神無月の楽しみ
慌ただしく始まる秋の行事ですが、実際に秋の深まりを感じるのは10月に入ってからです。10月を表す「神無月」は出雲では「神在月」と言われるようで島根県の稲佐の浜では八百万の神を迎える「神迎祭」が行われます。日本の行事や風習は季節と共に巡り人々の暮らしを豊かに彩ってきました。空に鰯雲が広がり、ススキが風に揺れ、虫の声が響く10月、我が家では今年から育て始めた藤袴(フジバカマ)が満開となり、また楽しみが増えました。比較的に手入れは簡単で初めてでしたが見事に咲きました。藤袴を好む蝶、アサギマダラやツマグロヒョウモンが毎日のように花に来ています。
藤袴と源氏物語
藤袴はヒヨドリバナ属に分類される多年草で花言葉は「ためらい」。日本では万葉の頃から親しまれ「源氏物語」第30帖「藤袴」では夕霧が玉鬘に藤袴を差し出し「おなじ野の 露にやつるる藤袴 あはれはかけよか ことばかりも」と詠います。2021年に開催された藤袴祭では歴史ある下御霊神社にて源氏物語の夕霧と玉鬘の場面を再現する試みがあり、私は平安装束に身を包み夕霧役を務めさせて頂きました。
光源氏の息子である夕霧は父譲りの美貌に恵まれながらも実直な性格で恋愛には不器用な人物です。藤袴を玉鬘に差し出し口説こうとしますが、玉鬘は夕霧を拒みます。この再現の試みでは実物の藤袴を平安装束姿の私が鋏で切り部屋に運びました。
装束と藤袴はとてもよく似合い、平安時代のこの季節を垣間見るようでした。藤袴はとても風情のある花で美しい蝶を引き寄せますが、ただ女性に贈るには地味な花で、しかも夕霧が差し出したのは「やつるる藤袴」ですから、みすぼらしく弱っている藤袴です。役を務めながら「そんなものを持って来られても」と思わずにはいられませんでした。しかし源氏物語のこの場面は夕霧と玉鬘の性格や人柄がよくわかる演出であるとも思いました。紫式部が藤袴を選んだのはとても効果的で夕霧の性格をよく表していますし、美しく聡明であった玉鬘は多くの公達から恋文をもらいますが、最終的には髭黒という荒々しい外見の右大将の妻となります。やはり、なよなよした藤袴では彼女の心は捉えられなかったというわけです。
さて、藤袴は秋の七草に数えられ、かつては生薬としても用いられましたが、現在は絶滅危惧種となっており、この花の魅力を知る機会は減っています。群生している藤袴に蝶が集まる様子は幻想的で和の美の世界を感じます。毎年10月上旬に開催される藤袴祭では寺町通を中心に沢山の藤袴が展示されますので是非お出かけいただきご覧いただきたいです。
裏メニューその1「十五夜」の夜蛤?
秋の行事には意外に知られていないことが他にもありますので今回は「秋の行事の裏メニュー」と題して、秋の行事をもう少し深くご紹介してゆきます。
まずは中秋の名月「十五夜」の珍しい風習をご紹介。「十五夜」は旧暦8月15日の月(2022年は9月10日)を中秋の名月として観月し、ススキに月見団子などのお供えをしますが、実は江戸時代、この日の夜に蛤を食べる風習がありました。蛤と言えば3月の雛祭に行事食として食べることが知られていますが、江戸の人々は月見の夜には蛤のお吸い物を食べたそうです。蛤は晩春から夏期にかけて産卵期に入り、繁殖後は味が落ちるということもありかつては禁漁とされていました。中秋の名月の頃に禁漁が明け、ちょうど蛤のシーズンが始まり、いわゆる「初物」を食べて縁起をかつごう、ということでしょうか。葛飾北斎の「蛤売り図」には雲に隠れた満月が描かれており、江戸時代の月見に蛤が欠かせない食材であったことがわかります。また三代目歌川豊国の浮世絵「葉月高輪」では、女性がススキとともに蛤を籠一杯に入れて売る様子が描かれています。
今では十五夜に蛤を食べる風習はほとんどなくなりましたが、とも藤では蛤の貝殻をお取り扱いしておりますので十五夜の蛤として、当時の人々に思いを馳せて、お月見の貝合わせを毎年様々にご提案しています。
裏メニューその2「十三夜」って?
また「十五夜」の前後、他の月にも「十六夜(いざよい)月」「立待(たちまち)月」「居待(いまち)月」など毎日の月に名前がついています。「十五夜」の満月は次第に新月となり、また満月に向かって大きくなってゆきます。新月から13日目の月が「十三夜」です。「十三夜」は旧暦9月13日~14日の夜の月を差し「後の月」とも言われます。2022年今年の十三夜は10月8日です。
「十五夜」は「中秋節」として東アジアでは伝統的な行事ですが「十三夜」は日本固有の風習です。秋の収穫を感謝する意味合いもあり「豆名月」「栗名月」などとも言われ、行事食として豆や栗を食べます。現在でも宮中では十三夜に十五夜同様のお供えや飾りをされ、月見料理がつくられ夕餐をとられます。「十五夜」だけでなく10月に楽しむ「十三夜」も是非お楽しみください。
そして、栗といえば蛤と栗には関わりがあるんです。
裏メニューその3 蛤は「浜栗」
そもそも蛤の貝殻には様々な色があります。白やグレー、黄色のもの、紫、緑っぽいもの、そして稀に茶色の蛤も見かけます。蛤の語源は「浜栗」。浜に生息する栗のような形の貝、と言われていますが、実際に茶色の蛤は栗に大変よく似ています。とも藤では「栗名月」にちなみ10月の飾りとして茶色の蛤ばかりを盛り、栗に見立てて飾ったり、茶色の蛤の内側に紅葉を描いたりして、蛤の語源の由来をお伝えしています。
裏メニューその4 龍頭の相方、鷁首(げきしゅ)
さて、現在にも伝わる年中行事は日本の風土と共に育まれたものが多いのですが、観月はそもそも平安時代に中国、唐の国から詩文と共に伝わって来たものです。『中右記』によると十五夜の夜、白河上皇をはじめ、数十人が船に乗り込み、楽器を奏で酒を楽しみ、和歌に節を付けて詠ったそうです。この観月の船は二隻一対で「竜頭鷁首」と呼ばれています。竜の相方としては鳳凰を見かけることが多いのですが、観月の船の鳥は鷁(げき)の首。鷁は想像上の水鳥の名前で、風や波に耐えてよく飛ぶことから水難除けとされます。
京都では観月の季節に竜頭鷁首を見る機会がありますので、その際には竜だけでなく、鷁の方も是非ご覧になってください。また平安時代の貴族たちは直接月を仰ぎ見ることはせず、水面に映った月を眺めていたそうです。夫で画家の佐藤潤の作品には「後の月」と題された鷁首を描いたものがあります。竜と同様に華やかに彩られた鷁は知る人ぞ知る伝説の水鳥です。
おわりに
いくつかの裏メニューをご紹介してきましたが、蛤にまつわるものもあり大変興味深く感じています。明治時代に旧暦から新暦になり、行事を行う上でずれが生じていますが、旧暦は太陰太陽暦、新月が月の始まりとなる暦ですから、月の影響を受けている潮の満ち引きと日本の節句や行事が関係しているのではないかと大正時代の料理研究家、本山萩舟の「飲食事典」には書かれています。潮の満ち引きの水位の差が大きい「大潮」は春分と秋分の時期に大きくなり「彼岸潮」とも言われ潮干狩りに向いており、おのずと蛤を食べる機会となるというわけです。月の満ち欠けの習いから言うと雛祭のころが蛤を食べる最後のシーズンで、中秋の名月の頃が蛤のシーズンの初めということになります。今では蛤の種類や蛤漁の方法も当時とは違いますし、誰でも自由に潮干狩りが出来る場所も限られていますから、蛤の食べ頃も昔とは変化していますが、大正時代ごろの人々は新暦になったことで節句行事が変化したり失われたりすることを心配していたのかもしれません。
私は今年もまた名月を眺めながら蛤を想い、古来からの風習や月の満ち欠けに思いを馳せています。よく知られている行事も少し角度を変えて見てみると面白い、年中行事の裏メニューをまだまだ探してみたいと思います。
参考文献扶桑社 宮内庁監修『宮中 季節のお料理』
平凡社ライブラリー 本山萩舟『飲食事典 下巻』
『語源辞典 動物編』吉田金彦 編著 東京堂出版