この間といっても秋口であったが、久しぶりに愛宕さんにお詣りした。
体力も落ちていて、どの程度体力があるのかと気にもなっていたので、挑戦というほどたいそうなものではないが、とにかく行こうということで登ってみた。
体力はガタ落ちであった。


千日詣でかける言葉

 愛宕さんといえば、7月31日から8月1にかけて京都の人はお詣りする。
いわゆる千日詣である。この日に詣ると千日分の御利益があるということである。
この千日詣の正式なの詣り方は、午後9時の夕御ヶ祭に登り始め、午前2時の朝御ヶ祭にお詣りをし、そして、御来光を仰いで下山するということである。
昔から「伊勢へ七たび熊野へ三たび愛宕様へは月詣り」と言われていた。
娯楽のなかった昔、伊勢や熊野へは講の代表として、しかし、愛宕は地元ゆえに月詣りとなったのであろう。
この愛宕詣は、3歳までに子どもを連れて詣ると、その子は一生火事にあわないということで、小さな子どももよく登っている。
今年は新型コロナウイルスの関係で、この千日詣は中止となり、7月連休からの分散詣りが奨励された。

子どもの頃、千日詣に行ったとき、下山する人は登る人に「おのぼりやす」、登る人は下山する人に「おくだりやす」と声をかけていた。
私は小さかったので、下山時に、「いしぐるまきー(気)つけや」と声がかかる。
暗さゆえ、靴の下の石が玉石となって足を取られるのが分からず転げるのである。普段はあまり聞かれない「いしぐるま」ということばが夜の山に響く。

 

数日養生すれば治る…ひにちぐすり?

そんな昔を懐かしんでも、ガタ落ちの体力は戻ってこない。
そして何よりコロナ禍では、マスクに熱がこもって熱中症をも気にしなければならない。
老いた身にとっては、いつもの夏ではなかった。
それでなくても、暑さに耐えきれず、冷たいものを飲んだり食べたり、しかも窓を開けのクーラーともなれば、ガンガンに冷やさなければならないので、秋口がとても心配であった。

そして、秋口になると、どっと夏の疲れが出てくるのである。
そんな秋口にけだるさが出て、ちょっと寝込んだりすると、「暑さ疲れやから、ひにちぐすりやな、ちょっとゆっくりしとき」などと言われたりした。
今から思えば、いわゆる熱中症ではなかったかとも思える。
ちょっと数日養生すれば治るような、そんな「ひにちぐすり」ということばには、気をもまずに待つようにという心づかいが込められている。
今ではほとんど聞かれなくなったことばである。今や朝からドリンク剤を飲んで奮闘しなければならない。
しかも今年の夏などは、ひにちぐすりでいいのか新型コロナウイルスか判断がつかなかったであろう。
お年寄りは我慢強く、病院にかかりたくないという人も案外多いように聞いていた。
これからはインフルエンザの季節と重なるので、とりあえず受診を願いたい。


 

無理に無理を重ねて…つかいいため

ところで、ひにちぐすりではすまされない痛みがある。
京都は数々の伝統工芸が息づく町である。以前よりは改善されたかもしれないが、その後継者がなかなか見つからない、育たないということで、無理に無理を重ねて仕事を進めなければならない熟練の職人たちがいる。

それでなくとも年であるのに、とりわけ季節の変わり目などになると、細かい仕事を進める指先や腕や肩、足などに痛みが出てくる。
「もう年も年なんやから、つかいいためやから、ちょっと休まな」と声がかかる。
今でいえば職業病とでもいうのかもしれないが、職人はそんなことは言ってられない。
与えられた仕事をひたすら黙々とこなさなければならない。
誰もが年を取れば自然と出てくる病気を総称しても、「つかいいため」という。
ガタが来たのであるが、機械ではないので、ガタではなく、やはりつかいいためということばにいたわる心が表されている。

 

なむなむする老人たち

そんな人たちももっと年を取っていくと、「なむなむ」ということばを使うようになる。
意味としては、「まずまず、まあまあ」というくらいだろうか。
でも、平々凡々という感じではない。
老人ゆえ、疲れると横になったりしながら、自分の体調を考えながら生活していくことが「なむなむ」なのである。

叔母がこんな挨拶を交わしていたのを覚えている。
「この頃ご主人あんまりお目にかからしまへんけど、お元気にしといやすか」などと尋ねられて、「年も年やし出不精になって、なむなむやってます」などと応えていた。
その叔父の生活といえば、のどが痛ければ、きんかんやみかんを煎じて飲んでいたし、目がかすんできたといえば、ヤツメウナギを煮込んだ味噌を舐めていた。
薬を飲めば、その病には効くが、思わぬところに副作用が出て、今度は次の個所に薬が必要になってくる。

イタチごっこのようなものだが、老いてくるとどことはなしに体の不調を持つものであると割切り、あそこが痛い、ここが痛いなどと言わず、その痛みに合わせて「なむなむ」と日々を過ごす老人は、何か微笑ましい存在である。


じじむさいは、老男性だけに使う言葉ではない?

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この記事を書いたKLKライター

京ことば研究家
西村 弘滋

 
京ことば研究家
故井之口有一・堀井令以知両氏の「京ことば研究会」で、京ことばとことばの採集方法を学ぶ。京ことばの持つ微妙なニュアンスの面白さを追い続けている。

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