隠岐島と台風

皆様、こんにちは。お元気でいらっしゃいますか。このところ立て続けにやってきております台風による災害で被害を受けられた方、謹んでお見舞い申し上げます。
私たちの暮らす島根県の離島、隠岐島は、9月の台風ではおおきな被害はありませんでした。隠岐と本土を結ぶフェリーが欠航したため、郵便物や宅配便などが届かなかったり、本土からの品物が、まちの商店に入荷できず、一部の陳列ケースがすかすかになったりしておりました。島に暮らしていると、台風に備えて雨戸を閉めたり屋外のものを仕舞ったりするのに加え、フェリーが止まることを見越して牛乳やパンを何日分か買いに出かけます。
今回の記事の主人公である土御門院の父君・後鳥羽院が中ノ島・海士に遷幸されたときも、今の暦でいうと9月の初めごろにあたり、まさしく台風の真っ只中を船で渡って来られたようです。

台風の翌朝、後鳥羽院のご遺骨の眠る後鳥羽天皇御火葬塚に足を運ぶと、風によって折れた枝が参道にたくさん落ちていました。近くにお住いになっている、後鳥羽天皇御火葬塚守部の村上助九郎さんも朝のうちに、御陵の様子を確認しに来られていました。「守部(もりべ)」とは、宮内庁から任命される、御陵を守る役職のことをいいます。助九郎さんが守部になられたのは、後鳥羽院が島で暮らしていたころ、当地の有力者であった村上家の先祖が後鳥羽院のお世話をなさっていたことから、明治17年に宮内省より任命されたからでした。おそらく、およそ800年前の村上家の方も、台風のときには後鳥羽院のことを気遣っておられたことでしょう。

 

後鳥羽院にまつわるイベント

承久の兵乱(1221年)によって配流地に赴くこととなった後鳥羽院、土御門院、順徳院にとっては、昨年(2021年)が、ちょうど都を旅立って800年目の節目の年にあたっていました。海士町では昨年から『後鳥羽院遷幸八〇〇年』をテーマにいろいろな記念行事が行われておりますが、土御門院の配流地・阿波(徳島)、順徳院の配流地・佐渡(新潟)をオンラインで結んでの現地のかたがたとの交流の機会が持てたことは、たいへん貴重な時間だったと思います。
今年はNHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が大好評放送中のことから、後鳥羽院に心を寄せてくださる方がこれからどんどん増えるのではないかと思われますが、この機会に土御門院や順徳院にも注目が集まればいいなあと思っています。

私は、お仕事のなかで、毎年海士町で開催される『隠岐後鳥羽院大賞』という、和歌・俳句・短歌の三部門からなる詩歌(しいか)の大会を担当させていただいております。和歌・俳句・短歌…、どれもが、それぞれ歴史や性質は違うけれど、日本にルーツをもつ短詩型文学です。コロナ禍の中でも、日本全国から届けられる作品を、毎日読ませていただいております。締め切りが近くなると、一日に届く作品が急に増えてきます。締め切り直前まで悩んで形にして、速達や、レターパックでお送りくださる方も。届いた作品を選者の先生方に選考していただくためにExcelで入力する業務のさなか、心を揺さぶられて泣かされたり、笑ったりすることもあります。

 

定家と土御門院

今日ご紹介する土御門院のエピソードは、鎌倉中期の説話集『古今著聞集』にも書かれている、ちょっとほっこりするお話です。
 
いまからおよそ800年前の京都にも、締切に追われて和歌を詠んでいる歌人がいました。かの有名な歌人、藤原定家卿です。定家卿が悩まされていたのは、建保5年(1217年)に後鳥羽院の御所でおこなわれた「仙洞庚申五首御会」という歌会でした。
上司である後鳥羽院からは「秀逸でなければ提出するな」というプレッシャーもかけられていたとのことです。お気の毒に…。定家卿は、後鳥羽院の命じた勅撰和歌集『新古今和歌集』の編さん室、和歌所の職員ですが、後鳥羽院は、自身も和歌の才能に恵まれ強靭な美意識を持っていたため、定家卿をはじめとする和歌所メンバーが編さんし纏め上げ、完成披露パーティー(『竟宴(きょうえん)』)でのお披露目を終えた勅撰和歌集『新古今和歌集』を、どんどん手直ししてしまい、次々と改訂版を作ってしまったような方で、定家卿のストレスは察するに余りあるところです。
悩まされる定家卿のもとに、和歌所の同僚の藤原家隆卿から手紙と百首歌が届きました。藤原家隆卿も、定家卿と同じく、庚申の歌を詠むことを命ぜられていました。
和歌には「百首歌」という形式があり、あらかじめ決められた百の題で百首の和歌を詠むことで、歌の上達を目指すものなのです。
このとき定家卿のもとに送られてきた百首歌は、「堀河百首」という百の題にそって詠まれたもので、作者の名前がわからないようになっていました。
「堀河百首」は、文治年間(1185~1190)のあいだには歌人達が和歌を詠む練習のためにさかんに詠んでいたものですが、建保5年(1217)の頃には詠まれなくなっていました。家隆卿曰く、
「最近はこのお題で百首を詠む人もめずらしいでしょう。あなたなら興味を持たれるかと思って。」
庚申の歌を詠むのに夢中になって精神も落ち込み、ぼんやりしていた定家卿は、
「懐旧」の題のところまで目を通したとき、驚愕しました。

   懐旧
秋の色をおくりむかへて雲のうへになれにし月も物忘れすな
〔現代語訳〕懐旧
美しい秋の景色を毎年送り迎えて、宮中で慣れ親しんだ月よ、おまえのことを忘れないから、おまえも私のことを忘れないでくれ。

「懐旧」は、昔をなつかしむこと。「雲のうへ」は宮中のことを意味します。
この歌の作者は、およそ7年前の承元4(1210)年に、後鳥羽院によって異母弟の守成親王(順徳天皇)に譲位させられ上皇となった、土御門院だったのでした。

土御門院が初めて詠んだ百首和歌を受け取った家隆卿が、作者の名前を隠して、定家卿のもとに届けさせたのでした。
「感涙千行」。…ありがたさに千行の涙が流れる、と感動を筆にしたためた定家卿は、土御門院の和歌に返歌を詠み、記しました。
かつての土御門院の治世を懐かしく想い出しながら。

あかざりし月もさこそはしのぶらめふるき涙もわすられぬ世は
〔現代語訳〕
いつまでもお別れしたくなかった月の方も、さぞかし上皇様とその御世を偲んでいる
ことでしょう。私共がご退位の時流した涙のこともまだ忘れられないほどの御世だったのですから。

※参考文献:
新潮日本古典集成『古今著聞集』橘成季 著/西尾 光一 小林 保治 校注/新潮社

新注和歌文学叢書12『土御門院御百首/土御門院女房日記 新注』山崎桂子 著/青簡舎
↑青簡舎の簡の中は「日」でなく「月」です。

古典和歌の世界では、「月」は、「秋」のものです。現代に生きる私たちも、この秋、いろいろな想いで夜空の月を見上げることがあると思いますが、月もまた、私たちを見守ってくれているのでしょうね。

 

都への想い

そういえば、島に暮らしていると、旅立つ人は、みな隠岐汽船の港から出発します。離島ならではの光景として、紙テープによるお見送りがあります。フェリーターミナルのスピーカーからドラの音と「蛍の光」が流れる中、船がゆっくりと岸を離れるにつれ色とりどりの紙テープが風にたわんで、舞います。海風になびく紙テープ、空の色、「ありがとう~!!!!」「また来ます~!!!!」の声が混ざり合い、見送る側の感情も、綯い交ぜになります。

名残り尽きぬに ドラが鳴る 船のテープは 切れても
 胸の想いは 切れやせぬ
隠岐民謡「しげさ節」

波止場にてわかめの合間にゆれる赤わたしが君に投げたテープだ
榊原有紀



何回も見送っているけど、取り残される側の自分はちゃんと成長していけるのだろうか。

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この記事を書いたKLKライター

歌人ライター
榊原 有紀

島根県歌人連盟 会員
短歌結社『湖笛』所属。
島根県在住のエッジの効いた歌人の参加するネットプリント『うたしまね』に参加させていただいています。
島根県の離島・隠岐島在住の歌人です。
和歌も俳句も詠みますが、どれも中途半端です。
和歌・俳句・短歌大会の事務局に関わらせていただいています。
ご興味のある方はぜひご覧ください。
twitter:隠岐後鳥羽院大賞@welcomegotoba

第18回島根県民文化祭 金賞
令和3年 宮中歌会始 歌題「窓」佳作
『短歌往来』2021年9月号 今月の新人に新作5首『流』掲載(筆名:有泉)
第13回 角川全国短歌大賞 馬場あき子 選 特選(筆名:有泉)

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