京の地形と京都人が育て利用してきた京野菜
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京野菜の成立
現在では京野菜は全国の野菜産地から、故郷のブランド野菜の先鞭を付けたものとして、シンボル的存在となっている。
2011年に農水省のシンポ「地方伝統野菜の現状と将来展望」が行われ、私も「京野菜の歴史と技術的発展」を紹介した(1)。他県からも伝統野菜の紹介があったが、戦後とかせいぜい昭和40年代以降のもので、明治までさかのぼれるのは京野菜だけであった。
京都の立地特性
京都は山に取り囲まれた盆地であり、夏は暑くて冬は寒いが、比較的に野菜の栽培に適した温和な環境だと考えられる。
この盆地は南側にやや傾斜(0.7 %)をしており、まるで温室のフレームのように、低温期にも暖かくなりやすい条件を備えている。
西から桂川、加茂川、高野川が南側に流れ、最後には淀川に連なっている。
これらの川は今までに何度も氾濫を繰り返し、上流の山地から肥えた土砂を京都盆地に運んで来た。これらの立地条件は京都で促成園芸の発達を促している。
また京都盆地には地底深くに巨大な水瓶があり、盆地での湿度を保っていることが関西大学楠見教授により近年明らかにされている。
京都盆地は遙か昔には琵琶湖と同様に湖であったが、その後土地の隆起で沼地となりまた相次ぐ氾濫で土砂が堆積し、現在の盆地が形成されたようだ。
その湖であった名残は、北山の深泥が池や南部の巨椋池(現在は干拓地)に残っている。深泥が池ではジュンサイも健在である。
水瓶の南端はちょうど伏見あたりに位置し、伏流水が伏見の酒を造っている。
文化的背景
京都には古くから都がおかれ、天皇を取り巻く行政機関と地方からの出張所がおかれ、それを支える多くの貴族、役人、僧侶が住んでいた。
これらの人たちは仏教伝播などとつながって野菜の利用を進め、各種の精進料理あるいは会席料理などが発達してきた。
また、大陸からの文物も、その多くは京都に集められ、それらの洗練された利用が京都で更に深まり、地方に伝播していった。
その一部は江戸末期の絵に描かれている。野菜は食料としてだけでなく、医療の進んでいなかった当時としてはネギ類のニンニク、ネギなどは薬用的にも重要であったと思われ、それらの種子をつけたネギ坊主は、橋の欄干や御神輿の先端などに擬宝珠として今に残っている。
生活の中の京野菜
また、野菜に感謝する気持ちと、それらの効用を期待したためか、野菜で飾った北野神社や棚倉孫神社の瑞饋神輿、千本釈迦堂のダイコン炊きや神光院のキュウリ封じなど多くの行事があり、京都では野菜が生活に密着している。
多くの野菜は、京都を取り巻くあちこちで作られ、近郊園芸として消費を支えていた。
その結果洛北のスグキ、賀茂のナス、東山の鹿ケ谷カボチャ、聖護院のカブ、ダイコン、桂のウリ、九条のネギ、伏見のトウガラシなど地名のついた京野菜が成立してきた。
現在のような長距離の輸送ができなかったため、野菜の利用に当たっては漬物としての利用が発達し、これには京都の豊富な地下水とその水質の良かったことも大きく影響している。
京野菜の特性と歴史
京野菜は京都府立大学の高嶋博士が、その意義と保存の重要性を提唱された。
京野菜の定義が定められた昭和63年頃、イタリアでもスローフード運動が提唱された。
京野菜の多くは同じ畑で長年作られたため、だんだん生産が減少してきたり、その系統選抜と採種の困難性もあり、生産は減少傾向にあった。
また、最近では生産性の効率と輸送手段の発達により、大量生産に向いた品種の割合が急増してきており、逆に京野菜の多くの品種は消滅しかけている。
しかし、近年のグルメ志向、エスニック料理の増加などから、京野菜が本来の持つ味、利用特性、栄養価などがスローフードとして再認識され、今日の京野菜に対する需要が高まってきたと考えられる。
今までの品種改良・栽培技術
野菜の技術的側面を見ると、まず篤農家などによる選抜と改良以外に、付加価値をつける創意工夫があげられる。
例えばエビイモと堀川ゴボウがある。
これらは特別の品種ではなく、育て方でその付加価値を高めている。
手間隙かけて世話してエビのように曲げて育てたサトイモであるから、京都人は古くからおみこしの屋根をサトイモの葉柄であるズイキで飾り、トウガラシなどの野菜で壁面を飾った瑞饋神輿を守ってきている。
秀吉によって建てられ、また壊された聚楽第の堀の埋立地にごみが捨てられた。
その堆肥化したところに育ったゴボウが美味しいことから、巨大な越年ゴボウである堀川ゴボウとなった。
堀川ゴボウは播いて育てたゴボウでなく、移植して大きく育てられた2年目のゴボウであり、中央部は空洞になるが表皮は柔らかく特有の香りのあるものが優良品とされる。
次いで2番目には、京都の立地的特性を利用して、京野菜の付加価値を高めてきた技術があり、これらは全国規模で見て京都に早く起こったものである。
古くは室町時代の初期、京都南部の淀でナス、キュウリの早作りが行われていた。
これはこの一帯が砂地で冬季でも太陽熱で暖まりやすかったことと、周辺の湿地帯にあったヨシが防風の役割を果たしていたためである。
江戸時代に下京で、ゴミの埋立地で堆肥化したところでサトイモが萌芽しているのを見た篤農家があり、腐熟した堆肥が発酵熱を出していることに気がついた。
早速そのことを応用してショウガ、サンショウの促成栽培に成功している。
安土桃山時代に秀吉は京都市内を外敵から守るため、土塁を京都の周辺部に築いたが、その際低地に湧き水があったところでセリ栽培が始まった。
地下水はいつも15℃前後で冬暖かくて夏は冷たいため、良品を早く栽培することが可能となった。
江戸時代の終わり頃伏見で湧き水を利用し、暗所で軟白して育てたミョウガの促成栽培が始まっている。
なぜ京都では保存されてきたのか?
京都では伝統的に食生活を守る傾向があって、季節ごとの料理や祭事が守られ、おもてなしの料理も発展している。
そのため料理法ごとに保存されてきた京野菜が、京都の人々に大事に守られてブランド野菜として残ってきた。
また消失にいち早く気づいて保護育成されたこと、更に研究機関での原種維持や改良されてきたことも大きい。
京都では京野菜の魅力の情報発信をするため、「京野菜検定」を行うと共に、私もお手伝いをして「京野菜マイスター」の認定を行っている。
海外でも日本の伝統野菜に興味を持たれており、米国の園芸学会の依頼を受けて2009年に京野菜の紹介をしている(3)。
(1)藤目幸擴.2011.平成23年度野菜茶業課題別研究会「地方野菜の現状と将来展望」.
(2)京都名所図会.1997.宗政五十緒・西野由紀.小学館.pp127.
(3)Fujime, Y. 2012. Introduction to Some Indigenous Vegetables in Japan. HortScience, 47(7):831-834.
(4) 藤目幸擴. 京野菜の技術的変遷と地域振興への取り組み. 農耕と園芸. 2012年7月号:20-23.
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生年月日:1945年(昭和20年)1月5日
現職
京都府立大学 名誉教授、タキイ財団 理事、NPO 京の農・園芸福祉研究会 理事長、(一財)京都園芸倶楽部 会長
主な経歴
1969年 京都大学大学院農学研究科修士課程修了、香川大学・京都府立大学教授を歴任
1982年 京都大学農学博士
1984年 園芸学会賞奨励賞
2008年 京都府立大学農学部定年退官・名誉教授
1985~1986年 ケニア・ジョモケニヤッタ農工大学へ出張(国際協力機構)
1993~1994年 英国ロンドン大学を中心に欧米7カ国 へ出張(文部省長期在外派遣)
1997年 デンマーク植物と土壌科学研究所へ出張(学術振興会派遣研究員)
この間に欧米、アジアなど約30カ国での国際シンポジウムに参加すると共に、留学生10名に学位論文の指導を行う
主な著書
Q&A 絵で見る野菜の育ち方、農文協、2005
野菜の発育と栽培、農文協、2006
ブロッコリーとカリフラワーの絵本、農文協、2007
ブロッコリーの生理生態と生産事例、誠文堂新光社、2010
ブロッコリーとカリフラワーの作業便利帳、農文協、2010
はじめてのイタリア野菜、農文協、2015
「おいしい彩り野菜のつくりかた」(監修) 農文協、2018
|京都府立大学 名誉教授|京野菜/伝統野菜
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画像提供:関西大学 楠見晴重教授