民間信仰としての地蔵盆

遊びがいっぱいの地蔵盆ですが、本来のお祭部分もありますよ。お地蔵さんへの読経やお参り、数珠回しなどです。近所のお寺さんにお願いして来ていただき、お経を詠んでもらいます。そこでお焼香をしたり、数珠回しをしたり。子どものころ、数珠回しは楽しかったですねぇ。町内の人が車座に座り(子どもメインですが)、長い長い数珠をみんなで回します。お寺さんが叩かはる鉦に合わせて「な~んま~んだ~ぶつ!」て言うのですが、お地蔵さんやのになんとなく変ですよね。数珠回しは江戸時代、17世紀にはもう始まっていたそうで(注6)百万遍朝まで唱えるというのもあったといいます。浄土宗でやらはる不断念仏っていう修行に似てますね。

お地蔵さんやのに阿弥陀さんのためのお念仏を唱えててもだぁれも「それおかしいやろ!」と言うたりしやへんこのおおらかさ。いろんな宗教の考えが混ざって、町内の人が「これええやんか、これもやろか」と思ったらみんなでやるというのが地蔵盆です。昔も宗派の違いはあったやろうに面白いですね。今はもう少しみんなの考え方が厳しくなってるかもしれないですが、お参りも自由にするということになっているので、嫌な人は無理に参加する必要はありません。地蔵盆は「宗教」の枠には入りきれんもの、「町内の人がそれでええと言えばそのまま続いていく」というゆるやかな民間信仰。そして何より町内のための必須のイベントとなっているのやと思います。

不思議なおさがり

さて夕方になり、そろそろイベントも大方済むと、お地蔵さんのお供えのお下がりをいただくことなります。私の実家の町内ではそれを「お盆返し」と言っていました。そこであのお盆が活躍します。

▲お盆返しの中身

▲お盆返しの中身

そう、お下がりはお盆に乗せて返されるのです。おさがりが多いところはこの大きさでは無理かもしれませんが、返されるものの量がわかってるのに大きなお盆で持って行くのも恥ずかしい。「たくさんちょうだい!」って言うてるみたいでね。

ところで、この中にある「天道大日如来」とハンコが押されている紙、何かわかりますか?これは「幡(はた)」「人形(ひとがた)」「まんだら」とか呼ばれているもので、災厄除けに1年間玄関に吊るしておくのです。町内にもこれが何なのか知らない人が増えてきてますが、それはちゃんと伝えんとあきませんよね。

うちの実家は西陣の中心から見て南西の方向にありますが、そのあたりだけ5枚色違いの「幡」が配られるのです。そして西陣の北部から北区にかけては赤と黄の2枚の同じ形のもので「まんだら」というのがあります。お寺さんにも同じ幡があったり、六地蔵まいりのときにもらう幡も同じ形をしています。これは京都の中でも非常にローカルな風習なのですが、いまだに謎でいつか調べてみたいですね。


地蔵盆は町内の結束を確かめる大切な機会

そして夜になればお楽しみの懇親会!ふだんは挨拶程度しかしやへん人たちともお話ができる楽しい時間です。お寿司やおつまみ、お素麺もでてきます。みんなでお料理を作ったり、お供えのお酒もここでふるまわれます。ふだんゆっくり話ができひんご近所さんと語らう大切な時間が流れていきます。私も結婚してしばらくはほとんど近所の人と話ができませんでしたが、地蔵盆のときにいろいろと話しかけてもろてそれ以来ご近所付き合いが楽になりました。

町内に住んでる子どもらも、幼稚園以下の子は集団登校もないし顔を合わせることが少なく、ここで初めて会う子たちもいます。もちろんお母さんも初めてやったりすることもあって、この場所はママさん同士話のできる町内の社交場となるのです。年に1回だけの楽しい遊び。子どももお母さんたちもすぐに仲良くなります。そしてその出会いがお互いの助け合いにつながっていくのです。

そしてあっという間に楽しい時間は過ぎていきます。どんな話をしていても最後はいつも「やっぱりこの町内はええなぁ。」という話で終わるのです。子どももみなものすごく楽しみにしているイベントであり、大人も年に一回の町内の結束を確かめる機会となっている地蔵盆。この結束が大事。災害が起こった時もみんなの顔がわかる。消息が分からん人がだれかすぐ判断できる。楽しみながら災害にも備えられるなんて、やはり京都にはなくてはならんものやと確信しています。

地蔵盆が済むと急に夏は色あせていきます。「みたまと語らう8月」もあとわずか。亡くなった人と丁寧に接し、おもてなしをする月。その過程で、生きている人たちとの交流を密にする大事なひと月。京都の人間には、8月の意味合いが、この蒸し暑さとともに心に深く刻まれています。


地蔵盆の危機を乗り越える!

さてこの地蔵盆、実は何度も廃絶の危機を乗り越えてきているのです。一番近く大きかったのは明治維新のとき。明治4年10月、京都府が「地蔵・大日如来を祀ってはいけない。無益にお米やお金を寄付し、人が多数集会して無用に時を費やしてはいけない。石像とお堂を撤去して売れるものは売って小学校にお金を納め、売れないものは小学校に片付けておくこと。」(注7)という意味合いのお達しを出しました。長州出身の槇村正直という当時の副知事が先頭をきり、「古い習慣を根絶しよう!」という強力な意志を持って政治を行っていたようです。いや~しかしこれどう思います?こんなことやっても意味が無い、無駄なのでお地蔵さんを売れ、お堂を壊せと。もちろん地蔵盆は行えません。この時代の方たちはどう思わはったでしょうね。私やったら血の気が引いて怒りで震えるかも。でもお上が言わはることです。民の声など届かん時代、逆らったら捕まえられるでしょう。そこでみなさんどうしやはったか、です。

当時の記録によると、ある町ではお地蔵さんを町内の人が町から買ったことにしてお金を納め、お地蔵さんはその人の家で保管されました。ある町では路地(ろうじ)の奥にひそかに隠し、またある町では近くのお寺に預かってもろたそうです。みなさん壬生寺てご存じですか?新選組で有名なところですが、実はここには「千体仏塔」という大きなお地蔵さんの塔が建っています。ここのお地蔵さんはそのころ預けられたものが多いんですよ!

▲1970年ごろの壬生寺のお地蔵さんと筆者。

▲1970年ごろの壬生寺のお地蔵さんと筆者。

今まで手を合わせて来たお地蔵さんを売るなんて、昔の人はきっとできひんかったでしょう。ましてや壊すとかもってのほか、そんな罰当たりなことはできません。隠すことのできひんかったお町内の人たちは、泣く泣くお寺に持って行かはったのです。お寺さんもよくよく事情はご存じですから、快く引き取ってくれやはったに違いありません。引き取られたお地蔵さんの気持ちになると、今でも私はウルウルしてしまうのです。

今は仏塔の場所が少し変わり、平成元年(1988年)に今の形に整備されましたが、昔は写真のようにお地蔵さんで山盛りになっていました。この写真を見ていると、町内の人たちのお地蔵さんへの思いが溢れてきているように思えます。ここのお地蔵さんは今も大活躍で、地蔵盆のときマンションや普段お地蔵さんが置けない町内へレンタル?もとい、お出ましになるそうですよ。

さてこのお達し、実は地蔵盆だけやなかったんです。なんとお盆行事や大文字、六斎念仏まで禁止になりました。京都の夏の行事、今回書かせてもろた「みたまと語らう」行事は全滅です。まるで今みたいやないですか。なんと味気ない、そして悲しい京都の夏…

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この記事を書いたKLKライター

鳴橋庵 店主・京都上京KOTO-継の会 会長
鳴橋 明美

 
上京の、形になりにくい文化(お祭・京都のおかず・伝統工芸・京ことば)の継承のお手伝いをする「京都上京KOTO-継の会」会長。
「鳴橋庵」店主。
「能舞台フェスタ in 今宮御旅所」実行委員会会長。

組紐とお抹茶体験を鳴橋庵店舗にて行っております。
合間合間に京都のお話を挟みつつ、楽しく体験していただけます。
お申込みは「鳴橋庵」HPまで。

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|鳴橋庵 店主・京都上京KOTO-継の会 会長|お盆/織田稲荷/京都人度チェック/パン/氏子/十三参り

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