▶︎望月に照らされ 祇園祭
▶︎大船鉾保存会代表理事 木村 宣介 祇園祭は疫病に負けたのか
▶︎祇園祭「鷹山」2022年の本格復帰へ向けて
▶︎祇園祭は疫病に負けたのか 最終話
7月28日夕刻からの「後の神輿洗い」をもって祇園祭の大きな行事が終わります。まだ祇園祭は終わっていないとはいうもののやはり一抹の寂しさを感じます。
今年は後祭りの山鉾巡行が復活してちょうど10年目でした。
私が三若神輿会に入った30年ほど前は山鉾が合同巡行でしたので、世間では7月17日の巡行が終わると「あー、祇園祭も終わりましたね」と平然と言われていた時代でした。
そんな時代でも河原町商店街のアーケードの祇園祭の幔幕はこの神輿洗の7月28日まで掛けられていたと記憶しています。
当時から河原町商店街役員の皆さまがいかに見識高く祇園祭を大切にしてこられてきたかがよくわかります。
[納涼床の起源]神輿洗い
粽の楽しみ
そして7月31日山鉾、神輿、花笠や清々講社役員をはじめとする関係団体の役員が一斉に集う境内末社の疫神社 夏越祭で今年の祇園祭はいよいよ幕を閉じます。
この時に参列者がくぐる茅輪が転じて、祇園祭には欠かせない粽になったことはよく知られるところです。
この粽はもちろん食べられません。
それぞれの山鉾や八坂神社や神輿会(三若のみ)がご利益を謳って販売(授与)している粽を見てまわったり買ったり(授かったり)するのも宵山の楽しみの一つです。
鈴鹿山や黒主山は盗難除け、孟宗山は親孝行、木賊山は迷子除けなど、疫病除け以外にも一風かわったご利益があってなかなか面白いものがあります。
いずれもその山や鉾の謂れやご神体にまつわるご利益なので、そのご利益のルーツを知ると祇園祭をさらに楽しめると思います。掛け紙のデザインもシンプルなものから凝ったものまでそれぞれの山鉾の個性がでていますね。
KLK編集部にもたくさんの粽が集まりました。
大船鉾の粽はなんと10束×5本重ねの特大粽。
巡行順が決まった後、前と後ろの山鉾が交換をされる特別な粽なのですが三若神輿会にも頂戴いたしました。もちろん一般には売られて(授与されて)いない超レアものです。
粽の危機
一番人気の粽は長刀鉾で5万本(実際はそれ以上かもしれません)と聞いたことがありますが、全体では何十万本もの粽がこの祇園祭の期間に配られる(授与される)ことになります。
その粽がいま危機に立っています。
今年は後祭の宵山でも宵を待たずに売切れというご町内が多くありました。
7月22日の宵山(宵山と云うのは巡行の前日だけではありません)を廻った私も、黒主山では「本日分はもうありません。明日は9時からです。でも11時頃にはなくなるかも・・・」と言われ鈴鹿山では「明日は日中の授与はなく18時からお並びいただきます」と言われました。
どうやらどこの山鉾も粽を調達しにくくなってきているようです。
いくつかのご町内で親しい方からお聞かせいただいたお話を私がまとめると
(1)4年振りだったから
粽は手作りで原材料の調達から仕上げまでほぼ1年仕事。
1年後の祇園祭になんらかの行動制限がかかるかもしれず粽の生産数を計りきれなかった去年の秋からでは十分な数量や体制を確保できなかった。
(2)原材料産地では
粽の主原料となる笹(チマキザサ)は左京区の鞍馬や大原や花背が知られますが、これら産地では生態系の変動により笹が枯死して十分な量が採れなくなってきたこと。
(3)獣害
生態系の変化とも関連するが、鹿が増えたことによりただでさえ数の減ったチマキザサを鹿が食べてさらに減らすという「食害」が発生している。
(4)農家の高齢化
粽づくりは北区の深泥池(みどろがいけ)近辺の農家やその周辺にお住まいの方々が手仕事で代々担ってこられた。
農家をやめられたり、高齢化などで担い手や後継者が少なくなってきている。
今年に限っては(1)の理由も大きかったように思いますが、むしろ根本的な問題は(2)(3)(4)です。
その結果、午前中から「チマキ、本日分はなくなりました」ということになるのです。
また和菓子の粽(こちらは食べられる方の粽です)でも使われている香り高い現地の笹が取れなくなってきていることで祇園祭でも外国産の粽を使わざるならなくなっていると聞きます。
粽のこれから
公益財団法人放下鉾保存会で役員をされている松原常夫さんが粽を持続可能な形で調達できるような仕組みを構想されています。
もう少し広域でのチマキザサの採取や、作業場所や職人の確保などができるか検討を始められています。松原さんからこのお話を伺った時に粽づくりの現場の映像を見せていただきました。
80歳は超えておられると思えるおばぁちゃん(あえてこう呼ばせていただきます)がチマキザサに芯となる藁をくるみ、紐状のイグサでくるくるッと巻いて1本出来上がり。
これを10本束ねてまたイグサで括って完成です。
実に器用な熟練の手さばきで1つの粽が完成します。
しかしこれを1軒の農家が何千本かを作られるかと思うとそれは想像を絶するような時間と作業量です。
粽本体の生産作業はここまでですが、この裸の粽が6月に各町内に運ばれてそこからまた「蘇民将来子孫也」の護符をつけて掛け紙をつけて完成となります。
これでだけ多くの方々の手数を経て出来上がることを知れば、粽のありがたみもさらに高まるのではないでしょうか。
そんな粽が千円程度で授与されているのはかなり良心的な設定だと思います。
粽を「売る」とは言わないのは信仰の観点からももっともでありますが、その収益が保存会の運営費になっている現実を思うといかにも京都的な言葉遣いだなとも思います。
また当初は賛否が分かれたインターネットでの粽授与も、コロナ禍の3年間で当たり前のことになりました。いやむしろ遠方の人にも粽をお受けいただく機会ができたという意味は大きいと思います。
祭りとは信仰(祈る気持ち)であると考えます。
であるならば、そのシンボルともいうべき粽が持続可能な形で生産から流通できるのは大切なことではないでしょうか。
これまで何百年もの長きにわたって町衆の叡智で幾多の困難を乗り越えてきた祇園祭です。
京都が誇る祇園祭の信仰を守るためにも、粽を作り続け届けられ続ける令和の新しい知恵を待ちたいと思います。
(追記)粽の由緒、そもそも「蘇民将来子孫也」の意味、祇園祭の起こりについては私が7月17日に京都新聞に記した拙い詩から調べたり思いを馳せていただけると幸いです。
来年の祇園祭がさらに待ち遠しくなると思います。たぶんですが。
この記事は2023年7月28日に掲載したものです。