田中宮司「徳川家光の時代は3代目で、力を持っていたし、大名からお金も集めやすかったんじゃないでしょうか。東福門院も上賀茂神社を綺麗にしてよかったなと思ったんじゃないかと思っています。下鴨神社もそのあと綺麗にして、寺社の修復の走りでしたね。神仏にとってもいいことだし、大名からお金は取れるし、いいことしかないと。1610年から葵を将軍に届けていたという縁もあったんでしょうね。東福門院は葵と徳川との縁がすごく強い上賀茂神社がずいぶん傷んでる、お金をすぐ用意してすぐ作りなおしましょうと。全部と言っても60棟もありますよって図面を持って行ったら、それを見て『いいでしょう。』って言ったのだからすごいことですよね。」

KLK 東福門院様しかそんなこといえないですね・・・

田中宮司「ご縁というのを大切にしてくれたのでしょうね。だからその後、一部は遷宮で建て替えたことがあるけど、それ以外のものはその当時の建物を未だにそのままになっています。全て遷宮で建て替えをするのは難しいことです。」

KLK また300億円かかりますもんね!!

田中宮司「その時に最高の材料を使ってくださったので、今も残っています。立派な檜を4つに割ったその1つの木から4本の柱を取る。それだけ古い大きな檜を集めて、作った建物なんですよ。ものすごい大切にしっかりした建物を作ったわけですね。それも徳川家だからやってくれたことですし、葵のご縁の強さを感じます。」

三葉の紋

田中宮司「京都のいろんな神社仏閣が家光の頃に建てなおしてもらっているのですが、必ず御殿のどこかに三葉葵の紋(徳川家の紋)がついているのです。しかし上賀茂神社はつけてない。徳川家は最初にやった上賀茂神社には自分のところの紋をあえて残さなかったのです。ここが二葉葵だからでしょうか。御殿には二葉葵の紋がいっぱいついてるのだけど、三葉葵はついていません。他の寺社では三葉葵紋が入り口に大きくついているところもあると聞きます。徳川家が作ったのだという証拠を残してるわけですね。」

徳川家が関係した「葵祭」

田中宮司「葵祭は葵を飾って祭をするから葵祭だというけど、これは徳川家が言ったからで、江戸時代以降なのですよ。それまでは『祭』といえばすなわち賀茂祭のことでした。」

KLK えっ!ということは徳川家が名前に関係していたんですか!?古典の授業で「まつり」だけで葵祭の意味があると聞いたことがあります。

田中宮司「徳川家が天下をとってから、自分たちの紋の葵を皆がつけてお祭するのが葵祭なんだ。ということになったのです。」

KLK 本日は、今まで知らなかったことをたくさん教えていただき、驚きの連続でした。どうも有難うございます!

おわりに

上賀茂神社は、「葵プロジェクト」という活動もされています。激減する二葉葵を保護・育成し、上賀茂神社に「葵の森」を再生すべく取り組んでおられます。

葵祭だけでなく徳川家ともゆかりが深い「葵」にこのような面白いエピソードがあったとは驚きでした。皆さんも是非、上賀茂神社に訪れて歴史を感じてみてくださいね。

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