8 御金蔵破りはあったのか?

名城をゆく 通巻22号 二条城 2016年(平成28年)小学館発行 に「二条城御金蔵破り一件」が掲載されている。 下記が概要だ。

1797年(寛政9年)二条城の金塊が盗まれるという事件が起こった。当時、町奉行所では、一度たりとも攻められたことのない城なので、外部からの侵入は考えられず、内部の者の犯行と想定し、調査を行ったが、犯人は見つからなかった。

ある日、番士が巽櫓付近を見回りした時、堀の中から光るものを見つけた。そこで、堀に船を浮かべ調べてみると盗まれた金塊の一部であることが判明し、盗人は外部から堀を渡って侵入したことが明確になった。

その後、町人からの通報で突然羽振りがよくなった職人がいることがわかり、家を調べてみると盗まれた金塊が出てきて御用となった。

白状したところによると、堀をたらいで渡り、石垣を登って、石落しから侵入、金塊を着物に包み、紐にくくりつけて堀に沈め、たらいで堀を渡って紐を手繰り寄せて引き上げる、ということを何度も繰り返したということだった。

二条城が唯一、陥落したのはこの時だけであった。

ちなみに盗んだ金塊は仙台で金子に変えて持ち帰り、遊び放題、贅沢三昧だった。

都では、悪い事すれば、何れはばれて、人生が破綻する戒めとされた。

早速 二条城の事務局に問い合わせたところ、そんな事実や資料はないとの返事。
そんな事があれば、一大事で!記録もあるだろうし、処分もあっただろうし?これは、後世の講談師などが面白おかしく創作したのではないかと? 思っている。
歴史には、根拠となる証拠資料が必要である。 うまい話には裏があるのではないか?

東南巽櫓

東南巽櫓

盗賊がたらいで渡ったのはこの辺か?
話は、出来過ぎで 後世の作り話くさい?

  
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この記事を書いたKLKライター

自称まちの歴史愛好家
橋本 楯夫

 
昭和19年京都市北区生まれ。
理科の中学校教諭として勤めながら、まちの歴史を研究し続ける。
得意分野は「怖い話」。
全国連合退職校長会近畿地区協議会会長。

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