今年も祇園祭の季節がやってきました。
皆さんすでにご存じのことと思いますが、八坂神社の祭礼である祇園祭は7月の1ヶ月間、毎日のように様々な神事が行われています。

自身が宵山の時期の生まれと言うことで、1歳の誕生日に両親に連れられ祇園祭へ。初めて聞いたお囃子に大興奮し、あまりに喜んだので、翌年は、当時の重たく大きなラジカセを担いで行って、お囃子を録音してくれたんだそう。家で何度も何度も繰り返しカセットを聞いてはそのリズムに乗って踊っていたんだとか。以降、誕生日には浴衣を着せてもらい、祇園祭に行くのが習慣となりました。

お祭りでミニチュアの山鉾を買ってもらうのも楽しみのひとつ。毎年1つずつ集め、一時収集を中断しましたが近年再開し、まもなくすべての山鉾が揃いそうです。

また、通っていた高校は鉾町のそばにあり、2年生の7月17日「こんな近くで山鉾巡行をがあるのに、学校で授業してる場合じゃない」と生物の先生が連れ出してくれて、巡行を見ることが授業になったのも、良い思い出…。

郭巨山とのご縁

四条西洞院にある郭巨山。7月17日の前祭に巡行する山鉾のひとつです。中国史話の二十四孝「郭巨釜堀り」・・・貧しい郭巨が苦渋の決断で子を埋めようと土を掘ったところ、黄金の釜を掘り当てたことで豊かになり、親孝行が出来たというお話が元になった、室町時代の文献にはすでに名前が載っている山です。(当時の名前はみち作り山)
鉾や曳山(ひきやま・鉾のように綱を引いて巡行する山)以外では唯一、日覆障子(ひおおいしょうじ)という屋根のある山です。
ご縁をいただいて、夫は保存会の特別会員としてご奉仕させていただき、私も夫の付き添いで厄除けちまきの準備や、授与品のおわかちのお手伝いをさせていただいています。

巡行する郭巨山

巡行する郭巨山

(写真提供:(公財)郭巨山保存会)

郭巨山は、普段は円山公園内の収蔵庫に屋台や懸装品が納められていて、7月13日の山建ての際にトラックで部材を町内へ運び、建てられます。私も何度か山建てを見学させて頂きましたが、釘を使わずに「縄がらみ」といわれる“わら縄”だけで部材を固定して、大工方さんが手際よく屋台を組みあげられます。午前中で完成し、午後から保存会の皆さんでお飾りを付けて行く段取りになっています。

山鉾を飾る工芸品

山鉾はよく「動く美術館」という表現をされますが、宵山で山鉾を見て歩き、調べていくうちに、ようやくその言葉の例えに頷けるようになりました。
そんな、美術館の見どころを、郭巨山を例に挙げさせて頂き、ご紹介したいと思います。

まずは、郭巨山、各部分の名称(抜粋)をご紹介。

舁山(かきやま)の名称

舁山(かきやま)の名称

(写真提供:(公財)郭巨山保存会 筆者により各名称を加筆)

山の特徴のひとつでもある真松は、他の山と比べると屋根があるため、やや小ぶり。
舁山も今でこそ、車輪が付いていますが、昭和の中頃までは肩に担ぎながら巡行していました。他の山が次々に車輪を付ける中、郭巨山は最後の最後まで舁いていたんだそう。

また、舁山よりも大型で、大きな車輪が付けられ、綱を曳いて巡行する鉾は、鉾の中心にそびえる神木、先端にある鉾頭が特徴。(真松が立っているのは曳山です)。また、傘の形をした傘鉾、船の形をした船鉾もあります。

胴掛・見送・水引などの掛物

組まれた屋台に掛けられる、前掛や胴掛、背後を彩る見送などの掛物は各町内で趣向を凝らした、様々なお宝が伝わっています。中には室町~江戸時代に作られた歴史あるものも多く、中世ベルギー製のタペストリー(毛綴)やインド製の絨毯、また歴史に名が残る著名な絵描きによってデザインされたものもあります。

〈掛物に見られる技法〉

・綴織(つづれおり):横糸を隙間なく、高密度で織る方法。錦綴とも言われます
・毛綴(けつづれ):綴織の中でも、羊毛など獣毛を使って織られたもの
・緞通(だんつう):縦糸に一目づつ8の字状に通して糸を結ぶ、絨毯の工法
・刺繍:一針、一針、多彩な糸で縫う刺繍。金糸をふんだんに使用した豪華なものも
・友禅:近年制作されたものに、絹の生地に染料で絵を描かれたものがあります

刺繍で出来た前掛

刺繍で出来た前掛

(写真提供:(公財)郭巨山保存会)

中央の絵の部分は国内で作られた刺繍作品。左右と上部には中国の官服の胸部に付けられた、階級を表す中国刺繍の補子(マンダリンスクエア)が14枚使用されています。天明5年(1785)製。

綴織の見送

綴織の見送

(写真提供:(公財)郭巨山保存会)

丸山応挙の孫、応震の下絵。文化13年(1816)製。

また、昭和の終わりから平成にかけて、それまで使われていた懸装品の損傷も激しくなったことから、多くの山鉾で懸装品の新調や復元をされました。

昭和~平成年間に新調された胴掛と見送

昭和~平成年間に新調された胴掛と見送

(写真提供:(公財)郭巨山保存会)

文化勲章受章者・上村松篁の原画。

織や染作品だけでなく、金属工芸の美しさも見どころのひとつ。

山や鉾の屋台上部を彩る欄縁(らんぶち)。各々の町内の趣向を凝らした金属の細工が見られます。郭巨山は7月13日の山建てから宵山の間は、瓜を象った欄縁を設置しますが、巡行当日の朝、桐や桜、菊の草花がびっしりと施された豪華な欄縁に付け替えられます。

また、郭巨山だけに残る装飾で、欄縁の下に付けられている美しい模様が描かれた薄い板、乳隠し(ちかくし)があります。「乳」とは、胴掛などを吊るすための穴のことを差し、乳隠しの裏にある金具に一旦吊るし、それを屋台の手摺りにかけて欄縁を乗せます。現在、他の山鉾は直接欄縁に胴掛を吊されています。
この装飾があることと、山の由来となった「親孝行、子育て」から、昔から「お乳のお守」の授与をされています。粉ミルクのない時代に、母乳の出具合は赤ちゃんにとって命に関わること。また、近年では胸の患いの平癒お守りとしてお求めになる方もいらっしゃるそうです。

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この記事を書いたKLKライター

おきにのうつわ
食空間コーディネーター 工芸品ディレクター
三谷 靖代

京都生まれ。祖父の代まで染屋を営み、親戚一同“糸へん”の仕事にたずさわる環境で育ち、学生時代はファッションを学び、ウェディング業界へ就職。そこで出会ったテーブルコーディネートに感銘を受け、後に食空間コーディネーターとして起業。京都の伝統産業の産地支援や、五節句や年中行事など生活文化を次世代に伝える活動を行っています。京焼・清水焼の卸売をする夫と夫婦ユニット「おきにのうつわ」を結成して、京焼・清水焼の魅力の発信や講演、展示会プロデュース、また陶磁器以外の伝統産業品のPRや観光業とのコラボなども手がけています。近年スタートさせた「伝活」では実際に京都の伝統産業品を愛でたり、使っている様子をSNSで紹介。
特非)五節句文化アカデミア 理事

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食空間コーディネーター 工芸品ディレクター|うつわ/清水焼/伝統産業

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