事の日が変わるのでややこしいですね。「七夕はいつ?」っていう問いにすぐに答えられません。一般的な方法ではないですが、あとに出てくる冷泉家の乞巧奠は必ず旧暦の7月7日に行われるそうです。古式ゆかしい行事であればこそのこだわりですね。

さて、前置きが長かったですが、「京都の七夕は7月?8月?」
答えは…「どちらも」です!ずるかったですか?そやけどホンマなんですよ。

京都の人も他の地方の人とおんなじように頑張って考えました。重視するべきなのは「日にち」か「時期」か?そして3つの決め方の1つ目と2つ目を併用したのです。しかし新暦の7月7日にする方法は、ちょっと強制的な感じがするのは私だけでしょか?学校では「七夕は7月7日」て教えなあかんかったのでしょう。そして、全国一斉に「ささのは~さ~らさら~♪」て歌わなあかんのです。まぁ子どもには「ホンマは8月なんえ。」ていうてもわからへんし、悩ましいところやったと思います。

神社も今や7月に行うところが多いですねぇ。そやけど2つ目の方法をとって、8月にするところも無いことはないですよ。天神さん(北野天満宮)も8月に七夕祭やらはります。今宮さん(今宮神社)の摂社・織姫社のお祭(織姫社七夕祭)(注3)も、斎行は「8月7日ごろ」となってます。探したらきっとまだまだ見つかるでしょう。

▲織姫社の前にある杼の形をした灯籠。

▲織姫社の前にある杼の形をした灯籠。

そして、最近は京都府・京都市や神社や地元地域の団体が行う「京の七夕」も8月にあります。複数の会場でそれぞれ催しが長い期間にわたるので、8月7日だけ、ていうわけではありませんが、月遅れであることは間違いないですね。

ということで、京都の七夕は7月~8月の2か月にわたって行われていることになります。いや~夏中ずっと七夕ですよ~!もともと七夕はお盆の準備も兼ねていたので、お盆直前まで行うのが七夕らしくてええのです。それに8月まであったほうが織姫さんと彦星さん、ほんまの季節の晴れた空で会えますがな。

ついでに言うとくと、京都で旧暦で行う年中行事は他にもたくさんあります。祇園祭、お盆、そして大文字の送り火。祇園祭は旧暦6月でした。新暦の6月にしたら、ずっと梅雨の雨の中でやらんとあきません。どう考えても無理ですね。祇園祭を7月にしたら、新暦のお盆(7月)では祇園祭に重なるので季節の流れが乱れてしまいます。

お盆が8月になったら、お盆の締めくくりになる大文字だけ7月にするわけにもいかんし…あの8月の半ば、京都人は大文字を見ながら夏が過ぎていく寂しさを感じるのです。これから夏が始まる時に見ることになったら気色悪い。暦が変わったとき、新暦にできる行事は変えてみたけど、それではどうしても上手いこと行かんことが多すぎた。季節に合わせた年中行事は、季節の流れに逆らうと成り立たんようになるのです。

そやしほんまは、京都人は七夕も旧暦のまま8月にやりたかったんやないでしょうか。それは時世の流れが許さへんかったのかわかりませんが、古い体内時計を持っている京都人は、旧暦に合わせて生きるほうが楽なんかもしれません。

 

京都人度チェック② 七夕で何をする?

さて「七夕をいつするか」も大事ですが、京都人としては中身もさらに大切です。
ということでチェックです。

②京都人は七夕に何をしますか?

えらいシンプルなチェックです。「京都人は」て言われたら「え、京都人てそんな変わった事するのかいな。」て思われるかもしれませんねぇ。まぁ一般的なことから言うてみますと、当たり前な話、まず笹飾りはしますね。このイラストのように、笹には紙で作ったスイカやら短冊、提灯、吹き流しなどを吊るすことが多いです。ごく普通です。普通なんですが、これからのお話にも出てくるので、ちょっと記憶にとどめといてくださいね。

▲「パブリックメインQ」提供

さてそしたらまず、昔の京都人はどんな七夕行事をしたか、今と比べながら見ていきましょ。
初めのほうのお話で平安時代についてご紹介したのが、中国から伝わった乞巧奠というお祭についてでしたね。平安時代の書物にはお供え物の中身が紹介されています。

「瓜にお茄子、桃や梨。それにアワビと干鯛、大豆にささげ、そして前には5色の糸を通した針が楸(ひさぎ)という木の葉に刺してある。お琴が置かれその横にはお香が焚いてある。台に置かれた9つの灯明が周りを照らし、織姫と彦星を見ながら歌を歌われた…(注4)。」

お供え物の野菜や果物は、夏の盛りから終わりに穫れる野菜や果物ですね。たしかに8月らしいもので、お盆のお供えにも似ています。楽器を弾いたり漢詩を詠まはったことでしょう。そのようすを図にあらわしたものも残っています。そこには盃も見えますね。宮中の方々もお酒が進んだのでしょうか。

▲「雲圖抄(注5)」にある平安時代の乞巧奠のようす

▲「雲圖抄(注5)」にある平安時代の乞巧奠のようす

今でも京都にやはる藤原定家のご子孫、冷泉家の方々は乞巧奠を千年以上営々と受け継いだはります。この平安時代の乞巧奠に限りなく近いお供えをされ、裁縫や楽器、和歌の上達を願ったお祭となっているようです。京都らしく、時がゆっくりと流れていく優雅な行事です。

さてところで、この平安時代の七夕のお供えを見て、今の笹飾りになっているものが供えられてるのに気が付かはりましたか?まず「瓜」、これは今で言う「スイカ」ですね!そして針に通された糸が吹き流しです。冷泉家のお祭には5色の布も飾らはるので、それも吹き流しに入るんでしょうか。こうして見ていくと、今ある笹飾りも1つ、2つと歴史や意味があるものになっていきます。

また平安時代には、7月7日に宮中の織物を制作していた織部司で織女祭が行われました(注6)。のちにその技術を受け継いだ大舎人町の人ら(注7)が織姫社を作ったといわれているのも納得がいくところですね。のちに織姫社は、白雲・村雲の地から西陣の守り神となった今宮神社の境内に移されます(注8)。織姫社のご祭神はなんと織姫に機織りを教えたという「栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)」で、高い技術で機を織る大舎人町の人たちと織姫とは強いつながりがありました。このお話はまた別の視点から祇園祭の回にすることにしましょう。

 

江戸時代の七夕行事との共通点

さて、次はかなり時代が下っていきます。

 ▲「絵本都草子」1764(延享3)年
国文学研究資料館データベースより

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この記事を書いたKLKライター

鳴橋庵 店主・京都上京KOTO-継の会 会長
鳴橋 明美

 
上京の、形になりにくい文化(お祭・京都のおかず・伝統工芸・京ことば)の継承のお手伝いをする「京都上京KOTO-継の会」会長。
「鳴橋庵」店主。
「能舞台フェスタ in 今宮御旅所」実行委員会会長。

組紐とお抹茶体験を鳴橋庵店舗にて行っております。
合間合間に京都のお話を挟みつつ、楽しく体験していただけます。
お申込みは「鳴橋庵」HPまで。

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