同じ仲間内かどうかというとき、山に対して川とか、水に対して火などと言葉を交わす。よく忍者とかが出会えば交わす合言葉、いわゆる符丁であるが、こんな符丁を鉾町で聞いたことがある。

7月限定。京都の挨拶とは

ちょっとまだ早いが祇園祭での話である。この祭、1か月に渡って行われる祭である。

今でこそ、前祭(さきまつり)と後祭(あとまつり)に分かれたので、その期間が延びているように感じるが、多くの人々は、祇園祭は、宵々山、宵山、そして山鉾巡幸だけのように思われているのではないだろうか。

本当は7月1か月に及ぶ長い祭なのである。昨年(平成30年)などは、あまりの暑さに花傘まつりが中止という前代未聞の事態にもなったが、そもそも祇園祭は疫病退散の祭であるため、暑くなくてはならない。涼しい祇園祭などあってはならないのである。

その意味でいえば、異常な暑さは困るが、ある程度の暑さが必要なのである。新聞などの写真を見ていると、四条通や御池通に鉾や山をバックに陽炎のようなものが写し込まれたものなど、見ていて相当の暑さを感じさせる。
 

さて、そんな祇園祭の鉾町では、次のような挨拶が交わされる。
その挨拶とは「祇園祭どすなー」ということばかけである。そう言われれば、一般的に答えるなら、祇園祭ですねと言われているので、そうですねとなる。

京ことばでいえば、「そうどすなー」であるが、「暑おすなー」と返す人もいる。「そうどすなー」と普通の応答をする人は、祇園祭には関係しない人と見なし、「暑おすなー」と返す人は、祇園祭に関係する人と見分けるのである。最初にも言ったが、祇園祭は暑くなくてはならず、その符丁を以って、関係者か否かを簡単に見分けるのである。


なぜそのような必要があるのかというと、身内とそうでない人とを見分けることは、その後の話の内容が変わってくるからである。祇園祭における山・鉾町内のことを一般の人に話してもしょうがないし、細かいことを身内でないものに話す必要もないし、いろいろな意味で機微に触れるようなことまでも話せる人かどうかが分かることは京都の人々にとっては生き抜く知恵となってきたのである。
京都の歴史を紐解く時、為政者との関係性をよく話として出されるが、この祇園祭の符丁もまたそのこととも関連したことなのかも知れない。祇園祭は町衆の祭といわれることとも関係があるのかも知れない。

京都のお姫様の挨拶は

 町衆とは一変するが、こんな挨拶がある。それは「ごきげんよう」という挨拶である。誰がそんな挨拶をされるのか、どこの偉いさんがといった声が聞こえてきそうだ。

この挨拶、尼門跡寺院での挨拶である。いわゆる御所ことばである。尼門跡寺院とは、皇族出身のお姫様が入られる寺院で、あまり外部との接触もないことから、かろうじて御所ことばが残っていたのだが、といってももうかれこれ50年ほど昔のことである。同志社大学近くの大聖寺、人形の寺として有名な宝鏡寺、嵯峨の曇華院、修学院の林久寺など数多くの門跡寺院が残っているが、今やどれだけ御所ことばが残っているやらと思う。

 小さい頃、宝鏡寺の近所に住んでいた。家では、そのお寺の講に入っていたようで、よく祖母に連れられて行った記憶がある。祖母は私の大学の頃まで存命だったので、時々宝鏡寺の話も聞いた。その頃はまだ京ことばにも興味はなく、祖母の思い出話のようなものであった。

その話の中で、御前(皇女)の挨拶は「ごきげんよう」だけで、食事の挨拶は、「ありがとう」の一言であると聞いた。おはよう、こんにちは、こんばんはなどと御前からの声かけは、おそらくないだろうし、食事にしても、女官などが、上げ膳据え膳だっただろうと考えられる。出会った時や別れの際に相手の日々の状態を伺う意味合いを込めて交わされるご機嫌いかがですか、お身体を大切にくらいの意味ではないかと考える。食事も皆とワイワイガヤガヤとするのではなく、一人静かに食べられるだろうと推測すると、膳を持ってきてもらって「ありがとう」、食べ終わって膳が下げられる時に「ありがとう」も納得できる。

漱石のところでも書いたが、「ありがとう」は「おおきにありがとう」という言い方が流布していたが、明治以降、「ありがとう」を省略して、祇園などでは、「おおきに」ということばで流れたが、さすが御所では、「おおきに」は用いず、その古形である「ありがとう」を使った。

もちろん「ありがとうございます」の「ございます」は付けない。丁寧語ゆえに、お姫様が相手への敬意を表すことばを使うのは変である。
 

天皇の挨拶の仕草

挨拶ことばではないが、挨拶動作としても残っている。

皇居への一般参賀などの場面で、皇居に訪れた人々が左右に手を振るのに対して、天皇は手を振らずに、手を前後にするのが挨拶動作なのである。上皇陛下は、小さく横に振るような動作が見られるが、昭和天皇の映像などを見られる機会があれば、気を付けてみて欲しい。

特殊な世界ではあるが、昭和から平成、そして令和と元号の変わる今、そんな世界もだんだんと変化していくのだろうかとも思う。

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この記事を書いたKLKライター

京ことば研究家
西村 弘滋

 
京ことば研究家
故井之口有一・堀井令以知両氏の「京ことば研究会」で、京ことばとことばの採集方法を学ぶ。京ことばの持つ微妙なニュアンスの面白さを追い続けている。

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