【京のお地蔵さまシリーズ】
【Part1】お地蔵さまと京都の町の人々 ◀︎イマココ【Part2】お地蔵さまが3Dプリンタでレプリカに!
【Part3】夏の風物詩「地蔵盆」は“京都をつなぐ無形文化遺産”
「お地蔵さまって、どんな仏さま?」と問われたら、皆さんはどのようなお姿を思い浮かべますか。
子どもの頃に読んだ「さるじぞう」や「かさじぞう」といった絵本の中に出てくるお地蔵さまでしょうか。絵本や昔ばなしのお地蔵さまは、お堂の中ではなく、お寺の境内や村の入り口、峠、お墓の入り口といった野外におられ、野ざらしが多いようです。しかも、立っておられるお地蔵さまが多いですね。
さらに、とてもやさしいお顔をしておられ、見ているだけで心を和ませてくださる、そんな仏さまを想像されるのではないでしょうか。
幼い頃にみた『まんが日本昔ばなし』の映像が瞼に浮かび、市原悦子さんや常田富士男さんの声が聞こえてきた気がするという方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そもそもお地蔵さまって、どのような仏さまなのでしょう。
正式な名称は「地蔵菩薩」だそうです。
まず、仏教にある六道輪廻という考えから紐解いていきましょう。人は死んだあと、6つの道(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天上道の六道)のどこかに転生します。そして、これら6つの世界を、生と死を繰り返しながら彷徨い続けるといわれています。
平安時代の貴族たちは死後に六道輪廻から抜け出す(解脱する)ために浄土宗の阿弥陀如来に信仰を寄せ、巨額の資金を使って阿弥陀堂を建設し功徳を積もうとしました。六道輪廻を解脱すると、浄土に生まれ変わることができると信じていたのです(浄土往生*)。
*浄土のことを極楽ともいいますから、「極楽往生」ともいいます。
地獄道や餓鬼道、畜生道、修羅道はもちろんのこと、天上道といえども迷いの多い世界で悲しみもあり寿命もあるわけですから、人々は六道を永久に転生し続けることを恐れたのです。しかし、お金のない民衆は阿弥陀如来に信仰を寄せることができません。そんなときに救いを求めたのが地蔵菩薩でした。生前の罪を裁く閻魔大王から地獄行きを宣告されても、地蔵菩薩が地獄から救済してくださるという地蔵信仰はたちまち民衆に広がっていったようです。
その後、地蔵菩薩が六道の入り口に立って救ってくださるという教えも生まれました。転生先の6つの入り口におられるわけですから全部で6体ということになります。このようにして六地蔵信仰が生まれたのです。
地蔵菩薩の仕事でよく知られている話があります。賽の河原での子どもの救済の話です。親よりも早く死んだ子どもは賽の河原で石積みの刑を命じられます。あと少しで石が積みあがるというときに鬼がやってきてその石を崩してしまいます。このようなときに苦しむ子どもを救ってくださるのが地蔵菩薩だという話です。子どもの安全、安心を守ってくださるのがお地蔵さまであるという考えのもとがここにあるのでしょう。
京の町の人々は、常日頃から日々の言動を省みてお地蔵さまに手を合わせます。死んだときに閻魔大王から地獄行きを命じられたとしても、お地蔵さまが救ってくださるように祈るのです。さらに、自分たちのくらしを守るためにお地蔵さまの力にすがるのです。そのためにも、お地蔵さまは私たちの身近な処にお祀りしておかなければならなかったのでしょう。いつでもお地蔵さまに手を合わすことができる処に祀っておきたかったのです。京の町にお地蔵さまが多い理由はそこにあったのでしょう。
京都の町の多くは、町内(自治会)の一角にお地蔵さまが祀られています。京都市内だけで、その数は五千を下らないといわれています。どなたがお世話をしてくださっているのか分かりませんが、いつもきれいに手入れをされています。そして、お花とお水が手向けられています。きっと、町内で順番を決めてお手入れされているのでしょう。むろん手を合わせて拝んでおられる人の姿もよく見かけます。