2年連続となった異例の祇園祭が静かに終わろうとしている。こんなことは1年限りだと疑わず昨年のKLKは「祇園祭は疫病に負けたのか」という特集を組んだ。だが今年はそうもゆくまいと、シリーズの最後は私の随想を、今年見てきた祇園祭の回想に重ねて書かせていただくことにした。

太古の都人は疫病を怨霊だとか疫神の仕業だと考えて神に救いを求めた。しかしウィルスの写真をニュースで皆が目にする現代において、(科学的見地からは)祇園祭で疫病が収まるとはよもや誰も思ってはいないだろう。果たして令和の京都人が今年の祇園祭に求めたものはなんであっただろうか。祭りの賑わいによってそろそろこの閉塞感から解放されたいと切実な思いと、やはりこの希代の禍事(まがごと)を畏れ、神のおいでを渇望する思いが交錯していたのではなかろうか。
 
17日と24日の御神霊渡御祭では神様がお乗りになった白馬(神馬)の前を神輿会の輿丁とともに歩かせていただくお役目をいただいた。神輿が神馬に代わったとしても、そこにお供するのは輿丁の役目であるべしという願い入れを今年は八坂神社が聞き入れてくれたのであった。

Photo by 三宅徹

Photo by 三宅徹

7月24日の後の祇園祭の渡御列。四条寺町御旅所を出発してから1時間余り、暮れかけた四条大宮にさしかかるとそこはもう三若の地元である。例年は狭い大宮通を数百人の輿丁とともに右から左から迫りくる電柱を避けるように神輿がギリギリをすり抜けていく。その熱気と興奮のせいか、安全を確保する緊張のせいか、いつもは周囲の家人の表情にまで心を配る余裕はなかった。もっとも神輿に向かって後ろ向きに歩くので、神輿の周囲しか視界に入りくいこともあったのだが。

Photo by 三宅徹

しかし今年は違う。前を向いてホイト!ホイト!と手を打ち歩きながら右に左に目を遣ると氏子さんの家族が見える。一緒に手を打ってくれる子どもがいる。手を合わせて拝んでくれているおばあちゃんがいる。一家総出で迎えてくれる家族がいる。この人たちにとって大神様は、私の思いとはまた異なるもっと身近な神様に違いない。向き合う神輿はなくとも、神様とともにお渡りさせていただいていることを氏子さんたちの表情から感じることができた瞬間であった。

Photo by 三宅徹

神泉苑での神事を終え千本通りから三条会商店街に入る。ホイト!ホイト!の声がアーケードに木霊して気持ちがさらに高揚する。ご商売をされているお家が多いからか先ほどの大宮通とはまた違った表情が渡御列を迎えてくれる。商店街の中央からやや東の黒門通に神泉苑の南端であったとされる八坂神社の又旅社(御供社)がある。そのご縁でこの三条会商店街が又旅社のお世話をはじめ、三若神輿会と一体となってご奉仕をしていただくようになってから早もう15年が経つ。

Photo by 三宅徹

商店街の中ほどを少し下がった(南に入った)ところに三若神輿会の会所がある。主祭神である素戔嗚尊を擁する神輿会としての自負は強い。渡御列は会所前までは通らないので、一番近くに見える地点にてホイト!ホイト!の掛け声を止めた。前を行く私が制したので神馬も止まる。何ら許しも得てはいなかったがマワセ!マワセ!と声を上げた。馬方はしばらく戸惑ったあとに商店街の十字路で神馬をゆっくり一周廻してくれた。それでよい。神を乗せた神輿はマワセ!マワセ!と天に向けて差し回すことでご神威が強くなる。神馬も然り、神輿を御すが如く、三若の矜持だ。

Photo by 森脩

三条通は堀川通を渡って東へ。ここからはホイト!ホイト!の掛け声は私の担当から離れる。烏丸通を越えていつもなら丹波八坂太鼓の雷動が荒々しく神輿を迎えてくれるあたりである。やがて高倉の長谷川松寿堂前へ。この日の午前中は山鉾拝礼行列が合同巡行前から実に50数年ぶりにここでくじ改めをしたという。山鉾でなく役員さんだけの拝礼行列であったからこそ三条通で叶えられた奇跡だったかもしれない。いずれにせよ古の習わしに従ってくじ改めがされたことを喜びたい。そういえば一年前は渡御列に参加させていただくことが叶わず、この前にて雨の中をホイト!ホイト!の掛け声で渡御列をお迎えしたことを思い出した。
 
今年の御神霊渡御祭の行列を歩いていて山鉾の役員さんがこの御神霊の行列を迎えてくださっている場面を例年以上に目にすることができた。後祭りの御神霊渡御祭の道筋(例年の中御座神輿の渡御コース)はいくつかの山鉾の会所前を通る。先祭りを終えた月鉾、渡御列の休憩箇所としてご接待をいただいた郭巨山、お囃子で迎えていただいた鷹山、会所前ではないのに後祭りの鉾の解体作業を抜けてお揃いのTシャツ姿で四条通まで迎えに出ていただいていた大船鉾、寺町通では正装で渡御を迎えていただく連合会の理事長のお姿も見られた。

Photo by 三宅徹

市民の目にも、ともすれば祭に直接携わる我々の目にも山鉾と神輿は別々のものであるかのように映りがちだ。しかしこうして山鉾の役員さんが御神霊の渡御列をお迎えいただいたように、山鉾はこの八坂の大神をお迎えするために巡行されている。去年、今年と賑々しい山鉾の巡行がなく榊巡行になったからこそ、勇壮な神輿渡御がなく神馬での行列になったからこそ、(祭としては不本意ながらも)山鉾と神輿を繋がりが鮮明になったのかもしれない。何もかもが復古的なる必要はないが、2014年の後祭り巡行の復活から高まっている神事としての祇園祭を大切にしようとする機運を感じる。

Photo by 三宅徹

さて祭とは誰のためのものなのか。寺町から四条通に出て八坂神社の西楼門がかすかに見えてきた頃にふと考えていた。この疫病の正体がウイルスだとわかっていても人々は見えない神を畏れ、崇め、願い、感謝の意を捧げ、神のおいでを乞うていた。祭りの主役は神である。そしてもう一方の主役は間違いなくこの街の人々であろう。信仰という大義のもとで神を歓ばせ、人も楽しみながら祇園祭は多くの人と人を繋いで巻き込んできたからこそ1152年も続いてきたのだ。去年、今年のように限られた人しか関われない祭はもうあってはならない。
 
春から夏前にかけて山鉾が建てる建てないを保存会や町内で侃々諤々の意見を交わわれたように、神輿を出す出さないでも神社、清々講社、宮本組、神輿会で様々な意見が出された。神輿会、特に三若は神輿を出すべしと時に強硬な申し出をしていたし、三若の輿丁会からは「神輿を動かしたい」と4000人を超える署名の嘆願書までが提出され関係者を驚かせた。八坂神社や他の氏子組織の方々からは三若の言動が傍若無人なものに見えたかもしれない。そのことは神輿会の役員の1人としてこの場でお詫びしたい。

「輿丁のための神輿ではない」それは確かにそうであろう。しかしあの神輿はこの男たちの強い思いと力なしには1ミリたりとて動かない。私たち役員のように親や先祖から受け継いだ生まれながらの責任とは別次元の、純粋で一本気な信仰心を彼らは持っている。17日、24日の渡御列には神輿を担げない無念の思いを噛み殺しながら気高く粛々と神馬のお供を務めてくれた。10日の境内での神輿洗には神輿庫から舞殿までわずか数十メートル肩を入れる(担いで運ぶ)ために精鋭70名が集まってくれた。2年ぶりに肩を入れることができて笑っているのか?こいつ泣いているんちゃうか?失礼、そんな複雑な顔をした男もいた。
 
庫(くら)から出した神輿はまっすぐ舞殿横に据えるべきものであったが少し練らせていただいた(神輿を振りながら担ぐ)。私の指揮もおぼつかず、神輿は右に左に流れてブレブレだった。交代要員も少なくけっこうキツイ神輿振りだったと思う。境内の参拝者からは神輿で遊んでいるように見えたかもしれない。もしそう思われた方がおられたら来年はぜひ7月17日にここから出てゆく神輿を、24日に帰ってきた神輿を、この男たちが神を背に命を懸けて担いでいる姿を見に来てほしい。今年、空(から)神輿と戯れていた男たちの気持ちをきっと分かっていただけると思う。みんなありがとう。今年はこれが精一杯だったけど来年は必ず。

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この記事を書いたKLKライター

三若神輿会幹事長
吉川 忠男

 
三若神輿会幹事長として、八坂神社中御座の神輿の指揮をする。
神様も、観る人も、担ぐ人も楽しめる神輿を理想とする。
知られざる京都を広く発信すべく「伝えたい京都、知りたい京都 kyotolove.kyoto」を主宰。編集長。
サンケイデザイン代表取締役。

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