【京のまつり文化】京都ハレトケ学会
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京都には多くの観光客を惹きつけてやまない数々の祭りがあるが、ほとんど知られていない"まつり"もある。
神事や祭礼が一般的な"祭り"を指すとすれば、僕の考える"まつり"は神仏を問わず「古くからの習わしに敬意を表すこと」だ。
京都はその長い歴史ゆえか、町名の由来ともなった"宝物"の伝わる町があって、年に一度、それを取り出して飾るまつりがある。この宝物は、有志による"講"によって一年間の回り持ちで管理されており、厨子に入った神像や仏像であったり、書画の掛け軸であったり、いわくのある石や道具のかけらであったりもする。氏神さんの剣鉾(神輿の渡御を先導する剣状の鉾頭)を預かる講もある。
このまつりのスタイル、どこかで見覚えや聞き覚えはないだろうか? それは地蔵盆である。
地蔵盆は京都のいたる所で行われている行事であり、8月24日前後に町内の祠からお地蔵さんを取り出して、家やガレージなどにお迎えしてお供えをする。こういった地蔵盆とほぼ同じスタイルで講のまつりがある。お地蔵さんの代わりに宝物をまつる、と考えてもらうとよいだろう。お地蔵さんも宝物も先人から伝わる"大切なもの"という点では変わらない。
ここで気になるのは、この宝物は神さまなのか仏さまなのか?ということだ。明らかに仏教にまつわるものでなければ、おおむね神式でまつりされている。神職さんやお坊さんを招かれるところもあれば、そうでないところもある。山伏さんが来られることも京都では珍しくない。
まつりの日はその宝物の来歴によるが、神式の場合は11月にお火焚祭として、仏式の場合はお薬師さんなら8日・弁天さんなら巳の日…といった縁日に行なわれることが多いようだ(近年は本来の日に近い土日に行なわれることが増えている)。
こうした講のまつりは、あえて公開されることもなく、京都に住んでつぶさに見て歩かないと分からない。僕は移住して間もない頃、『京都古習志』という本に出会って講のまつりを知った。
『京都古習志』は、国学者の家系に生まれた井上頼寿(1900~1979)が教員の傍ら、大正末~昭和初期の京都をくまなく歩き、地域の講や宮座に伝わる話や古い習わしを記録したものである。古老に聞いた話は明治以前にも遡り、その記述は詳細をきわめる。大部分が京都の事例だが、滋賀や奈良などの隣接地域も一部含まれる。400頁足らずの分量ながら圧倒的な情報量であり、これほど頁をめくる手が止まる本も珍しい。
宮座というのは、氏神さんの年中行事をつかさどる古い組織である。役割による序列がたいへん厳しく、座に入るための儀式もあった。その中から一年間、中心となって神さまのお世話をする神主(宮守・當屋とも)が選ばれ、神主には厳しい精進潔斎が要求された。この役割は今でこそ宮司(神職)さんに任されるようになったが、かつては御神体の入った箱を家に預かり家族も立ち入れない部屋を設けたり、集落外への出かけることが禁じられたり、自費で直会(祭礼後の宴会)を催したりと、驚くべきしきたりも数多く記されている。
『古習志』の初版は昭和15年(1940)に刊行されている。約80年が過ぎた今、講や宮座はどうなっているのだろうか?
素朴な疑問から現地に足を運び調べていくうち、それが簡素化されつつも、いまだおもかげを残していることに僕は夢中になる。町外には見せたことがないという大黒さんを拝見したり、元旦未明の神事を見るため宮座の人たちとともに年を越したり、小正月の夜に一年の吉凶を占うおみくじ(江戸時代からの全戸主の結果が残る)に参加させてもらったり、と貴重な体験も数知れない。『古習志』に記されない事例も多く、まつりの数だけ語り継がれる物語があった。
10年ばかり見聞を重ねて、祇園祭や鞍馬の火祭といった大きな祭りも講のまつりの集合体ではないか、と感じるようになった。山鉾の御神体や懸装品が会所に飾られる宵山や、火祭の当日に仲間ごとに伝わる剣鉾・曳綱・鎧といった祭具が家に飾られる様子は講のまつりそのものだ。葵祭や時代祭にはこうしたまつりはなく、また成立が異なることが分かる。
けれど、井上頼寿は『古習志』の中で「總て聞いた儘、見た儘を記し決して『さかしら』を加へぬ事とした」と記し、ともすれば地元の言い伝えの解釈を変えたり他所から補ったりする研究の在り方に警鐘を鳴らしている。さかしらは”自分の考え”を指すと思われるが、利口ぶる・物知りぶるといった意味もあり、謙遜を超えたものを感じる。これは我々に対する戒めでもある。
井上頼寿の遺した『志』をたどることは旅でもある。遠方に求めずとも、京都にはまだ驚きと発見が残されている。無口な相棒とともに、僕は京都の旅を続けている。
編集部VIEW!
観光行事となったひと握りの「まつり」ではなく、地域に受け継がれた「まつり」を追う筆者の旅。
次回はどこに連れて行ってくれるのでしょうか。
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