「令和五年祇園祭対談 八坂神社宮司 野村明義氏×祇園祭山鉾連合会理事長  木村幾次郎氏」 【第3部】八坂神社と山鉾

2023年の祇園祭にむけての夢の対談!八坂神社の野村明義宮司と公益財団法人祇園祭山鉾連合会の木村幾次郎理事長にそれぞれのお立場から「祇園祭とは何ぞや」を語っていただきます。

第2部では「祇園祭にまつわる難儀」をテーマにお話を伺いました。未読の方はぜひ下記からお読みください。

▶︎【前回の記事】「令和五年祇園祭対談 八坂神社宮司 野村明義氏×祇園祭山鉾連合会理事長  木村幾次郎氏」 【第1部】4年ぶりに完全斎行する祇園祭に思う

▶︎【前回の記事】「令和五年祇園祭対談 八坂神社宮司 野村明義氏×祇園祭山鉾連合会理事長  木村幾次郎氏」 【第2部】祇園祭にまつわる難儀

結びとなる第3部のテーマは「八坂神社と山鉾」についてです。
聞き手は八坂神社中御座三若神輿会の役員でもあるKyoto Love. Kyoto(以下KLK)編集長の吉川忠男が務めます。この対談はあえて話し言葉のまま掲載しております。対談の雰囲気も合わせてぜひお楽しみください。

八坂神社の祇園祭

KLK 第2部で木村理事長に「昭和の高度成長期は祭は二の次の風潮だった」と当時の危機感を語っていただきました。「観光か信仰か」で揺れた昭和の合同巡行のことも振り返りながら八坂神社にとっての祇園祭の意味を野村宮司に聞いてみたいですね。

野村宮司「祭を継承していきたいというのは、誰も同じでございまして、ただ社会的にも観光的にも構成的にも色々な変化がこれから先起こってくる中で、その祭をどういうふうにして伝え残していくかということですよね。
それが変な方向にいってしまうと、もともと発想した段階の祭の目的が変えられてしまうということにもなりかねません。山鉾巡行が合同巡行になったことがありました。前祭・後祭として復活しましたけれども、元に戻そうと思った時は大変な苦労がいるわけで、じゃあなんで合同巡行になったかというそれは行政の都合であったりします。観光を期待して、多くの方にご覧いただくためには大きな通りを通さなきゃいけない、時計回りを反時計回りにしなきゃいけないという祭の変更が行われるわけですね。そういう時に当時の宮司や氏子の人たちは反対したわけです。そんなことをすると疫病は鎮まらなくなるよということで反対したんですけど、でも行政の指示に従わざるを得なくて。
一旦長いものにまかれましょうということでまかれたわけですけれども、それが平成26年に後祭が復活して今に至っていると、今後これがまたどう変更されるかそれは分かりませんが、多くの方に見ていただいて、祭を理解していただくということは非常に大切なことなので、祭の意味を知っていただく。
本当の祭の根本的な原点、なんでこんな祭をしているのかということを忘れたまま変更されると、元に戻す時に戻せなくなるので、その辺をしっかりと神社は間違いのない方向に行くように、たとえ曲がったとしてもそれがいつか戻せられるようにしておきたいな、というのが大事です。

山鉾巡行

祇園祭の通説ってホント?

KLK 第2部での木村理事長のお話、そして今の野村宮司のお話を伺って、神社と連合会それぞれの当時の思いの違いやそれぞれの苦悩がよくわかりました。 ところで木村理事長は祇園祭中にもきゅうりを食べられるという噂を聞いたのですがそれはその通りでいらっしゃいますか?

木村理事長「いや、私が子供の頃にきゅうりを食べたらいけないという話は全くなかったんですよ。八坂神社のご神紋に遠慮してと言うけど、反対に遠慮するぐらいだったら食べて力をもらわないと意味がないのと違いますでしょうか。なんで遠慮するのかなと思っています。祇園祭の時季に一番いいきゅうりという夏の野菜を遠慮して食べたらあかんというのは、ちょっと考えられへん発想やなと、なんでこんな発想ができたのかなと。祇園祭というのは、神様の力をもらってその力で疫病退散もあり、それからいろんな1年の厄除けを祈念するということだと思いますんでね。だから、遠慮するとか、食べたらあかんとかいう話は、私にとってはこれはおかしいんですよ。

八坂神社の神紋「唐花木瓜紋」
山鉾連合会の木村幾次郎理事長
KLK なるほど、ごもっともなお答えをいただき有難うございました。 さて、野村宮司に前回お話をお聞かせいただいたときに、疫神を山鉾に集めて巡行の後すぐ解体をして疫神を蔵に閉じ込めてしまう。そして、また山鉾を建てる時に、1年後に残った厄が蔵から出てくるんじゃないかみたいな話をされてましたよね。

野村宮司「山鉾が疫神を集めるという解釈がどこから出てきたかいつの時代か分かりませんけど、山鉾が巡るようになってからでしょうね。祇園囃子で疫神を楽しませて山鉾で集めて回って、自分の町内に帰ってきてすぐに解体する。解体したのを、蔵に閉じ込める疫神も一緒に閉じ込めてしまう。また来年、蔵が開いたら、また疫神が出てくるじゃないですか。そういうことが物理的に考えられるのかどうかですが、そんなことが起こったとしても、祇園祭で疫病は鎮まるのかなあという私の思いです。」

八坂神社と山鉾連合会

KLK 山鉾が鉾頭や真松に疫神を集めてお清めをされているという通説を覆す新説が野村宮司から出ましたね(驚) では木村理事長にとっての八坂大神(ヤサカノオオカミ)様とはどのような存在なのでしょうか?

木村理事長「私は氏子なので、八坂大神様を『祇園さん』と言うんですけども、祇園さんに守られているんだなという。安心感というか、そういうふうなものは常にごろから持っています。私は生まれてからずっとこの氏子の中で育ったものですから、春になると『お千度』(※1)という形で、この八坂神社に町内の人こぞってお参りする。神社の周りをぐるぐるとお千度の札を持って回り、そういうふうなことで、子供の頃から八坂神社(祇園さん)とはいろんな形で精神性でつながっている。いろんな形で祇園さんには助けてもらっているし、これが一つの大きな自分自身の支えだろうなと思ってはいます。」

KLK 祇園さんの氏子の祭りだから祇園祭ですものね。その祇園祭における山鉾と神社の祭事との関係を野村宮司はどうお考えですか?

野村宮司「なぜ鉾が建って八坂神社が必要だったかという。そういう記録は残されていないので、それが時代によって変化したり、そこによって何で変化したとか、そういう記録もないので、いろんな考え方が出てきてよろしいかと思います。
山鉾っていうのは都の中の風水を整える、空気中の水の分子を正常化させるという働きで時計回りに回るという神輿のコースとは違う別の役割があると考えております。一方で神社の神輿には何の意味があるかというと、八坂神社の本殿の下には龍穴があるという構造になっているわけなんです。龍穴は記録によりますと50丈なお底なしとなっていますから、150m以上というそういう深さがある井戸ですよね。

それが神泉苑をはじめ都の水脈と全部つながっているという考え方にもなります。そうした水の井戸の上に神さんが祀られて、常に洛外で水の浄化のために神さんを祀っている。
それを祇園祭のとき、水無月の満月に合わせて都の水をもっと浄化していただくために神さんを都の真ん中へお連れする。その当時の御旅所には井戸があって、井戸の上に神輿を据えていたという。
構造的に同じなので、神輿の役目というのは水を浄化するという意味合いで、神さんを直接都へ持っていくことに意味があり、山鉾巡行は、都の中の風水の気を整えるというのが役目で、私は山鉾と神輿はそれぞれが、空気と水を浄化するための祭行事だというふうに考えています。

八坂神社の野村明義宮司
KLK 都の水と空気を浄化しているのが山鉾であるというお考えですね。なのに今回はなかなか疫病が鎮まらなかったですが。

野村宮司「神様がないがしろになってしまうと、祭をやることが目的になってしまうんですよ。疫病を鎮めることが本来目的なんですけれども、祭優先になってしまうと神様がないがしろになって、例えばちまきをネットで転売するとか、そういうことにもなっているので、私は、祇園祭1150年の令和元年に、疫病が流行ったのは、神様が祭を止めたというふうにも考えられると思うんですよ。だからいっぺんリセットしましょうよ、と、それ以上続けると大変なことになるよという。」

KLK 祭そのものが目的化してはいけないと。町内や地域、人と人を繋ぐことも祭りの役割だと思いますがいかがでしょうか。

野村宮司「祭の機能としてそういう町内地域を活性化させるという効果もあります。当然それは地域を復興させる人々の心をつなぐための祭。いろんな人が集まって一つのことをやるわけなんです。それは非常に大事なことなんですけど、その中心には神さんがいらっしゃるので、それが何もないと単なるイベントになってしまう。いろんな形に変わると思います。
逆に、祭の中心には神様がいらっしゃることが前提にあれば、豪華絢爛に変化していく、それでもっていろんな文化をまた生み出していくというのはあっていいことだと思います。」

KLK なるほど。神事を第一とする八坂神社と、あれだけの大きなもの(山鉾)を伝承していくことを常に考えねばならない連合会との立ち位置の違いは確かにありそうですね。

祇園祭と鉦(かね)の音

KLK 昨年の7月10日の神輿洗の時に木村理事長が境内にお越しいただいてまして、その時に中御座の鐶(カン※2)の音を聞きになって、たまたまご挨拶に寄せられた時に「吉川さん、中御座のお神輿さんの鐶の音はこんな音でしたかいな。」とおっしゃって、私はすごいショックだったんです。 確かにあの日の中御座の神輿には東御座の轅(ナガエ※3)と鳴鐶(ナリカン※2)がついていて、担ぎ手も四若の担ぎ手なんで鳴らし方も違いますからもちろん音も違うんですけどね。それを山鉾の理事長さんが聞き分けられたというのは私はもうすごい驚きで、かなりのお神輿フリークでないと分からないようなことがさすが、ずっと長刀鉾で囃子方としてやってこられた。その何十年かの音感というのかなんていうのか、もう私恐ろしいものを感じたんですよ。
神輿洗

木村理事長「いやいやいや、何がどうかは分からないんです。けども祇園囃子なんかでも長々やってると、長刀の鉦(かね)と函谷の鉦とはちょっと違うなっていうのはやっぱ分かるんですよね。
鉦はええとか、悪いとかでなく、こうあの一つの気持ちの中で、私自身があ〜ええ音色やなあっていうのはね。聞いてきた経験の中でそれはありますんでね。子どもが打つ鉦の音っていうのはね。私は現場演出の中でも一番大事なことやなと考えてるんです。だから今の鉦方には鉦をきちっと合わすのと同時に、いい音色で、鉦を打つっていうことは、これは大事だな、と。そのことを今、お囃子の中では伝えたいなという気持ちを言いますんで。

だからあの鳴鐶(なりかん)の音でもなんとなしに聞いててもちょっと違うなっていうことは、ちょっと下手なところで引っかかるとかあるんでね。私は今60年祇園祭やってますけど、この鉦の音っていうのが祇園祭の中では非常に特徴的な意味を持っていると思っているんです。そういう意味においては、あの鳴鐶の鉦もこうなんか、神社関係の中でも鈴とかそういう風なものは、精神性において意味があるんでしょうね。」

お囃子

野村宮司「神社の鈴は主にお祓いですね。空間を浄化するというか、そういう音色っていうか。鉦っていうのは音と同じようにコンコンチキンに叩くことによって空気中の鉦の波動を起こすわけですよ。そういうことによって水の分子を浄化していくというか、そういう役目が祇園祭にあると私は思っているんです。だからブラスバンドや吹奏楽ではダメなんですよ。コンコンチキンじゃないとダメなんです。

祇園祭っていうのは鉦をちゃんと聞かせるための太鼓であり、笛であると思っているので、鉦が主たるもの、そこに太鼓が加わるんでしょう。太鼓はなんで太鼓かっていうこともあるんですよ。
この鉦と太鼓っていうのは化学変化を起こす音の音源なんですよ。両方ないと化学変化は起きない。神仏習合時代はそれだから疫病を鎮められていた。だから鉦と太鼓があっての疫病神事としての音楽なんですよ、芸能。それに笛が龍神を呼ぶというそういう役目があっての笛の芸能なんで、そういう風に疫病を鎮めるための演奏行事っていうんですか。音楽効果だと私は思ってます。」

後世に残したい祇園祭

KLK それでは最後にお二人が100年後まで残したい祇園祭についてお聞かせください。

木村理事長「祇園祭っていうのは、周りがどうあろうとこの鉾の形はこれなんだという形を残していきたいというのとは反対に、祭が脚光を浴びるとい色々な新しいものが入ってくるんですよね。これがなかなか難しいなと。新しいものを取り込んでいくことも大事なんですけど、この祇園祭はなぜ人々に愛されるのかを十分に認識して次の世代に送りたい。何でもありになってしまうと、これは人々の気持ちが離れていくのではないでしょうか。

最高の文化を継承していくのが大事なことであって、ある日突然その山鉾の懸装品が何かわけのわからんものになってしまったりとか、そういうふうなことにならないように、これからいろんな形で最高のものを残していく。そういうことが大事なことになっていくんだろうなと思いますけどね。これから材料がなくなっていく、それからそれを伝える技術がなくなっていく、ということは職人がいなくなっていく。そういうふうな意味においては、これからの祇園祭というのはいかに同じ形だと言われても、それを伝えていくのが非常に難しくなっていくんだろうなと思います。

一番端的なのはこのごろ「藁」がないと言われるんですけど、そういうふうに今まで普通にあったものが急になくなっていってしまうことを考えることも、これからの新しい時代をつくっていくにおいては大事なことだろうなと。あの縄がある日突然ビニールになったりしたら、ちょっとこれでいいのかな、ということになると思うので、そういうふうなこともこれから育てて、守っていかんならん部分もあるでしょう。

何でも新しくなったらいいというものでもないという、これからそういう選択をしていかんならん部分が非常に多くなるんだろうなと思うのが難しい。ご町内ではその個々の考え方が色々ありますから、それに対してはある種これだけは守ってや、というようなものを我々はきちっとつくっていかんといかんなとは思ってます。」

野村宮司「根本的なものは後世に残していかなければなりませんよね。何が入り込んでくるかわからない中で何を選択していくかというのは大事なことだと思います。信仰からこういった祭の形が生まれてきたので、それが神輿、あるいは山鉾巡行です。
人間にとって、水と空気というのは生きていくために最も必要なものです。これが澱むと大変なことになるので、水を浄化すること、そして空気を浄化すること、これが基本です。水と空気はただです。ただほど怖いものがないというぐらいこれを失ったら人間は生きていけないんです。神様の力をいただいて浄化をしていくというその根本的な考え方の中で祇園祭が生まれて様々な神事行事が生まれてきたというふうに考えます。

だからその精神的なものがなくなってしまうと、祇園祭が本当にパレードというかイベントになってしまうので、それだけは大事にしていきたいなと、将来的につなげていくためにですね。水の浄化という考え方はSDGsにもつながり、世界に発信していきたい日本の祭の文化だと思っています。

取材後、本殿前で談笑する木村理事長と野村宮司
KLK 昭和が始まってからの100年と、令和のこれからの100年では、明らかにこれからの100年の方が同じ形で祇園祭を残すことが難しそうですね。 新しく入ってくるものもたくさんあるだろう中で何を守って何を変えてゆくのか。1154年間脈々と繋がれてきた祇園祭の心と技と知恵が今まさに試されようとしているのかもしれません。4年振りに完全斎行される今年の祇園祭を楽しみにしたいと思います。本日は誠にありがとうございました。

※1 お千度 氏子が町内の大勢で八坂神社に参拝を千度の参拝をすること、町内によっては3周の合計で千回分とみなしている。
※2 鐶(カン)神輿を担ぐ棒につける金具のこと。鳴鐶(ナリカン)も同じ。
※3 轅(ナガエ) 神輿を担ぐために取り付けられる大棒。

対談写真撮影:今村写真場

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この記事を書いたライター

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