大雲院に戻りますが、2014年に四条河原町周辺の発掘調査が行われた際、四条寺町にあった大雲院跡も調査対象になりました。すると敷地跡から豊臣秀次の供養塔の一部とみられる石材が見つかったのです。秀吉に謀反の疑いで切腹に追い込まれ、三条河原で処刑後、晒し首にされた秀次の供養塔が出てきたのです。その他にも側室らを供養したとする文献もあったそうです。秀吉にも後ろめたい気持ちがあって、密かに秀次の供養をしたのではないかという説の裏付けになりました。
結果的に大雲院と祇園閣が同じ敷地になったわけですが、織田信長・信忠親子と石川五右衛門の三人も、この祇園閣を見上げているのでしょうか。

参考文献
大盗賊石川五右衛門 長尾剛著・汐文社
真説石川五右衛 檀一雄著・六興出版
明治を食いつくした男 大倉喜八郎 岡田和裕著・産経新聞出版
怪物商人 江上剛著・PHP研究所
大倉喜八郎の豪快なる生涯 砂川幸雄著・草思社
洛東柳池山大雲院祇園閣 井筒肇編 柳池山大雲院
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この記事を書いたKLKライター

KBS京都 常勤監査役
今川 博明


京都市左京区出身。
歴史に興味をもち、関西大学文学部史学科を卒業。
KBS京都(京都放送)に入社、現在は常勤監査役。
京都の史跡を多くの方に伝えたくて、京都史跡ガイドボランティア協会員として活動中。

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