大正12,13年(1924)『郷土趣味』第50号
「愈々悪い傾向で、宝船らしくない宝船計りが出るようになつて、発行所も増加すれば、新版も続々出る、枚数が増す計り蒐集家は益々困る...」

大正14年(1925)『郷土趣味』第56号
「現今の宝船は何等研究の価値がないが...」

 時代が昭和に入ると、宝船図の記録は激減する。これはおそらく大正天皇の崩御に伴う諒闇中の自粛、昭和6年(1931)の満州事変、京阪神が大きな被害を受けた昭和9年(1934)の室戸台風、そして昭和12年(1937)からの日中戦争の勃発といった世相の影響が大きいのだろう。

 戦後、蒐集家によるコレクションの展示や出版がいくつかあったが、宝船図は過去のものとして整理されていた。以上が大正から昭和にかけての宝船図ブームの概要である。

 昨年末、宝船図の歴史に興味を抱いた僕は、田中緑紅の記事を改めて読み直し、ふと疑問を抱いた。百年前の宝船図は本当に全て廃れたのだろうか。

 今年(2018)の元旦から節分にかけて、大正時代の文献をもとに京都市内81箇所の社寺をめぐる調査を行った。調査日は計5日間、調査範囲は京都市内全域に及ぶため6つのエリアに分けることにした。時間は社寺の開門から日没まで。可能な限り自転車を駆使したが、今や場所を尋ねなければ分からないところもあって、一日平均2万歩を歩く羽目になった。

 結果、以下の27箇所の社寺で合計38種類の宝船図を入手した。
市比賣神社、今宮神社、雨宝院、梅宮大社、御辰稲荷神社、御霊神社(上御霊神社)、貴船神社、護王神社、御香宮神社、五條天神社、西院春日神社、慈斎院(天龍寺塔頭)賀茂御祖神社(下鴨神社)、下御霊神社、白雲神社、神泉苑、赤山禅院、千本ゑんま堂(引接寺)、大将軍八神社、大福寺、武信稲荷神社、蛸薬師堂(永福寺)、天道神社、錦天満宮、満足稲荷神社、吉田神社、若宮八幡宮(陶器神社)

※神泉苑・千本ゑんま堂(引接寺)・天道神社は、宝船図でなく御札として授与されている。
※当時の図柄が色紙などに転用されている場合は、本来の宝船図の用に供しないため割愛した。

限定授与などもあり、調査期間の関係上、全ての社寺を網羅できていないことはご容赦いただきたい。

 手摺りが印刷に変わったり、判型も御札やA4サイズになったりしていたが、百年前の記事に掲載されたものが今も授与されていることに感動を覚える。調査の中で全く忘れ去られているところもあれば、数年前に授与を止めたというところもあった。特に手摺りのものは手間もかかるし、版木も年々傷んでくるだろう。今年あったものが来年もあるとは限らない。

 今こうして長文に筆を尽くすのは、百年前の人々があれほどこだわった風雅な文化を知っていただくためである。当時の作品は大部分が図柄も分からなくなっており、回顧展でお目にかかることもない。画家の余技とはいえ、記憶からも失われてしまうには惜しいものである。今後も”宝探し”を続けて、情報を発信して行きたい。

 調査を終えた節分の夜、入手した宝船図を丁寧に重ね、枕の下に敷いて眠りについてみた。未明に38艘の船団が押し寄せひしめき合う夢をみて、船酔いしそうになって目が覚めた。その後、僕の暮らし向きが変わったかについてはご想像にお任せしよう。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」であることは、百年前も今も同じである。

◇参考文献◇

秋里籬島(1760)『都名所図会』巻2、平安京都都名所図会データべース、国際日本文化研究センター
橋本経亮(1809)『橘窓自語』巻1、日本随筆大成 第I期4、吉川弘文館
喜多村信節(1830)『嬉遊笑覧』巻8、日本随筆大成 別巻 嬉遊笑覧3、吉川弘文館
喜田川季荘編(1837~1867?)『守貞謾稿』巻26、『近世風俗志-守貞謾稿(1)』、岩波文庫
平安徳義会(1917)『徳義』大正6年2月号
田中来蘇(1918)「宝船(1)~(5)」『郷土趣味』第1~5号、郷土趣味社
明石染人(1918)「「宝船」の真意義」『郷土趣味』第2号、郷土趣味社
井上和雄(1918)『宝船集』伊勢辰商店
田中俊次(1919)「京都と宝船」『郷土趣味』第11号、郷土趣味社
猪熊信男(1920)「宝船の起源に就て(上)」『郷土趣味』第19号、郷土趣味社
猪熊信男(1920)「宝船の起源に就て(下)」『郷土趣味』第20号、郷土趣味社
田中俊次(1920)「宝船-大正九年度発行」『郷土趣味』第17号、郷土趣味社
田中俊次(1921)「新らしい宝船(大正十年度)」『郷土趣味』第24号、郷土趣味社
田中俊次(1922)「本年の宝船(大正十一年度)」『郷土趣味』第29号、郷土趣味社
田中緑紅(1922)『宝船小話』郷土趣味社
若原史明(1923)「宝船の沿革(1)~(6)」『風俗研究』第31~36号、風俗研究会
田中俊次(1924)「新らしい宝船(大正十二、十三年度)」『郷土趣味』第50号、郷土趣味社
田中俊次(1925)「珍らしい宝船」『郷土趣味』第56号、郷土趣味社
塙保己一編(1925)「澤巽阿弥覚書」『続群書類従』第24集 下 武家部、続群書類従完成会
吉川観方(1930)『多加良富年』京都精版印刷社
田中緑紅(1959)『如月の京都』緑紅叢書 第22集、京を語る会
田中泰彦(1969)『田中緑紅と京都伝説』京を語る会
江馬務(1978)『京阪神の年中行事』宝書房
文献資料蒐集研究所編(1978)『宝船百態』村田書店
太田豊人/古本如洋(1981)『百宝船』幻想社
浅野晃(1999)『新編西鶴全集』第一巻・本文篇、勉誠出版
村上忠喜(2004)「京町家のオモテ・ウラ、そしてオク」京都映像資料研究会編『古写真で語る京都』、淡交社

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この記事を書いたKLKライター

京都ハレトケ学会 主宰
中野 貴広


京都ハレトケ学会 主宰。
京都六斎念仏保存団体連合会・京都中堂寺六斎会 会長付/公式カメラマン。

2006年に滋賀から京都市へ移住したことをきっかけにまつりの撮影を始める。
会社勤めのかたわら、ライフワークとして郷土史家の事績をたどっている。

作品展示
2014年 『中堂寺六斎念仏』展 京都市伏見青少年活動センター
2015年 『都の六斎念仏』展 京都府庁旧本館
2016年 惟喬親王1120年御遠忌・協賛展示『親王伝』 京都大原学院
2017年 『京のまつり文化』展 綾小路ギャラリー武
2018年 『京のまつり文化』展 ごはん処矢尾定
2019年 『続・京のまつり文化』展 ごはん処矢尾定

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京都ハレトケ学会 主宰。
京都六斎念仏保存団体連合会・京都中堂寺六斎会 会長付/公式カメラマン。

2006年に滋賀から京都市へ移住したことをきっかけにまつりの撮影を始める。
会社勤めのかたわら、ライフワークとして郷土史家の事績をたどっている。

作品展示
2014年 『中堂寺六斎念仏』展 京都市伏見青少年活動センター
2015年 『都の六斎念仏』展 京都府庁旧本館
2016年 惟喬親王1120年御遠忌・協賛展示『親王伝』 京都大原学院
2017年 『京のまつり文化』展 綾小路ギャラリー武
2018年 『京のまつり文化』展 ごはん処矢尾定
2019年 『続・京のまつり文化』展 ごはん処矢尾定

|京都ハレトケ学会 主宰|宝船図/桜/桂離宮/祇園祭/御大礼

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