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はじめに
他府県で講演した折「京都府立植物園(以下「植物園」)の名前は知っているがどこにあるのかよくわからない」、といった言葉をよく聞いた。「知名度は低い、打って出るPRが必要だ」、と気を引き締めたことを覚えている。
植物園によくご来園いただく方にもその存在をほとんど知られていないのが「半木神社」。北西部に鎮座する植物園の守り神様であるにもかかわらず、だ。
今年、有料開園97年目を迎えた植物園。節目となる100周年を目前にして今の私にできることと言えば、資料としてほとんど残っていない植物園激動の歴史を伝えることか。
「中賀茂橋」の存在や存続の危機が二度あったほか、私の薄れゆく記憶の中からではあるが、回顧録的になることをお許しいただき、在職中に経験したことも伝えていければ、と思っている。
天皇皇后両陛下が植物園に!
平成21年11月19日、天皇皇后両陛下(現在、上皇上皇后)の行幸啓を賜り、植物園にとって歴史上もっとも輝かしい一日となった。
観覧温室内熱帯植物の多くをご案内する光栄に浴したが、温室内の特別展示室にて、植物園の所在場所をご説明申し上げた。「西に金閣寺、北に上賀茂神社、東に銀閣寺、南に下鴨神社。植物園は世界遺産の四つの社寺仏閣に囲まれたほぼ中心にあります。東方向には比叡山がそびえ、園内から見るその姿はNo.1ビューポイントです」。
私にとっても生涯忘れ得ぬ、大感激の約一時間だった。
植物園約百年の歴史をひも解く資料は、公的なものとして、昭和34年3月、昭和36年8月に京都府企画管理部が発行した「京都府立植物園誌(第一集)(第二集)」1)と、駒敏郎(1925-2005)が府政だより資料版⦅No.185(昭和46年5月1日)~No.197(昭和47年5月1日))に連載した「花と緑の記録-府立植物園の五十年-」2)や植物園発行の記念誌などのみで、多くあるとは言えない。駒の資料は昭和54(1979)年、美也古豆本第七輯として出版された3)。数少ないこれらの資料を手掛かりにして、私も時に植物園の歴史を書き記してきたが4)5)6)、開園に至るまでの激動の経緯が詳しくわからず悩みの種だった。しかし、この悩みを一気に解決できたのが桜田通雄(日本植物園協会名誉会員)の「大典記念京都植物園、創設とその背景-初の公立大規模総合植物園の誕生史- 日本植物園協会誌第53号2018」7)だ。京都新聞の前身となる京都日出新聞の記事などを実に詳しく丹念に調べ上げ、論文として発表。桜田氏に敬意を表するとともに、ありがたく拝読し、本稿の参考にもさせていただいた。
内国博覧会会場予定地
京都府は大正2(1913)年4月、大正天皇即位「大典記念京都博覧会会場予定地(会期 大正3(1914))年8月から)」として、現上賀茂今井町と下鴨半木町にまたがるこの地約10万坪(33.5ha)を購入したが、諸般、特に財政事情の理由により、博覧会会場としての利用を断念した。この間、府議会をはじめ混乱と混とんの錯綜した議論が噴出、その詳細は桜田7)に詳しい。
博覧会構想の期待は大正2年7月1日発行の地図(図-1)に早くもあらわれ、特別館や遊技場(図-2)など具体的な計画案の平面図が明示されている。
出雲路橋はあるが北大路橋はまだない。京都府立大学もない。予定地は周辺も含め原野だった。琵琶湖疎水の開渠状況がわかるなど、地図からの情報は興味が尽きない。
植物園創設ありきでこの土地を選んだのではなかった。
内国博覧会誘致を思い描いた京都府第十代大森鍾一知事⦅就任期間 明治35(1902)-大正5(1916))⦆は大正2年6月、現地を視察した2)3)。その時の写真(写真-1)には、興味をそそる情報が詰まっている。大森知事は小柄だった2)3)とのことだが、この写真からはよくわからない。畝に這う植物、こんもりとした樹木のかたまりそして背景に連なる山。植物はカボチャかなと思うが自信がない。樹木のかたまりは「なからぎの森」。この森は「半木神社」の周辺に残された、京都市内都市部の平地に残る、植物園内唯一、下鴨の自然植生をしのばせる貴重な自然林である8)。
気になるのは背景の山並み。植物園のどの場所からこの写真を撮影したかの手掛かりになるからなのだが、現在は園内の樹木にさえぎられ、周辺の山並みを見通せることができない。ので2009年10月16日、高台(初代観覧温室跡地=現沈床花壇東の高台)に移した高所作業車から360度見渡したところ、写真撮影の場所は、現在の生態園東のしゃくやく園あたりから半木神社方向を撮影した、とほぼ断定できる(写真-2)。
ちなみに、山並みの左には五山の送り火の一つ、『船形』が見える(写真-3)。写真-3左下の三角形の樹形はイチョウ、真ん中下の傘形はニワウルシで、もちろん現存している。
大典記念京都博覧会は大正4(1915)年10月、京都市主催で岡崎公園ほかで開催された7)が、当初予定地として確保した広大なこの土地は、利用のないまま残ることとなった。
植物に対し造詣が深く、すぐれた見識を持っていた大森知事は、京都を発祥の地とし、ここ京都で大典を記念した社会教育施設を作りたいと考えていた三井家同族会から、この土地を有効活用する意見を求められ、「三井家の寄附により大典記念京都植物園を創設し、大正天皇御成婚記念市立動物園(著者注 京都市立動物園 明治36(1903)年4月1日、大正天皇の御成婚を記念して,上野動物園に次ぎ全国2番目に開園)と共に永く大典を記念するのが最良の策ではないか」と植物園創設の構想を進言した1)ところ、同意が得られた。大正4(1915)年10月、府会は三井家から25万円の寄附を受け植物園建設を議決3)、紆余曲折の末ではあったが植物園建設の晴れの正式決定を迎えることができた
博覧会会場予定地だった土地の跡地に植物園を建設する、との方向性が定まり、あとは順風満帆に進捗するのかと思いきや時代がそうはさせず、その後またまた試練が待ち受けた。
1)京都府企画管理部 京都府立植物園誌(第一集、第二集) 昭和34、36年
2)駒 敏郎 府政だより資料版⦅No.185(昭和46年5月1日)~No.197(昭和47年5月1日))
花と緑の記録 -府立植物園の五十年-
3)駒 敏郎 花と緑の記録 -府立植物園の五十年- 美也古豆本第七輯 山口紫都 昭和54年
4)松谷 茂 打って出る京都府立植物園 淡交社 平成23年
5)松谷 茂 とつておき 名誉園長の植物園おもしろガイド 京都新聞出版センター 2011年
6)松谷 茂 京都府立植物園の半生 日本の植物園
公益社団法人 日本植物園協会編 八坂書房 102-108 2018年
7)桜田通雄 大典記念京都植物園、創設とその背景-初の公立大規模総合植物園の誕生史- 日本植物園協会誌第53号 47-62 2018年
8)本城尚正 洛北探訪 京都の自然と文化 淡交社 46-54 平成7年
9) 京都市街全図大阪毎日新聞
壹万七百四十號附録