今回のお話は京都市内から少し離れた宇治のお話です。
そして私自身が見たことも乗ったこともない鉄道のお話ですが、「伝えたいお話」ですのでおつきあいください。
宇治には平等院をはじめ有名な観光地がありますが、その多くが宇治川にまつわるものです。
その宇治川、宇治橋から小一時間遡ると、大きな天ヶ瀬ダムがあります。
実は天ヶ瀬ダムができるまで、さらに上流に規模の小さな大峰ダムというのがあり、そこから水を取って下流の志津川発電所に送水していました。
この大峰ダムを建設するときに国鉄奈良線(現JR奈良線)の宇治川鉄橋の北側に列車を止めることができる信号場を設け、そこから宇治川右岸(北側)を鉄道で建設資材を運搬しました。
もっとも国鉄の引込線のような本格的な鉄道ではなく線路幅も狭い軽便鉄道のようなものだったようですが、詳しくは分かりません。
その鉄道がダム完成後は、天ヶ瀬以西は撤去されるのですが、大峰ダムと志津川発電所間は資材や作業員の運搬用に残されていました。
ところで戦後も次第に落ち着き、少しずつ人々に余裕が出てくると、いわゆる「物見遊山」を楽しむ人々も出てきました。
そこに目をつけた京阪電鉄はこの大峰ダム~志津川発電所間の作業用の鉄道施設を借用して観光用のトロッコ列車に転用することを計画したのです。
志津川発電所近くの「天ヶ瀬停留所」と大峰ダム近くの「堰堤停留所」間3.6Km、線路の幅は610mm、架線の電圧は600Vというミニ鉄道で、その名も「おとぎ電車」と命名しました。
開業は昭和25(1950)年10月11日、運賃は1乗車40円(のちに50円)でした。
毎年4月から11月の営業で冬場は運休、午前9時半から午後3時半まで運転されました。
「電車」と名付けられましたが、実際は小さな電気機関車が、屋根がテント張りという簡単な構造の客車を引くというものでした。
しかしこれが大当たり。京阪宇治駅からは歩いて「天ヶ瀬停留所」に行かねばならないにもかかわらず、多くの観光客が押し寄せ、乗車待ちの長い列ができた日もあったようです。
また終点の堰堤停留所のそばには「宇治川遊園地」が整備され、子ども用の遊具や売店・休憩所がありました。
このように書くと順調にスタートしたようですが、開業当初はよく脱線したとか。
また鉄道に関する法令に対しては、あくまで遊園地にあるような遊戯電車であるということでクリアしたそうです。
山と宇治川の間のいわゆる崖っぷちを走る区間も少なくない中、そこは鉄道会社、初期のトラブルも克服し、その珍しさと風光明媚な車窓から人気を博したのでしょう。
そして京阪電鉄は昭和30年には線路や施設を約880万円で関西電力から譲り受け、名実ともに「京阪電鉄の鉄道路線」になりました。
また昭和28年には水害や台風によっておとぎ電車の線路が水没し、一部の車両が流されるということがありましたが、地元の強い願い受けて復旧しています。
さらに翌29年には本格的な屋根や窓の付いた7両編成の客車をもう1編成増備し「むかで号」と名付け、従来からのテント屋根の編成は「バンビ号」と名付けられました。
「むかで号」ってちょっとびっくりする名前ですよね。
実はこの新しい客車はタルゴ型といって車両と車両の間に車輪が付いている構造で、カーブに合わせて編成全体がくねくねと動くようになっていたので、そんな名前になりました。
ちょうど路線の真ん中付近にすれ違い線もありましたのでこの2本の列車が行き交うようになりました。
ところで大正15(1926)年に外畑~大峰ダム間の汽船が開業し、「宇治川ライン」と名付けてから琵琶湖~宇治間は観光ルートとして次第に人気が出てきました。
時代とともに乗り物は変わりますが、もっとも多彩な昭和30年頃は次のような乗り物で宇治川ラインが構成されました。
浜大津~石山寺~南郷 汽船またはバス
南郷~外畑 バス
外畑~大峰ダム 汽船
大峰ダム(堰堤)~天ヶ瀬 おとぎ電車
天ヶ瀬~塔の島(平等院) バスまたはプロペラ船
このように多様な乗り物を楽しみながら琵琶湖から宇治まで抜けることができ、連絡切符も発売されるなど、力の入れようがわかります。
なお、プロペラ船というのは水中のスクリューではなく船尾に大きなプロペラを回して風の力で航行するものでこれも人気でしたが、先の昭和28年の台風水害で宇治川の流路が変わって航行できなくなるなどして実質は4か月しか運航されませんでした。
結局、船は琵琶湖に移されてしまい、宇治では復活しませんでした。
そんな中、経済成長とともに電力需要もどんどん増え、先の大峰ダム→志津川発電所のような小さな水力発電は非効率となり、宇治川においてもより大きな水力発電が計画されることになりました。
そこで建設されたのが天ヶ瀬ダムです。
それだけ多くの水を貯え、水位が上がるわけですから天ヶ瀬ダムの上流側にあったおとぎ電車の線路や大峰ダムは新たに水没することになり、おとぎ電車は昭和35(1960)年5月末日、わずか10年あまりで惜しまれながら廃止となっていったのです。
その間、ピーク時には1日28往復 約6000人を運び、年間16万人の利用者があったそうですから大したものです。
旧山陰線の線路跡を活用した嵯峨野観光鉄道(トロッコ列車)は今も人気を集めていますが、その大先輩が宇治のおとぎ電車だったのです。
(2020.12)
たのしい「おとぎ電車」
「コト、コト、ピイッピイー」と汽笛をならし、トンネルを抜け、鉄橋を渡って、お友達の楽しい夢をのせる可愛い「お伽電車」が山峡の美しい景色を縫いながら走ってゐます。この「お伽電車」は米国ウエスチングハウス製の電気機関車に柿色の装飾も美しい七輌連結、宇治川渓谷に汽笛のこだまを響かせながら時速15キロで堰堤から志津川発電所まで延々3.6粁を走る日本一の「お伽電車」です。
大人でも乗れますから御家族連れでどうぞ・・・・。
片道 大人50円 小人20円
昭和28年発行のパンフレットの解説