京のくらしと京ことば 漱石も惑わされた
京都人は表裏があると言われる。「決して」とは言わないが、必ずしもそうではないのだが。漱石の恋バナに見る京ことばの難しさ。
夏目漱石因縁のことば「おおきに」
これほど難しい京ことばはない。といっても、その千変万化することばを使いこなさなければ京都人とは言い難い。そんな京都人かどうかを試す指標となる京ことばの一つが「おおきに」である。このことば、夏目漱石も惑わされた京ことばである。
「おおきに」ということば、明治以降に使われ出したことばである。元来「おおきにありがとう」と使われていたが、その「ありがとう」を省略する形で「おおきに」ということばで流布するようになった。「おおきに」は「大きに」で、「非常に、おおいに」という副詞である。ということで、忘れてはならないことは、「ありがとう」という強い気持ちが何より「おおきに」には含まれているということである。しかし、それだけで終わらないのがこのことばである。
さて漱石だが、1915(大正4)年3月に1か月程京都に滞在している。宿は木屋町御池の「北大嘉」である。この滞在中に人を介して祇園白川沿い巽橋の「大友」の女将、磯田多佳と知り合い、お互い意気投合する仲となった。そういった関係からか、漱石が2日ほど寝込むこととなった時も、かいがいしく看病をした。こんなそんなの関係で、快復した漱石が、北野さんへ梅を見に行こうと多佳を誘うと、多佳は「へぇ、おおきに」と返した。漱石は約束ができたものと思ったが、約束の当日、多佳は現れなかった。
おおきに=サンキューだけじゃない
「おおきに」には、先に書いたように「ありがとう」というサンキューの意味合いがあると言ったが、それとは逆の「いいえ結構です」というノーサンキューの意味合いもある。
例えば、今度飲みに行きましょうと誘われて、誘ってくれたことに対して、「ありがとう」と言ったとして、「オッケー」「行こう行こう」などと、どちらかというと積極的なニュアンスから、誘ってくれたこと自体に対して「ありがとう」と言いながらも、実は体調が悪くて到底行けそうにありません、というような内容を含んで言っている場合であるかも知れない。
この場合、ノーサンキューということになる。いろいろな返事の仕方があるが、それらをまとめて、「おおきに」と返答するのである。
しかし、積極的にせよ、消極的にせよ、具体的でないので挨拶程度となるようにも思える。その中身まで追求するためには、その人間関係や人となりから、そこを推し測る力が必要なのである。
今なら、「いつですか」という一言を付けなければ、その話は前に進まない。そのように考えてみると、多佳も、「へぇ、おおきに」というだけで、誘われたことに関して、謝意を述べる、また挨拶程度に捉えたのかも知れない。しかも祇園の女将ゆえに、誘われたことに「ノー」とはなかなか言えないだろうし、しかもちょっと笑顔でいたのかもしれないと想像がつく。
また、いつという日程までは多佳(女性)からは尋ねられなかったとも思われる。しかし、多佳も本当に行く気なら、「へぇ、おおきに」と返事をしたあと、「ほんまどすかー」、「ほんまによろしおすかー」、「おじゃまやおへんかー」といったように、確認のことばを添えただろうと思う。二人の間のいろいろな要素を踏まえての「おおきに」の捉え方であったのだろうと想像する。
また、漱石からの誘いが20日過ぎであったことから、天神さんといえば25日という頭が多佳にはあったのかも知れない。それは、天候の周期に、「弘法さん(21日)が晴れやったら天神さん(25日)は雨やなー」などとも言うところからもうかがえる。とにもかくにも漱石は、「おおきに」ということばに惑わされたということである。看病を二晩したという事実は確かで、その点で漱石はそうならばという思いもあったのかも知れない。その事実をもとに、漱石は多佳に、『木屋町に在をとりて川向の御多佳さんに「春の川を隔てゝ男女哉』という色紙を送っている。この句は、木屋町御池に漱石生誕100年ということで句碑という形で建立された。
「おおきに」に学ぶコミュニケーションの難しさ
今までの話から、「おおきに」をくせものと捉えるかどうかは別にして、その時の話の流れをどう推し測り、気持ちをどう察していくのかなど、いろいろな要素を踏まえて解さなければならない難しさが「おおきに」には凝縮されているように思う。よく「ことばは文化である」といわれる所以がそこにあるようにも思う。
漱石も惑わされたこの「おおきに」ということば、京ことばでは、そのイントネーションは「き」にアクセントを置くが、大阪では、最初の「お」にアクセントを置く。そして、その大阪の商人は、「まいど、おおきに」などと言うが、その「おおきに」を省略して、「まいど」とやり取りし、挨拶代わりにもなっている。
京都で「おおきに」を使わない人?
さて、最後に付け足しのようになるが、「おおきに」は、「おおきにありがとう」の「ありがとう」が省略されたと言ったが、逆に「ありがとう」ということばの使われ方を話しておきたい。
このことば、御所ことばのあいさつことばでもある。
尼門跡の御前様は、食事が出されたとき、食べ終わったとき、我々ならば、「いただきます」「ごちそうさま」というところを、どちらも「ありがとう」を使う。高貴な方である。出されたものに、「ありがとうございます」とは絶対に言わない。ましてや、町方の「おおきに」ということばなどは使わない。ちなみに、その「ありがとうも」も、戦前は「かたじけのう」とも言っていた。
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京ことば研究家
故井之口有一・堀井令以知両氏の「京ことば研究会」で、京ことばとことばの採集方法を学ぶ。京ことばの持つ微妙なニュアンスの面白さを追い続けている。
|京ことば研究家|京ことば/京のくらし/おおきに/かみ・しも/おこしやす
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