
天皇陵・皇后陵・親王陵 -北区周辺を訪れる-
12. 第68代一条天皇 圓融寺北陵・第73代堀河天皇 後圓教寺陵
龍安寺の脇から山道の階段をかなり登った場所にあります。
山上にあり京都を一望できる絶景ポイントです。
同じ御陵に複数の天皇が一緒に祭られ、あまり見られないケースです。
堀河天皇は、第72代白河天皇の第二皇子で、8歳で即位する。
天皇の性格は上品かつ優雅であった。
誠実な人柄で人望も厚く、家臣に「末代の賢王」と称さるれほど。
その治世は穏やかで、民衆も安心して暮らせるものだったという。
音楽、管弦を好み、熱心に練習した。
和歌にも堪能だったという。
嘉承2年(1107年)在位のまま29歳で崩御。
皇太子の崇仁親王が即位した。
後一条天皇は、第66代一条天皇の第二皇子で、9歳で即位し、藤原道長が摂関となった。
道長は生後間もないこの孫(後一条天皇)を抱きオシッコをかけられ喜んでいる。
藤原道長の3人の娘が同時に后位につき「この世をばわが世とぞ思う望月のかけたることもなしと思えば」と歌った道長の全盛時代であった。
長元9年(1036年)29歳で崩御。
13.第64代円融天皇火葬塚
円融天皇は第62代村上天皇の第5皇子である。
11歳で即位、子は第66代一条天皇。
西暦2年(991年)33歳で崩御。
14.第69代後朱雀天皇皇后禎子内親王 圓乗寺東陵
禎子内親王は第69代後朱雀天皇皇后の子供であり、父は第67代三条天皇である。
長男は、第71代後三条天皇。
寛治8年(1094年)崩御。
天皇陵などを見て廻っての感想は、龍安寺裏山にある天皇陵は設置された当時の様子が窺われるが、その他の天皇陵の周りには都市開発により住宅が迫っている。
設置当時は長閑な田園地帯であったろうに、さぞかし眠っている天皇さん方はビックリされていることであろう。
明治22年(1889年)宮内庁により治定された天皇陵、火葬塚であるが、天皇塚で述べたように都市開発により不明な陵や塚が無残にも破壊されたと思われる。
尚 朱山七陵に寺院の名称が記されているが、以前にあった衣笠山を背景にした寺院名である。
それぞれの寺院は、天皇の御願により建立されたものであり、火葬された後、遺骨を納められたので寺院名が記されたものと思われる。
それぞれの陵は宮内庁の管轄であるが、領内には事務所があり職員がおられる陵もある。
今回は10・11の陵を訪れた時、親しくお話を伺うことができ、大変参考になった。また、
陵を廻るなかで天皇の私生活での振る舞いにも思いを巡らせたのも楽しかった。
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昭和19年京都市北区生まれ。
理科の中学校教諭として勤めながら、まちの歴史を研究し続ける。
得意分野は「怖い話」。
全国連合退職校長会近畿地区協議会会長。
|自称まちの歴史愛好家|北野天満宮/今宮神社/千本通/明智光秀/怖い話
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