前回紹介した元立誠小学校は、民間からの提案による跡地活用として、校舎の一部が保全・再生されました。敷地内には大型イベントが行える約840平方メートルの「立誠ひろば」ができ、広々とした緑の人工芝の上で、子供や大人が一緒になって遊んでいました。民間事業者による校舎の保存・活用はここだけではありません。清水寺近くの元清水小学校でも校舎の形状を活かした保存・再生がなされていましたので、木屋町通を下がり松原橋を渡って元清水小学校へ向かいましょう。

元立誠小学校の跡地活用、「立誠ガーデン ヒューリック京都」

立誠小学校は、論語の“人に対して親切にして欺かないこと”を意味する言葉から、1877(明治10)年に命名されました。1928(昭和3)年に移転・開校した現校舎は、かつて七之舟入と八之舟入に挟まれた土佐藩邸跡に建っています。校舎移転前にあった京都電燈会社の中庭で日本初の映画試写実験が成功し、立誠小学校は日本映画原点の地とされました。93(平成5)年に学校としての約120年に及ぶ歴史の幕を閉じましたが、その後も第二教育施設として使用され地域自治会の活動場所として利用されました。
元立誠小跡地は、2011(平成23)年の学校跡地活用新方針に基づき、16(同28)年に事業者選定プロポーザルが開始されました。募集条件は、文化的拠点を柱に、にぎわいを創出する事業で、建物の外観・内装等の主要な意匠を保全・再生すること、自治会活動スペースを整備することなどです。13件の応募の中からヒューリック㈱を選定し、20(令和2)年7月に「立誠ガーデン ヒューリック京都」がオープンしました。

立誠ガーデン ヒューリック京都

立誠ガーデン ヒューリック京都

用途は、複合施設(ホテル、文化施設、商業施設)と自治会活動スペース。活用方法として、①既存校舎は西側一部を除き建物を耐震改修して保全、②敷地西側に地下1階、地上8階建ての新築棟を整備し、その1階に文化事業を行う多目的スペースを整備、③敷地内に大型イベントが行えるオープンスペース(立誠ひろば)を整備、④図書館・駐輪場を整備しています。跡地活用では早い段階から地元・京都市・事業者の三者が協議を行い、事業開始後も引き続き三者協議が行われています。高瀬川沿いの広々とした緑の人工芝の上で、子供と大人が一緒になって駆け回り、寝転ぶ姿がとても微笑ましいです。

立誠ひろば

立誠ひろば

立誠ひろば(俯瞰)

立誠ひろば(俯瞰)

松原橋から東へ

次に、元立誠小学校から木屋町通を下がり、松原橋を渡って元清水小学校に向かいました。松原通は平安時代の五条大路で、清水寺の参詣道であったことから往来が多く、都の目抜き通りでした。ここに架かっていた橋が五条橋であり、通りの両側に松並木があったことから五条松原橋とも呼ばれました。しかし豊臣秀吉が方広寺大仏殿造営に当たり、この橋を現在の五条通に架け替えたため、この地の橋の名前から「五条」がはずれ,松原橋と呼ばれるようになったといいます。

松原橋

松原橋

松原通を東に行くと大和大路界隈に弓矢町があります。この町内では、祇園祭(前祭)のころ武者行列の甲冑を展示する「弓矢町武具飾」が行われます。祇園祭では武者行列として参列していましたが、1974(昭和49)年の神幸祭を最後に途絶えたため、翌年から武具飾として町会所や町家などで甲冑が飾られるようになったのです。

弓矢町武具飾

弓矢町武具飾

弓矢町武具飾

弓矢町武具飾

下京第27番組小学校、元清水小学校

東大路通を越えてさらに東に行くと、松原通の北側に元清水小学校が見えてきます。清水小学校は1869(明治2)年に下京第27番組小学校として創設されました。校地は毘沙門町の旧安井御殿跡地にありましたが、学区の西端に位置し、市電が走る東山通を横断して通学する児童の安全確保のため、1931(昭和6)年に校舎の移転改築を決定し、2年後に現校地で新校舎が竣工しました。
松原通に正門を置き、北に通路を通って校舎に至ります。通路東側の校舎は、大階段のある中庭をコの字に囲むようにして、2階建て(地下1階)の管理棟と3階建ての教室棟が建っています。敷地に大きな高低差があるので、各棟を大階段で巧みにつなぎ、しかも校庭が校舎の西側であるため、校舎や大階段から市街地が一望できる配置となっています。校舎の外装は、スパニッシュの瓦庇を最上階に巡らせ、その上に寄棟屋根の塔屋をスパニッシュ瓦で葺くなど、南欧風の印象的なシルエットを構成しています。清水小学校は2011(平成23)年に閉校となりましたが、その後もクラブ活動や地元自治会の活動場所として利用されました。

元清水小学校

元清水小学校

元清水小学校の跡地活用、「ザ・ホテル青龍 京都清水」

元清水小学校跡地のプロポーザルは15(同27)年に開始されました。募集条件は、ホテルまたはブライダルを主たる計画とする事業で、校舎は保存・再生すること、避難所を確保し、自治会活動スペースを整備すること、そして地域住民との連携などです。10件の応募の中からNTT都市開発㈱を選定し、20(令和2)年3月に「ザ・ホテル青龍 京都清水」がオープンしました。
用途は、宿泊施設(ホテル)と自治会活動スペース。活用方法として、①既存校舎を耐震改修、②既存校舎北側に宿泊棟を増築、③敷地西側にカフェ・レストラン棟を増築、④芝生広場を整備、⑤敷地の東側に自治会棟を整備しており、地元・京都市・事業者の三者協議が早い段階から行われ、事業開始後も三者協議が続けられています。東山丘陵の傾斜を利用し、旧校舎や大階段、芝生広場、カフェ・レストラン棟がなだらかに並び、見晴らしが良く落ち着いた空間が形成されています。

ザ・ホテル青龍 京都清水

ザ・ホテル青龍 京都清水

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この記事を書いたKLKライター

京都市文化財保存活用・施設整備アドバイザー
松田 彰

公益財団法人 京都市文化観光資源保護財団 アドバイザー 
京都大学工学部建築学科卒、同大学院修了
一級建築士

1957年生まれ
1982年4月から京都市勤務
2018年3月に京都市都市計画局建築技術・景観担当局長で退職
2018年4月から2023年3月まで京都市文化財保存活用・施設整備アドバイザー
2023年7月から現職

著書:「花街から史跡まで 散歩でハマる! 大人の京都探訪」(リーフ・パブリケーション)
   「いろいろ巡ろ! 京都の文化都市施設」(KLK新書)
共著:「京都から考える都市文化政策とまちづくり」(ミネルヴァ書房)
   「『京都の文化的景観』調査報告書」(京都市)

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松田 彰

公益財団法人 京都市文化観光資源保護財団 アドバイザー 
京都大学工学部建築学科卒、同大学院修了
一級建築士

1957年生まれ
1982年4月から京都市勤務
2018年3月に京都市都市計画局建築技術・景観担当局長で退職
2018年4月から2023年3月まで京都市文化財保存活用・施設整備アドバイザー
2023年7月から現職

著書:「花街から史跡まで 散歩でハマる! 大人の京都探訪」(リーフ・パブリケーション)
   「いろいろ巡ろ! 京都の文化都市施設」(KLK新書)
共著:「京都から考える都市文化政策とまちづくり」(ミネルヴァ書房)
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