KLK 片山御子神社(片岡社)は縁結びの絵馬がたくさん奉納されているところですね。とても華やかな印象でした。

田中宮司「『源氏物語』を書いた紫式部もここに何度かお参りに来られています。『源氏物語』の中でも賀茂祭のことが『まつり』として出ています。当時はまつりというと賀茂祭のことでした。
玉依比売命が流れてきた丹塗の矢を拾ったら、賀茂別雷の神様という立派な神を宿されたという当神社の神話を教えてもらったんでしょうか。紫式部はこのような和歌をよみました。

『ほととぎす 声まつほどは 片岡の もりのしずくに たちやぬれまし』
お参りした時に片岡の社というところに来たら不思議な感じを受けた、という前文が書いてあって、ホトトギスが鳴くまで片岡社の裏の片岡の森から落ちてくる朝の雫に濡れながら待っていましょう、という内容です。ホトトギスは5月に来る渡り鳥ですよね。つまりここにいると玉依比売命のご神意を受けて大切な人が来てくれるかな、ということですね。素敵ないい歌です。
紫式部が『源氏物語』を書いたのは1000年も前ですが、その時も今と同じようなこの神社の佇まいがあり、片岡社も同じ場所にありました。私たちもいま同じ場所で思いを馳せることができます。」

KLK 悠久の時を経て、1000年前と同じ場所に立つことができるなんてとてもロマンチックですね。

賀茂社と斎王

ならの小川

ならの小川

KLK 上賀茂神社と斎王の関係についてお聞かせください。

田中宮司「嵯峨天皇が天皇陛下になった頃に争いがありました。それで自分が天皇になったのは大神様のおかげだということで、有智子内親王という未婚の皇女を賀茂社の斎王にされました。伊勢神宮ですでにそういう制度があったので、賀茂社でもはじめることになったんです。
未婚の内親王が斎王になり、400年間で35人の皇女様が勤められました。天皇陛下が代わると次の天皇陛下の皇女に代わったわけですが、皇女がいない場合は前の斎王がそのまま引き継ぐこともありました。」

歌人の斎王 式子内親王

田中宮司「斎王の中には式子(しょくし)内親王もおられました。6歳ぐらいから10年間お勤めされて、お体があまり丈夫じゃなかったので辞められたんです。式子内親王は歌がすごく上手な方で、上賀茂神社に関係したこれらの歌を詠まれました。

『わすれめや あふひを草に ひきむすび かりねののべの 露の曙』
『ほととぎす そのかみやまの旅枕 ほのかたらひし そらぞ忘れぬ』
神様が降りてこられた神山(こうやま)と神社の間に神館(こうだて)があり、賀茂祭が終わったら斎王はそこにひと晩泊まられました。賀茂別雷は男の神様です。その方がいらっしゃって泊まるわけですから、斎王は神様に心も身をも捧げるということになります。

これは、その時に神館で神様と過ごしたことが忘れられないという歌なんです。色っぽいですね。『そのかみやま』とは、『その昔』とも『神山』とも取れます。神様は実際来てくれるわけではありませんが、神様と2人であの森のあの館の中で話し合ったのは忘れられない思いだったな、ということですね。
式子内親王は昔、藤原定家と恋仲だったという説もあります。その想いを混ぜて歌っているのではないかとも感じられますね。和歌にはものすごい意味が込められています。作る人は自分の想いのすべてをその歌に込めて歌っていたのでしょう。

『枕草子』にも『祭のかへさ』がすごく素晴らしいことだと書かれています。神館でひと晩泊まられた斎王様が帰ってくるのを迎えることが都ではすごい行事だったんですよ。なぜかというと、賀茂別雷の神様を宿して帰ってこられるからです。」

KLK ひと晩を神様と一緒に過ごして帰ってくるから、生き神様のような状態になっておられるということですね。

田中宮司「普通の人たちはそんな体験はできないわけで、その女性をお迎えするわけですからね。天皇陛下の皇女さんでどういう方がいるということは知っていても、斎王として賀茂の神様に仕えて帰ってくるのを実際にお迎えできるというのは、都人にとって最高の楽しみだったでしょうね。」

昭和に生まれた斎王代

KLK 現代の斎王代は、斎王とは異なるものなのでしょうか?

田中宮司「賀茂祭は非常に深い色々な意味が込められた祭りです。単なる賑やかな華やかなおまつりではなくて、本当にこの国のために陛下がお祈りし、まさに国全体を挙げての日本のおまつりです。それが本来の賀茂祭なんですね。過去の斎王様や色んな方のお心も積み重なっていっているように思います。
これが1000年前のことで、鎌倉時代に斎王の制度がなくなってしまいました。昭和31年に昔の如くやろうとなった時に、いまさら天皇陛下の皇女様に斎王としてお勤めいただくわけにはいかないので、それじゃあ京都で生まれ育った娘さんになっていただこうと誰かが考えたんでしょうね。
斎王に代わるということで『代』がついて、『斎王代』にお勤めいただいています。勿論いまは昔みたいに神館に泊まるわけじゃなく、おまつりが終わったらすぐ帰られます。

KLK 『斎王代』は斎王の代わりとして勤められていたのですね。知らなかったエピソードもたくさんお聞きできてとても興味深かったです。 百人一首の『玉の緒よ 絶えねば絶えね ながらえば 忍ぶることの よわりもぞする』で有名な式子内親王が、賀茂社の斎王でおられたというのも驚きでした!一般人なので難しいですが、1部や3部も見てみたいものですね。田中宮司、貴重なお話をいただき誠に有難うございました。

賀茂祭と上皇后陛下

今年(2023年5月現在)は、上皇上皇后両陛下が賀茂祭に来られることになりました。
先ほどの話でいうと第1部ですが、今年の賀茂祭は、御所で上皇上皇后両陛下が明治以前と同じ状態で御出発を御覧になられますので、本当に昔のスタイルでできることになります。御所で行列が出てくるところをずっと御覧になるんです。上皇后陛下はとても御覧になりたかったそうだとお聞きしております。
神社にはご名代として勅使が来られるので、陛下は来られないのですけどね。しかし東京ではなく、すぐそばの御所にいらっしゃる。これは素晴らしいことです。
今年は4年ぶりの路頭の儀がございますので、皆さん楽しみにしていてください。私も楽しみですが、誰よりも楽しみにされているのは上皇后陛下かもしれませんね。

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