京都ハレトケ学会 第2回『百年前の宝探し(前編)』

【京のまつり文化】京都ハレトケ学会

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 宝船図をご存じだろうか。京都においては2月3日の節分の夜を"年越し"といい、宝船の版画を枕の下に敷いて寝ると縁起のいい初夢を見られる、といわれている。

 様々な図様があるが、たいていは帆をふくらませた左向きの入船に米俵や宝珠・金袋・打出小槌・隠れ蓑・隠れ笠・鍵・丁子といった七宝が積まれており、鯛・海老・熨斗・長柄杓子・小松・百足などの縁起物も描かれている。また「なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな」という回文歌が記され、悪夢を祓うという"獏"の字が帆に描かれることもある。

 五條天神社(下京区松原通西洞院西入)では節分に限り、稲穂を乗せた舟を描く古様の宝船図が授与されることが有名である。しかし、実はそれだけではない。

 宝船図の起源は不明ながら、田中来蘇(1865-1934)や若原史明(1895-1949?)らの研究によって、古くから宮中や将軍家などで節分の夜、"御舟絵"を絵師に描かせ用いていたことが明らかにされている。

 慶長年間(1596~1615)の『澤巽阿弥覚書』には、天文17年(1548)、室町幕府13代将軍・足利義輝が二条・妙光寺(現在は右京区宇多野に再興)の仮宿にありながら節分の御舟絵を描くように命じた、という逸話が記されている。「彼節分の御舟図、相阿むかしゑつ有、それにて調申候事も候し」とあって、同朋衆の一人であった絵師・相阿弥の描いた絵を手本とし、模写して用いることが習わしだったようである。「公方様と御台様ハ大引合、御舟二ツ。又、御造子御所々々様へ小引。上臈中臈御末女まてハ。杉原に入」と、位によって用紙が違った点も興味深い。

 また江戸後期の『橘窓自語』には、「節分の夜に、内裏宿直のものに給ふ宝船の画は、花園実久朝臣模写、後陽成天皇宸翰にて、絵文字とも宸刻なり。(中略)たから船の版木は、万治の火事にやけたりしを、京極殿にありしをもて翻刻せられたりしが、いまつたへる版木なり」とあり、節分の夜に宮中の夜警にあたる者にも宝船の版画が与えられたことが分かるとともに後陽成天皇が親ら("獏"の字を)刻まれたという版木があったことも分かる。

 この宝船図、どのように民衆に普及したのだろうか。

 江戸後期の『守貞謾稿』には、「正月二日 今夜、宝船の絵を枕下にしきて寝るなり。今世、禁裡に用ひ玉ふは舟に米俵を積むの図なり。民間に売る者は七福神或は宝尽し等を画く。京坂は近世衰退す。江戸は今も専ら元日二日の宵に小民之売巡る。宝船の印紙に道中双六の印紙を兼ね売る」と記されている。

 江戸では正月2日に見る夢が初夢だと考えられており、"宝舟売"といって双六とともに宝船の版図を売り歩く者が年末から元旦の風物詩であったようだ。一方、京阪においては衰退したとあるが、『好色一代男』の大原雑魚寝で知られる「一夜の枕物ぐるひ」の前段に「二日は越年にて、或人鞍馬山に誘はれて、一はらといふ、野を行ば、厄はらひの声、夢違いの獏の札、宝舟売など、鰯柊をさして、鬼打豆、宵より扉をしめて…」という描写がある。”一はら”は、鞍馬寺への参詣路でもある市原村(現在の左京区静市市原町)だと考えられ、文学作品なれど、当時の様子を映すものとみてよいだろう。

 冒頭に挙げた五條天神社については、『都名所図会』に「節分には白朮小餅宝船を禁裏に上る」とみえ、『橘窓自語』に「五条天神の神霊は、金のたから船なるよし(中略)例年大晦日節分に、たから船の画を出せるを、人々請受て守とするをおもへば、御神の御影の心にや有らん」とあることから、江戸後期にはすでに宝船図を頒つことで有名だったことが分かる。

 けれど、明治維新を迎えて様相は一変する。江戸期の宝舟売は消え、東京において宝船図は忘れられていく。一方、京都ではいくつかの社寺で頒つ習わしが残っていたようだ。そこにコレクションとしての価値を見出したのが明治末期に登場する郷土史家たちだった。(続く)

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この記事を書いたライター

京都ハレトケ学会 主宰。
京都六斎念仏保存団体連合会・京都中堂寺六斎会 会長付/公式カメラマン。

2006年に滋賀から京都市へ移住したことをきっかけにまつりの撮影を始める。
会社勤めのかたわら、ライフワークとして郷土史家の事績をたどっている。

作品展示
2014年 『中堂寺六斎念仏』展 京都市伏見青少年活動センター
2015年 『都の六斎念仏』展 京都府庁旧本館
2016年 惟喬親王1120年御遠忌・協賛展示『親王伝』 京都大原学院
2017年 『京のまつり文化』展 綾小路ギャラリー武
2018年 『京のまつり文化』展 ごはん処矢尾定
2019年 『続・京のまつり文化』展 ごはん処矢尾定

|京都ハレトケ学会 主宰|宝船図/桜/桂離宮/祇園祭/御大礼